『 週刊 Hanko』356号

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 そろそろ紅葉が始まりました。日差しは暖かいですが風が冷たい!子供には暖かいジャケットを着せて,お散歩がてら畑まで歩いてお茶出しに通っています。往復で1キロちょっとかな。坂道ばかりなので,子供二人連れだとなかなか疲れます。^_^; でも子供たちはハイキング気分で,おじいちゃんたちと一緒に風の中,リンゴやおせんべいなどかじって喜んでいます。(^_^)

◆ちょっと不良なクリスチャンの,科学と宗教に関する考察◆
 向井千秋さんが2度目の大役を終えて「ディスカバリー」も無事帰還しましたね。今回は宇宙から見た地球のハイビジョン撮影も大きな収穫だったようですが,私が興味深く聞いたのは,向井さんのインタビュー。ある飛行士が「宇宙から地球を見ていると本当に美しくて,神の存在を感じずにはいられない」と語ったのに対し,向井さんは「地球は実によくできていると感心するが,それを作ったのが神なのかどうか私にはわからない」という内容のコメントでした。それぞれお国柄が出ているなぁ,と。

 折しも,ある雑誌でホーキング博士の「宇宙が素晴らしく微妙に調節されていることは宇宙が人類を生み出すように特別に設計された証拠」という仮説を読む機会があり,旦那が「これは,人間が宇宙の最終目的であるとでも言っているようでイヤだ。人間を作るために宇宙ができたんじゃない。35億年前に生命が誕生し,今は人間がいるけど,これから何十億年後には人間なんかいないかもしれないのに」と力説していました。加えて,「聖書も人間中心だよね。神様は自分に似せて人間を作ったとか,他の動物を人間に支配させたとか」…と申しましたので,ほほー,なるほど,そういう観点か,と妙に納得してしまい,自分は科学や宗教をどう受け止めているのか?と,ふと考えてしまいました。

◇科学と宗教の(私の)位置づけ◇
 私の中では,とりあえず科学も宗教も何の矛盾もなく共存しています。進化論もしかりと思うし,宇宙は神が作ったとも思う。聖書が人間以外の動物を下等と見なしているとは思わないが,ゴキブリやクモやナメクジの存在意義はわからない(こらこら!! ^_^;)
 宇宙の歴史を解明することや,今から10億年後には全く想像もつかない地球が存在する(またはしない)だろうというマクロな見つめかたは貴重だと思う,と同時に,宇宙の歴史の中で見たらほんの一瞬にも満たない自分の人生を,いかに豊かに過ごすべきかを問う宗教も,人類にとっては大事な要素で,それは科学とは全く別のところにあると思うのです。

◇宗教について◇
 ガリレオが「それでも地球は回る」と言ったのは有名で,その時彼は誰にも理解されなかったけれど,信念を持って主張した。そしてそれは正しいことだった。…これは科学の世界ではよくあることです。
 でも宗教というのは,受け入れる人が一人もいなかったら成り立たないですよね。キリスト教に限らず,宗教が目指す物は第一に「幸福に生きる道」。極端な話,すべての人が真に幸福だったら宗教はいらない。でも現実はそうじゃない…だから「幸福に生きる術」を人々に伝道する必要があるのです。
 伝道するためには,わかりやすく説く。わかりやすくするためには,多少脚色もするし,例え話もするわけです。
 「神が自分に似せて人間を作った」…ということを文字通り受け入れるのに抵抗があるなら,それは当時の人々に聖書の内容を語るための導入である…と考えればいいんじゃないでしょうか?

◇聖書の読みかた◇
 2000年前に書かれた聖書は,当時の人々に受け入れやすいような脚色や例え話が満載だから,現代の私達が読む時には,それを考慮して読む必要が出てくる…,だから誤解なく正しく理解するためには,一人で読んではいけない,一箇所だけを取りあげてその文章を鵜呑みにしてはいけないと思います。
 でも多いですよね。鵜呑みにしてつまずいている人。^_^; 例えば処女懐胎。例えば奇跡物語。。

 私自身は,その昔それらを全部信じていました。だから「それは脚色であった」と言われた時にはものすごいショックで,一時「キリスト教離れ」を起こしていましたが,^_^; 今は特に信じなくてもよいと思っています。マリアが処女ではなかったとしても,奇跡が嘘だったとしても,イエスが人々の心を癒し,それが2000年たった今でも語り継がれているという事実は変えようがなく,それこそがイエスの偉大さを物語っている。そのイエスが,どのように生きよと教えているのか,…。それを聖書から学んでいくことが大事なのであって,キリスト教の本質的でない部分につまずいて,一番大切な学びが妨げられるとしたら,とても残念なことだと思います。

 というわけで,私にとって「聖書」は生きてゆくためのテキストであって,科学書ではありません。地球を含む宇宙や生物を神が作ったという話も,ビッグバンや進化そのものが神の仕組んだことであって,膨大な時間を短縮(圧縮?)して脚色したら,聖書のような記述になったのだと考えて納得しています。

◇科学のあり方◇
 科学の追求は,神のなせるワザのすごさを少しでも理解して,その意志と愛とに気づいて圧倒されたり自分を顧みたりするために必要な事であって,人類のワザのすごさに天狗になるためのものではないと思っています。だから,「最近の遺伝子操作などには疑問を感じる。神の領域に踏み込む行為ではないか?もっと謙虚になるべき…」というようなことを,大学の生物学のレポートに書いたら,私だけBがついた。ま,そういう意見に耳を傾けない教授は個人的にはキライです。講義の最中,「自然界が偶然の連続でここまで進化してきたとは思えない。科学をつきつめると神を認めざるを得ない」と言った教授には好感を持ちました。
 やはり,知的生命体として生きている以上は(宗教に関係なく)こんな素晴らしい宇宙の中に生かされてあることを謙虚に感謝する態度が必要ではないでしょうか?

  *  *  *

 …発端は向井さんの一言だったのですが,このへんのことについては最近色々と思うことあって,一度書いてみたいと思っていました。当然書ききれるものではなく,枝葉と思われるところを精一杯カットした結果です。うまく伝わらない部分もあるかもしれませんが,疑問の点についてはメールなどいただけると嬉しいです。
 これは,小さい頃から教会で育ったとは言え,現在の私の個人的な意見です。教会を背負った発言ではありません。真面目なクリスチャンの中にはお怒りになる方もいるかもしれませんが,あしからずご容赦下さい。
 巷では,小説版の聖書がベストセラーになっているとか。関心の高さはとても嬉しく思います。どうぞ聖書の本質的な部分に触れていただけますように,心から祈ります。

1998.11.14 斎藤 範子(Hanko)



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