『 週刊 Hanko 』 370号
日当たりのよい所から桜がどんどん目をさまし,市内はほぼ満開,家の近くは8分咲きとなりました。入学式はまさに桜色,来週の入園式はどうでしょうか。
◆泣けた話◆
10年ほど前,九州に一人旅をしました。いろんな人と出会った思い出深い旅行でしたが,これは天草で親しくなった小川さんというご夫婦とのお話です。
小川さんとは天草の殉教公園で出会いました。ご夫婦とお友達の3人で,ちょうどひなたぼっこをしているようなくつろぎ方で,カメラを持った私に声をかけてくれました。横浜(当時は横浜市民だった)から一人で来たということにたいそうびっくりし,3人分しかないお弁当を分けて下さったばかりか,その後の天草を全部案内して下さり,最後はお宅にまでお邪魔してお茶を御馳走になりました。ちょうど私の両親と同じくらいの年代の方です。伺って初めて知ったのですが,大きな運送会社の社長さんで,平屋の豪邸!静かな青い海を見下ろす素敵なお家でした。
再会を約束して,その後2度も泊まりに行き,小川さんも1度群馬まで来て下さった(車で!!)というほど親しくしていたのですが,小川さんには子供がなく,ある日,養女にこないかと真剣に相談されたのです。
弟さんに家をまかせて天草に来い,こっちでいい人をみつけて一緒に暮らそう…。私は天草も小川さんも大好きでしたし,もしも体が2つあったなら,迷わず行ってしまったかもしれませんが,なかなか思い切ることはできず。。
そのうち「東京に住んでいる遠い親戚」とのお見合いを勧められ,これがまたうまくいかず,そんなわけで気まずさも漂い,だんだん疎遠になってとうとう年賀状だけのお付き合いになってしまいました。
それから5年…。先日小川さんから実家の母に,突然みかんが2箱も届いたのです。それはそれはおいしい天草みかんでした。今頃どうしてだろうね,と母と不思議がりながら,お礼の電話をしたところが…。
久し振りに聞く元気そうな声…と思ったのも束の間。実は二人とも交代で入院していたと言うのです。おじさんは腸の手術で,おばさんは脳血栓か何かで倒れて。詳しいことはわかりませんが,おじさんはかなり大きな手術だったらしく,おばさんの方も右半身に軽い麻痺が残り,仕事を続けていくのは困難になって,昨年きれいさっぱりやめてしまったとのこと。
「範子さんの声ば聞きたいなぁと思うたけど,手紙はよう書けんし,贈り物ばしたら電話してくれるんじゃなかろかなぁと思うて送ってみたんよ」
あああ,馬鹿な私!娘にしてもいいとまで言ってくれた人たちに連絡もとらず,病気で苦しんでいるのも知らず,こんな私の声を聞きたいがために重たい荷物を送ってくれた人の気も知らず,「突然どうしたんだろうね」などと呑気な感想をもらしていた自分を心底情けないと思い,看病する子供もなく老夫婦二人で過ごした入院生活の大変さを思い,涙がぼろぼろ出て止まりませんでした。
「天草好き好きなんてゆーとって,3年も5年も来ん人のことは,もう忘れた方がよかばいなー。年賀状?そんなもんは読まーん」 変わらないおじさんの口の悪さが唯一の救いでした。
行きたい!すぐにでも飛んで行きたい…。気持ちに羽がはえても体は重く道のりは遠く。でも必ず会いに行こうと,甘く切なく世界一心にしみるみかんを味わいながら思うのでした。
◆ビデオその後◆
「グッド・ウィル・ハンティング」と「恋愛小説家」と「ロスト・ワールド」を見ました。時間がなくて,かなり強引に見ているので,見ながら仕事もするし,子供の相手もするし,残念ながらあまり「映画鑑賞」という気分ではありません。でも「恋愛小説家」は良かった。「ガタカ」と同じくらい。
あと「イングリッシュ・ペイシェント」を借りてありますが,明日返す予定なのにまだ見ていない!なんとか今夜見なければ!^_^; 録画したまま見ていないビテオも積もり積もって山になりました。時間が足りない〜。
でも,昨日夏希と散歩に出掛けて,こんなにべったり過ごす時間もあと2日か…と思ったら感慨無量になりました。4月一杯は午前保育ですけどね。親離れより子離れの方が大変かも。^_^;
いやいや,まだ問題児春歌が控えているのだった!あと2年,ママママ病のコイツと二人で過ごすワケね。^_^; もうこうなったらイヤというまで抱いてやるのだ。覚悟しろ〜!
というわけで,来週から夏希は幼稚園です。春歌誕生以来の齋藤家大イベントの始まり〜! どうなりますか,お楽しみ。(^_^)
1999. 4. 10 斎藤 範子(Hanko)
☆感想のお便り、お待ちしてます。 hanko.saito@nifty.ne.jp
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