そろそろ長袖にしようかと思っていたら,30度を越える暑さ。典型的な「季節の変わり目」ですね。皆さん,体調を崩していませんか? ◆思い立ったが吉日◆ あと半年で九十歳になるおじいちゃんが,ある日突然旧友に会いたいと言いだした。五年ほど前に脳梗塞で倒れて以来,これはとっても珍しいことなので,早速車で出掛けてみたが・・。 最初に訪ねたAさんは,奥様が出られて「主人は三年前に亡くなりました」。えっ。 呆気にとられるおじいちゃん。そこで,もう一人会いたかったBさんのことを尋ねると,「その方はもうずーっと昔,三十年以上も前に亡くなっておられます。奥様は生きていらっしゃいますが,痴呆が進んで人がわからなくなってしまったとか。」 おじいちゃんは言葉も出ないようだった。 しかたなく家に戻ってきたが,昔のことが思い出されるらしく,しきりに二人の思い出話を繰り返していた。Bさんが亡くなったことを本当に知らなかったのか,それとも忘れてしまっていたのか定かでないが,戦前の級友で,賢くて人がよく,その彼と音信をとらなかった三十年という長い時間を思い,茫然としているようでもあった。 それから今度はCさんに会いたがった。Cさんはおじいちゃんより三つ四つ年上で,まだお元気にしていらっしゃる仲のいいおじいさんだ。が,おじいちゃんが倒れて入退院を繰り返した頃から御無沙汰をしている。何度か電話をして,やっと会いに行くことができた。Cさんの家には,私よりずーっと若いお嫁さんがいて,おじいちゃんを預けて帰るのは気が引けたが,私が一緒に上がりこむ方が迷惑だろうと思い,お願いして二時間後に迎えに行った。おじいちゃんは,久々の訪問で少し疲れたようだが,やっと念願かなって気がすんだようである。 私にも,会いたいと思っている人や,会いたくてももう会えない人が何人もいる。だからおじいちゃんの気持ちがわかる,とは言えないと思うが,思い立ったが吉日,アクションを起こすことの大切さを思い知った気がした。電話でもいい,手紙でもいい。直接会いに行ってもいい。安否を気づかったり,気持ちを伝えたりすることは,悔いなく生きるための大事な要素だと思う。 実はCさんの家から帰る途中,私の実家にも挨拶に行くと言い,そちらを回って帰って来た。こんなにあちこち挨拶に行くので私は少し心配したが,おかげさまでおじいちゃんは今日も元気。楽しみは,毎日幼稚園から帰ってくる曾孫のことのようである。 ◆「シャンテ」のコンサート◆ 「手話でロックを歌おう!」「耳が聞こえなくても音楽は楽しめる」をテーマに全国各地で(海外でも)活躍している,視覚障害者と手話ボーカルのロックバンド「シャンテ」を御存知だろうか。私は恥ずかしながらつい最近知ったばかり。それも,コンサートのちらしを受け取った時には「ロック」と見ただけで敬遠し,旦那に強く薦められて(実はイヤイヤ)出掛けたのであった。(子供は実家で預かってもらった。) 渋々出掛けたものの,2500円という入場料を見て,帰ろうかと思った。なぜ私が,ロックに2500円も払わなければならないのか。それに全部聞いたら帰りは6時だ。主婦がそんな時間までロックなど聞いていていいのか。 実は仕事で家にいた旦那に電話をかけ,やっぱりやめる,と言ったつもりが,とにかく聴いてこいと,珍しく強攻され,ズルして喫茶店で本読んで帰ろうかとまで思ったが,つまらなかったら旦那のお小遣いを減額しようと決心して,2500円のチケットを買った。 入場した所でハート型の風船をもらった。子連れでなくてもくれるのか…と思いつつ会場に入ると,全員が色とりどりの風船を持っている。これが「バリアフリー」の一つを実現するものだとは夢にも思わぬまま,はじっこの席に座る。 ステージの左下にOHPが用意されている。スタッフが交代でコンサートの進行状況を書き,それがすべてOHPで映し出された。それこそ,「ベル」「拍手パチパチ」から,歌詞はもちろん司会者の言葉まで。話し言葉には間に合わず,かなり抜けもあるが,おおよそのことはわかる。(パンフレットを見て,「要約筆記会」という団体が,県にも市にもあるのを初めて知った。) そして「シャンテ」には,手話ボーカルがいる。この女性がまた,メチャ元気がいい!手話は手のみならず,全身で表現するものだと,このはじけそうなボーカルを見てそう思った。涙はここから出始めた。 風船は,音楽のリズムを振動に変え,指先で感じるための物であった。 もちろん点字のパンフレットもあった。 客席の前の方は,車椅子用に100席が用意された。 この日のために集まったボランティアは80名。満席1000人の人混みの中,視覚障害者や車椅子の人の誘導をきびきびとやっていた。コンサート中,「皆さんステージにあがって下さい!」という呼びかけに,たくさんの人が出ていったが,中には車椅子の人も大勢いた。車椅子用のスロープがあるわけではない。皆,ボランティアの人がかつぎあげたのである。バリアフリーというのは,人の力で,人の心で,こんなにもたやすく実現するものなのか。 風船に響く激しいリズムと大きな音,心を打つ詩と,全身の手話。そしてこのコンサートを支えたボランティアの人々の汗。まさに障害の有無を越えて感動できる,熱い熱いステージだった。ロックを聞いて涙が出たのは初めてだ。隣のおばさんも泣いていた。 家に帰って,旦那のお小遣いを奮発したことは言うまでもない。 旦那の言うことは,聞いてみるものである。 1999. 9. 21 斎藤 範子(Hanko)
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