『 週刊 Hanko 』 456号

「千と千尋の神隠し」見ました!


 暖かくなってきたと思うと,恒例の花粉の季節。最近鼻水がじゅるじゅるするのはそのせいかしら…。風邪に続いてマスクの人もますます多くなりました。皆さん,大丈夫ですか。

◆「千と千尋の神隠し」見ました!◆
456.jpg (7755 バイト) 遅ればせながら,やっとやっとこの名作を見に行くことができました。高崎で2月一杯の上映と聞いて諦めていたのですが,「金熊賞受賞」に触発されて,やっぱり行くぞ!と。子供3人連れて,例によって「親代わり」のY子先生にもお付き合いいただき,久々〜に「映画館で映画」見てきました!(この前見たのは2年前,これもY子先生と一緒だった。No.404参照)

 うわ〜,良かった!なんでもっと早く見なかったんだ!もう一度見たい!絶対見たい!…と,興奮さめやらぬうちに,感想を書いてみます(書かないと眠れそうにない)。

 最近の若者には「生きる力」が足りない…と議論が飛ぶ中,「それなら1カ月くらい無人島で生活させたら…」と思っていたのですが,それは間違いだったと今日気づきました。
 「無人島」ではいけない。人は,「人と文化」の中にあって,人によって育てられ鍛えられるべきなのだ,と。

 「千と…」に出てくる登場人物は,カエルだったり不気味なキャラクターだったりするけれど,よく考えればどこにでもいる人。意地の悪い人,ガンコな人,気難しい人,実はいい人,色んな事情があってそうならざるをえない立場の人…。
 あの不思議な場所こそ,実はごく普通の「世間」であって,長い間に積み上げられた文化を持っている。千尋はその中に放り出され,そしてそこで大切なのが「言葉」だと知る。挨拶やお礼などの礼儀だけでなく,自分の意志を伝えるためになくてはならないもの。正しく使わないととんでもないことになるもの。
 千尋も始めはろくに挨拶もできず,怒られてばっかりいた頼りない女の子だったけど,死ぬか生きるかの切羽詰まった状況の中で,必然的に変えられていった。最後の方で,ごく当たり前に挨拶し,自分の気持ちを述べる千尋のなんと清々しく見えること!

 やればできる!
 できる能力を内に秘めているのに,そのことに気づきもせず,それを発揮するチャンスもない,達成感もない…という無意識の欲求不満で人間はふてくされたりグレたりするのではないでしょうか(千尋も最初はかなりぶーたれた普通の娘でした)。
 確かに最近の若者は試されることが少なすぎると思う。物はあふれているし,口をきかなくても色んなことが何とかなるし(テーマ曲の「いつも…」がコンビニで流れていて,なんと不釣り合いな…と旦那は思ったそうです)。
 そう考えると「顔ナシ」のキャラクターは理解できる。ひょっとして千尋を守っているのかと思ったら全然違う。口下手で,うまく物が言えず,望みはお金で叶うと思っていて,思うようにいかないとぶっちぎれて怒る。
 でも,本当に大事な物に気付いて自分の言葉で話せるようになった千尋が率直に彼と向き合ったおかげで,彼も変えられていった…。彼もまた,リアルな「人」の象徴だと思えます。

 宮崎作品には,いつも色々な思いが込められているけれど,今回のは分かりやすい。でもそれが山ほど散りばめられているので一度じゃ全部わからないし語り尽くせない!音楽的にも美術的にももっともっと味わい直したい!だからもう一度でも二度でも三度でも…!見たいよ〜。
 ところで,私の好きなキャラクターは「釜爺」です。大好き。皆さんはどうですか。

 …と,盛り上がっているのは私だけで。^_^;
 見たいだろうと思って連れて行った娘たちは,大変でした。大泣きしてるの。顔ナシが怖かったんだって。私は真希を抱いていたので,泣いている二人はY子先生にしがみついていました(お世話になりました。その後春歌は家に帰って「顔ナシが来て春ちゃんたちを食べてしまいませんように」と真剣にお祈りしていました。夏希は,珍しく夜中に起きて「ママ,ママ」と叫びました)。
 で,真希はと言うと,おっぱいとお菓子で誤魔化し,とりあえずなんとか。でも映画に夢中ですっかり忘れていたコーヒーを飲もうとしたら,カップがない!慌てて探したら,真希が持っていた…中身はカラ。真希の上半身コーヒー色…。一週間で2度もずぶ濡れとは…!やはり子供は油断なりません。^^;

 明日は(ん,もうすっかり今日だ)幼稚園の遠足で,早起きしなければいけないのに,まだまだ映画の余韻が…。でも久々の体験,もったいないのでゆっくり味わいたいと思います。(^_^)

2002. 2. 26  斎藤 範子(Hanko)



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