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  優劣意識  (2001.12/22)


 完全に優劣意識から開放されている人はいるだろうか?
誰でも、他人に対するちょっとした優越感を
心の平静の為に利用した覚えがあるだろう。
「わたしはこんなに大変だけど、あの人に比べたらまだましだ。」

といったありふれた考え方もその一つであるし、
優越感だけでなく劣等感だってかなりの頻度で利用されている。
「劣等感をバネにして頑張った」
と言うのは、わかりやすい例であるが、
殆ど同じ構造であるはずの、
「優越感を根城にして頑張った」
と言ったら多分不愉快になる人が多いはすだ。
本来、他人より劣っていると悩むことと、
他人より優れていると自信を持つことは、
まるっきり表裏一体の意識なのである。
そんな関連で、
近頃『確固たる根拠のない優越感』についてよく考えている。
「どっちがお金持ち?」
なんていうのは数字という基準があるからよいが、
男尊女卑はどうだろう?女尊男卑でもよい。
色々な視点で考えると男女には各々優劣つけがたい長所短所があるのだが、
教育や習慣で一度身についてしまった優劣意識はなかなか変えられない。
人種差別でもよい。容姿の美醜でもよい。
まるで主観的価値観でしかないものに、
我々人間はどうしてしがみついてしか生きられないのだろうか?
漠然と差別意識を否定するのではなく、
その根底を考えてみたいのだ。
もともと生物にはより良い子孫を残そうとする本能が身についている。
動物でも人間でも抜きんでて遺伝子に欠点の少ない個体が存在し、
種の進化の為にその個体に他の個体が群がるのは当然のことだ。
人間で考えると差別推奨ととられかねないが、
動物の求愛を思い浮かべてみてほしい。
ひたすら容姿端麗で押しの強いオスが交尾する権利を勝ち取るだけで、
そこには何の迷いも存在しない。
それは人気スターに群がる人間と同様で、
本能的に個体同士で優劣をつけるからこそ
「もてる人」「もてない人」が存在するのだ。
嫌な言い方かもしれないが、それ自体を否定してしまったら、
何の解決にも結びつかない。
では、なぜそういった本能のおかげで人間は苦しむのだろうか?
進化の過程で、種の保存競争にまつわる苦悩に対する防衛本能を
強化してこなかったのだろうか?
「自分は一番優れた個体ではない」
と言っては苦しみ、
「でもあの個体よりは優れているから幸せ」
で安定する精神構造こそが、
今のところの人間の進化の結果なのかもしれない。
だとしたら、もっと安定した「過ごしやすい精神」の為には、
まだまだ進化が必要なのだろう。

なにせ。人間ってまだまだ不完全な生物だから。

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