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お手伝いさん (2002.11/26)


 今年の秋、長年苦しんできた偏頭痛の治療の為、鍼に通い始めた。
私が通うのは、鍼療院としては規模の大きい部類の医院で、たくさんの盲人
が集まって鍼治療を施しているので、毎回違う鍼療師に打ってもらいながら
話を聞くのがとても楽しいのだ。なかでも、70歳を超す院長が、数々の著名
人を治療した話のうち、谷崎潤一郎氏のことを語ってくれたので、その関連
から、氏の『台所太平記』を読んだ。
この作品は院長曰く、氏が重度の高血圧や脳硬塞の後遺症から右手が不自由
になった時、院長が世田谷から氏の住む伊豆山まで毎日通って治療を施し、
動くようになった右手で書いた最初の作品ということで、なんとなく親近感
を覚えながら読んだ。
 『台所太平記』は、谷崎家の女中達が主役の随筆で、さりげなく始まるの
で淡々と読み進むうちに、あまりの人物描写のおもしろさに引き込まれてし
まった。昭和中期以前の作品を読むとよく出て来るのが、「下女、女中」と
呼ばれた使用人で、蔑視的な響きがあるということで、現在では「お手伝い
さん」と呼ばれるようになっている。夏目漱石の『我が輩は猫である』にも
下女の「おさん」といういう女性が個性強く描かれ、当時のお手伝いさん達
が、どれだけ家族の一員として密接に存在し、一人一人の個性が尊重されて
いたかが伝わってくる。もちろん、そうでない家庭だってあっただろうが、
ここでは特にそのことに触れる必要はないだろう。
 最近でこそ、お手伝いさんが住み込んでいる家庭は相当裕福な家庭という
ことになるが、私が小さい頃は、とびぬけて裕福でもない父方母方両祖父母
の家にもお手伝いさんがいた。
昔は皆、子だくさんだったし、家電製品も発達していなかったせいか、人手
がたくさん必要で、使用人がいるのは当たり前だったのだ。
お手伝いさんはたいてい、結婚前の若い女性で、花嫁修行の一貫として働く
ことが多かった、と記憶している。
さて、どういうわけか子供は大概お手伝いさんが大好きで、盆や正月に祖父
母の家に大勢集まると、北側の玄関脇の小さな女中部屋に従姉妹達と一緒に
よく遊びにいったものである。寒々とした2〜3帖の小部屋が、お手伝いさん
の人柄からか、暖かい家庭のおままごとっぽい小世界を作っていて、電気で
湯をわかす小さなポットでお茶を入れてくれたり、細々とした女らしい化粧
道具なんかを見せてもらったのを覚えている。
 父方の実家のお手伝いさんにも可愛がってもらった。
台所脇の北側の小部屋がその人の部屋で、客間で出すのとは違う、もっと庶
民的で子供が好むお菓子がいつもそこにはあり、よく、何時間もその部屋で
過ごしたものだった。
お手伝いさんは働き者で、忙しい合間をぬって子供と遊ぶのが好きだったと
思う。自分が使用人だから主人の子供達に対しても尽くさねば、という気持
ではなく、単純に子供と接するのが好きだったように感じられた。
よく切手収集本から貴重な切手をわけてくれた父方のお手伝いさんは、祖母
亡き後、祖父と結婚した。
結婚後10年余り過ぎ、長年お手伝いさんとしても住み慣れた家から夫婦揃っ
て老人ホームに引っ越す時、
「私の鏡台を南側の一番明るいところに置きたい。」
と彼女は強く希望した。まわりの人々は、
「家の中で一番いい場所に、どうして鏡台なんかを。今どきは皆、洗面所で
お化粧するんだから、鏡台なんてなくてもいいではないか。」
と責めたものだったが、頑として彼女は譲らなかった。
たった今、改めてあの寒い北側の小部屋を思い起こし、生涯の半分をお手伝
いさんとして過ごした生活を想像してみると涙が出て来る。
書いていて、今、泣いている。

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