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見るということ (2003.1/3)


 私は猫の容姿がひどく好きだ。意外と愛情深い、とか、触れていると心が和
む、といったよく知れた猫の長所は私にとって付属品なだけで、ただひたすら
心臓が苦しいほどに猫の姿が大好きなのだ。
しばし猫派犬派がお互い犬猫の長所を言い合うことをやるが、私にとって猫の
姿こそが最大の事件なので、どっちがどう優れているかなんてどうでもいいこ
とである。なので、ちょっとこちらが猫の話しをすると

「私は犬のほうが好き!何々云々云々だから...」
など力説する人には辟易させられる。
犬がどんなに従順だろうが、黒目が愛苦しかろうが、猫の姿のほうが好みなん
だからどうしようもない。説明されなくても犬の長所なんてとっくに知ってい
るし、人間よりもむしろ犬のほうが好きなくらいだから、
「そんな風に犬を押しつけてくるアンタよりは勿論犬のほうが好きだ。」
と心の中で唱える羽目になるのだ。
 近頃、盲人と話しをする機会があるので「見えない」ということを色々想像
したうえで、改めて「見る」ことを意識してみたりする。
味覚があるのなら旨いものが食べたいし、嗅覚があればいい匂いが嗅ぎたい。
聴覚があるならば嫌な音は聞きたくないはずなのに、なぜ視覚だけが、
「見た目ではなく、中味で判断すべきだ。」
とか、
「見た目より性能を重視すべき。」
などと当たり前のごとく軽視されねばならないのか?
 「見る」ということを最大限に享受すべく私は猫を偏愛する。
猫ならどれでも好きというわけでなく、自分好みの姿の猫を偏愛する。
人間に対しても同様で、見た目が気に入らない人を私は好きにはなれない。
顔のつくりやスタイルの問題ではない。
そこに普遍的絶対的価値観など存在しないからである。
悲しいかな、心の貧しさや卑しさは目に表れてしまうものなので、骨格だけ
とったら美しくあるべき人でも、美しいとは言わないでいいだろう。
「なんか目つきが狡くて嫌なかんじだけど、顔の造作だけは端正。」
というような生物を通常、容姿の良い生物とは言わないものだ。

猫のことを「目が陰険」という犬派のあなた、疎まれて怯えた野良猫を見る
とそんな風に思って当たり前です。安心しきった時の猫はもっと優しい目を
しています。
ああ猫。優雅で滑らか。繊細なヒゲ。ピンク色のハートのような舌....。

猫のことを語ると止まらなくなるので、この辺でやめておきましょう。

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