猫の縄張り争いは激しい。
境界線となるべく民家の塀や道路の際などで、
「フー!アオー!ギャオウ!シャー!」
と長時間やり合う。
たいていの動物は、余る程の食料がない為、
自分が生きていけるだけの食料を確保するのに必死な故、
縄張り争いは必至だ。
さて、私は近所の小さな銭湯に行くのが好きだ。
別に人情がどうのというのでなく、単に近いし、お湯がいいからである。
小さな銭湯では、何十年も通う近所の人がいて、
何十年も毎回同じカラン(流し台)を使ってきたらしい人がいる。
どういうカランの場所が好きかは、人ぞれぞれで、
私を例にとると、髪にカラーリングを施しているので、
カラーをした直後の1週間くらいは、洗髪のお湯に色がつく。
赤い泡などが流れることから、誰かを嫌な気にさせたくなく、
一番端の排水穴に近いところが好みとなる。
逆に、排水穴から一番遠い所を好む人は、他人の排水に触れたくない人だ。
想像に易いとは思うが、銭湯の床には軽い傾斜がついていて、
床の上の泡まみれのお湯は、排水穴のほうに向って流れるものだ。
また、カランの場所によって、若干お湯が熱いぬるいの差があるし、
天窓から外気が入る場所が寒いとか、逆に気持ちよいとか、
個人の好みは千差万別である。
そういった結果、銭湯の常連は『自分の場所』を見つけることになるが、
度を超した人で、
「あとどのくらいで終わります?私はいつもそこなんだけど」
と他人に言っているのを見たことがある。
言われた側は大人だったようで、不愉快そうな顔をしていたものの、
あっさり場所を譲った。
銭湯とは400円払えば誰も平等な場所である。
『 私はいつもそこ』と主張する事なんぞ正しいわけがない。
場所を譲った人は納得して譲ったのではなく、
そういうおかしなことを主張する人に関わる時間が無駄だから、
何も言わずに譲ったのである。
譲られた人は勝ったなどと思ってはいけない。
愚か者として見放されているのである。
後から引っ越してきた罪もない住民に意地悪して追い出したり、
小さな店で初めての客を値踏みするように眺める常連の雰囲気など、
同様な心理が根本にある行動はたくさんある。
この行動は縄張りを守る本能故なのであろう。
だからこそ、
この行動は戦争が起こる要因にもなっている。
人間の短い一生で、果たして、
ほんのわずか先に来た人がそれほど優先であろうか?
勿論、礼儀として先輩をたてることは、
人間関係をスムーズにするための潤滑油となる。
しかし、先輩の側がいつまでもそれを主張するのは争いの元である。
私も銭湯に通い始めた数ヶ月は、お気に入りの場所になるべく座ったもの
だが、人をどけてまで自分の場所にこだわる人を見てイヤになった。
それからは、なるべくグルグル色々な場所に座るようにしている。
「あれは私の場所なのに」
と心で思うこと自体が嫌なのだ。
公共の乗り物でも、飲食店でも同様だ。
生物が心地良い場所を好むのは本能だから、
最初に来た人がいい場所を確保するのは当然だ。
しかし、それをいつまでも保持しようしたり、
強引に奪おうとするところに戦争の原因はある。
最近、身内に不幸があり、死後の世界を考えることがあった。
天国とは、何も所有する必要がなく、
本当の平等が存在する唯一の場所かも?と夢見ている。