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  天狗はどこに?(2008.5/20)


 私の曲作り歴は長い。中学生の頃、一人でカセットに向かって作り始めてから数えて約30年だろうか?
最初は作るだけで興奮したものだが、
聴く音楽が変わっていくのにつれて、
「それに似たもの」に、
「それに似たコード進行」に、等、少し背伸びした芸風になり、
たまに「自分とは何?」と自問自答しながらも、
今度は「何かに似てないもの」を目指すようになり、
そこでがんじがらめになったり、息抜きに「何かに似たもの」を作り、
全部職業として発表してきたわけでないので、
その変遷はとても説明できないが、そうして現在に至る。
 バンドで好きな曲を書いて演奏する、ということでなく、
オーダーを受けて曲を書くようになってからは約15年だ。
最初はそれらを使い分けているつもりになっていたもので、
「これは仕事だ」
「これは作品だ」
と感情で区別していたと思う。
仕事の場では、自分の絶対的価値観を否定される場にたくさん出会う。
編曲作業はともかく、
作曲の作業は自分の価値観に100%信頼を置かないといいものにならない。
かくいう私も子供の頃から40代になるまで、
『自分が100正しい』
と信じて来たのだが、近頃、少し距離を置いている。
他人のそういう姿勢を評価できないことが何年も続き、
自分にも疑いが出て来たのだ。
美談でも何もない。
「なんでああいう曲をイイと思ってるのだろう?」
「なぜ、こんなものに自信を持っているのだろう?」
「これはかっこいいかもしれないが、他人の世界を再現しただけだろう」
から始まり、
「こういう狭い世界に絶対的価値観を置いて、エラそうにして」
という非難になり、自分の自信にも根拠がないことに気づく。
芸術とは、
「表現したいという激しい欲望」
「他者よりも自分の感覚が正しいという主張」
から多くが成り立つ。
その欲望がいつまでも続くことが、芸術家としての人生の理想だ。
しかし、それは認められ、金銭としての価値がないと難しい。
財産家に生まれたわけではないので、
稼がなければ芸術を続けること自体無理になる。
若い頃は、
「仕事では徹して音を作り、それ以外の時間で自分の曲を。」
と思っていたのが、15年も経つと、その二つに差がないことを知る。
オーダーされて作ったものと、
好きで作っているものには差があってはならない。
それが大衆音楽の世界では鉄則だ。
だとしたら、
「仕事先の人は私の価値観をわかってくれないが、それ以外では..」
という逃げ場は私にはない。
だいいち、好きなものなど、この後におよんで何だかわからない。
70年代夢中になっていたレコードと同じことをやりたくて音楽をやっているのではない。
憧れのままに、ずっとそれとそっくりのことを追うことは私にはできない。
そういう生き方の人を批判しているのではない。
私は違う、というだけだ。
何か前人未到の領域を探している、というのは表現者としての本能だ。
そうして、悩みを無駄に増やし、もがいて生きている。
解決できるのは自分本人だけで、誰かが褒めてくれることではない。
そして、好きな音楽はやはり、
「自分を盲信して突っ走っている激しい音楽」
だ。
老成なんて信じない。

 

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