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  依然として神さまは定まらず(2008.11/7)


 何ヶ月か前から
「天にまします我らの父よ」と祈らなくなり、
今だに祈りが空白なままだ。
例えば、寝る前に、何らかの感謝を祈ろうと思い、
「天にまします我らの父よ」
と唱えた途端、
「父?神様って男ってこと大前提?」
と思い始め先に進まない。
女性蔑視がどうのということでなく、
そもそも神様は人間でないので、性別もないはずだから、
じゃあ、何て祈ってみようかな?と思うと考えつかない。
私という人間が、生き方として、
基本的に儀式を心の拠り所にする気がないのが厄介なところだ。
儀式を行えばすっきりする傾向があるとしたら、例えば、
どこかから気に入った色や形の石ころを拾ってきて、
洗ってから、家の中の気に入った場所に置き、
朝起きたらすぐ水と塩でも供え、
「お石さま、今日も無事日の出を迎えた人類云々..」
と何行か自作の祈りを唱え、
寝る前に、一日の食事なんかを記した紙を、
自分で決めた折り方に畳んで供え、
「お石さま、明日もいつまでも平安でありますよう云々...」
と唱える。
一年に一度、自分で決めた日にそれを焼く儀式をする。

旅行に行く時などは、石の写真や絵を、
自分で決めた聖なる布に包み持ち歩き、
困った時ににぎりしめる。
と、こういうことで心の平安は保てると思う。
人に勧めたりせず、一人で勝手に行えばよい。
こんな方法も一つの生き方なのは否定しない。
ただし、私の頭の中には偶像崇拝を禁ずる教えも多少残っているので、
私には『お石さま』信仰は多分無理だが、
誰が何を信じようが、心の底から尊重したいと思ってはいる。

しかし、そもそも多くの宗教に、
女子供や動物が格下、あるいは穢れている、とする教義があることに、
皆抵抗がないのだろうか?
また、そういう教義の組織が持っている建物で、
いとも簡単に、
「試験が受かりますように」
「いい相手が見つかりますように」
などと祈れるものだろうか?
例えば女性の私だとしたら、
「私ごとき修行も積んでいない、しかも女の身、
 御前に跪かせていただくのも勿体ないことでございますが、
 ウチのこれまた、たかが獣たる猫の病気のことについて、
 お祈りしてもよろしいでしょうか?
 ダメですよねぇ。獣のことなんか。」
と思うべくかもしれないのに、だ。

『神って理屈じゃないでしょ?
 ちっぽけなこと並べてないで、なんか信じちゃえば?』
と思うかたも多いと思う。
しかし、ここまで来たら、理屈の上でも納得したいのだ。
都市部で暮らしていると、人間も多種多様で、
多くの宗教に出会う。
近頃それほど見かけないが、
20年くらい前は、たとえば、新宿の駅近くで、
○○教の白人がよく立っていたし、
渋谷では、
「手相の勉強をしているんですが云々」
と声をかけられたり、ずばり、
「神さまをどう思いますか?」
と言われ、それについて答えると、
「もっと詳しい話をどこどこで。」
と説明会に連れていかれそうになったものだ。
最近の繁華街ではそういうことは減ったが、
当時も今も続いている布教活動に、
個人の住居に、片っ端から、
「近所のヨシダ(スズキ、タナカ..)です。」
と言って訪ねてきて、
宗教のパンフレットを渡そうとするのもある。
ベビーカーで子供を連れていたりして、
門前払いされないように工夫している場合だってある。
私のようにそういうことにいくつか遭遇し、
しかも、幼稚園は浄土真宗、小中高はカトリックだったりすると、
「では真言宗は?イスラム教は?ユダヤ教は?....」
といった教義に対する知識は持っていたくなっても、
単に心の拠り所とするのが難しくなってくる。
超自然的なことは否定しないし、
それに対し、ある程度、
科学で解明できるものがあるということも否定しない。
やはり、地球に数えきれないほどの宗教があるということは、
それだけ人類が宗教を拠り所にして生きている証拠だ。

しつこいようだが、
私は無宗教でなければ、無神論者でもない。
誰かが決めた儀式や祈りに没頭できないだけである。

そして神さまは依然として定まらない。
もっとも、私ごときが数ヶ月考えるだけで悟れるもんなら、
世界中がもっと平和になることでしょう。

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