
| けっこう見物に値するものがあるのが、ここの大学である。われわれ取材班は、何回かに分けて、それらの一部を見物した。 |
| 雪が降ると雪だるま。それは、この京大においても基本である(左の写真)。そんな本部構内から、様子を見ることにしてみよう。 |
| 左の写真からはものものしい雰囲気までは伝わってこないであろうが、本部構内の北西の外れにあるこの建物は、ある意味ホットなスポットである。 |
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これ(右の写真)が工学部の化学系の建物への入り口なのである。取材は1999年2月に行われたが、この段階では逮捕等が終わっていたにもかかわらず、貼り紙が数多く残っている。 |
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| わかりやすい貼り紙(左の写真)が、ここが現場であったことを物語る。他の建物には、ここまでロコツな貼り紙は殆どないのだ。 |
| 静かな玄関を行き交う人々は、実際にはノーチェックで出入りしている。このええかげんさが、京大の京大たる所以なのである。(右の写真) |
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| ちなみに、事件といえばもう一つ、農学部のお茶である。農学部の現場入口(左の写真)にも貼り紙がある。なお、農学部と理学部は、道路を隔てて本部の北側の、「北部」と呼ばれる別の敷地にある。農学部といえば、「お詫び」事件もあるが、知らない人は知らないのだろう。 |
| 所変わって、南側の吉田構内。ここには、困った人たちがイタズラをするので有名な銅像があった。折田彦一先生の銅像である。1998年、この銅像は撤去された。イタズラが止まないからである。 |

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上の写真は、像の跡地である。これを違う角度から撮影したのが下の写真である。 銅像なき後も様々なオブジェが置かれ、朝日新聞の記事にまでなっていたが、「快傑ズバット」像も崩壊し、取材があった1998年秋の段階で、ごみ捨て場のようにしか見えなくなってしまっている。 現場は、吉田地区の門を入ってすぐで人通りも多いのだが、こんな様子すらも日常の風景に溶け込んでしまっている。 |

| なお、雪が降った1999年2月には、左の写真のような状態であった。 |
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こちらは吉田構内の南の外れ、一部で有名な吉田寮に隣接する、かつて音楽関係サークルの建物があった地帯である(右の写真)。1997年に不審火で焼失したすぐ後、何度か写真のようなやぐらが作られている。その目的などは不明。 |
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| 学部ばかりでなく、「東南アジア研究センター」のような独立性のある研究機関も、京大は持っている(上・右・下の画像)。「セクハラ」事件で有名になった教授(故人)の、退職前の本拠地だ。 |
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広大な敷地の南西のはずれ、医学部に食い込み、鴨川に面してこの建物はある。その中での出来事は、外からは窺い知れない。しかし、ここにも独立研究科ができている。レンガの向こうには、新しい建物も見える。扉は少し開いているのかも知れない。 (本項は2001年2月追加取材) |