| ちほく高原鉄道、足寄駅(左の写真)。かつては国鉄池北線の駅であり、古くは網走本線を名乗っていた路線の、それなりの主要駅である。 |
| 仰々しい入口(右の写真)があるあたりは、近年になって資金が投入された状況を物語っている。 |
|
| そんな駅に、国鉄時代の遺物もまた残されている(左の写真)。 |
| その二階には、地元出身歌手に関する展示が若干ある(右の写真)。 |
|
| そこには、年表までもが掲げられている(左の写真)。この地が余所者を呼び込むよすがは、知名度のあるこの歌手くらい、なのだろうか。 |
| もっとも、われわれ取材班の標的は、この、見る人も少ない展示(右の写真)ではない。 |
|
| 足寄町の中心部から直線でも20kmほど離れた大誉地地区。そこに、古い駅(左の写真)がある。 |
| 外観を見る限り、すべてが昔風の駅である。語源はともかく、あてられた漢字の字面(右の写真)は、気宇壮大さに溢れる。 |
|
| 駅は無人であり、かつての窓口はポスター掲示スペースと化している(左の写真)。 |
| 古びた木製の椅子が並ぶ待合室(右の写真)は、恐らく、暖房が消えたこと以外は昔のままなのだろう。そう、「あの人」がこの地に暮らし、離れるまでの時代と。 |
|
| ここで近代的な外観を示すものは、駅前の公衆便所(左の写真)くらいしかない。 |
| 「あの人」に最も身近だったであろう踏切(右の写真)は、その中心にある駅から足寄方向に1km強戻ったあたりにある。 |
|
|
その目印は、広告塔(左の写真)だ。もっとも、その点を除けば、何の変哲もない田舎の踏切にも見える、かも知れない。砂利道が続くだけの、何もない踏切だ(下の写真)。
|
| ここから見える建物が、今では人手に渡った、「あの人」の生家だ(左の写真)。 |
| その家にしか行けない踏切は、その家の人の名を取った。しかし今、この踏切に、その名を示すものは残されていなかった。有名になりすぎたが故に盗まれでもしたのか。 |
|
| 朝焼けに包まれて走り出したやまりん(左の写真)からの道に疲れながらも、鈴木踏切の名が書かれたものをひたすら探した、われわれ取材班であった。この踏切は、後に廃止されている。 |