| 道東の拠点都市の中心、北見駅(左の写真)。 |
| そこは、人通りも列車も少ない駅である(右の写真参照)。 |
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| そこに、本体とは別の棟がある(左の写真)。 |
| 国鉄から切り離された池北線を経営する第三セクターの、本社である(右の写真)。 |
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| この駅を一端とするちほく高原鉄道ふるさと銀河線の列車は、長いホームに1両だけで停まっていた(左の写真)。 |
| それでも、こ線橋には、存在をアピールする看板が待っている(右の写真)。 |
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| ここから出た列車は、田園の中を走り、時々行き違う(左の写真参照)。 |
| われわれ取材班は、途中の駅(左の写真参照)で降りることにした。列車は、当分こない。 |
| ここは上利別駅。改札口の跡に、人はいない(右の写真)。 |
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| それでも、落書きなのか装飾なのかすらわからない、すすけた絵が客を待っている(左の写真)。 |
| そんな駅は、消えかけた星占いに関する記述がかすかに残る標示物とともにある(右の写真)。 |
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| 待合室そのものは、残されている(左の写真)。開きっぱなしの改札口の上の時刻表が、過疎を物語る。 |
| そして、かつて出札口であったらしき構造や、荷物を扱っていたとおぼしき構造が、残されている(右の写真)。 |
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| 外観(左の写真)も含め、基本的な構造は、国鉄網走本線の並の駅として、それなりに利用されていたであろう時代のままのようである。 |
| 駅前に向かうまっすぐな道路があり、適当に空き地があるというあたりも、開拓地の駅でよく見られる構造である(右の写真)。 |
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| 駅前には、地元の人が世話する花壇のようなものがある(左の写真)。ここは、まだ、無人地帯ではない。 |
| われわれ取材班は、そんな駅を、適当に去った。 |
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| われわれ取材班は、陸別駅(左の写真参照)に降り立った。 |
| ホームに降りて最初に目を引くのは、大量のメモリアルレール(右の写真)である。 |
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| そこには、幾らかを支払った人たちの、ある程度の住所と氏名が書かれているそうである。小さな雪の結晶のような形の札が、個人情報の宝庫となっている(左の写真×2参照)。しかし、「永遠に走り続けるよう」応援されたこの路線は、もう、ない。 |
| この陸別駅は、いろいろなものを兼ねている。だから、玄関先には色々な名前が出ている(右の写真)。 |
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| 例えば、交通情報を表示する機械は、タッチパネルで限られた操作しかできないばかりか、千歳空港のURLが古いもののまま更新されておらず、肝心な情報を得られなかったりもする(左の写真)。 |
| それでも、宿泊施設兼道の駅に鉄道の出札窓口や土産屋、さらに観光案内所が加わった建物は、大きく、頑丈に見える(右の写真)。 |
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| ここに届く物資は、当然のようにトラックで届いていた(左の写真)。今では、鉄道は、貨物を運んでいない。 |
| そして、この広い駅前で、人影はほとんど見られないのである(右の写真)。 |
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| 列車は、松本零士がデザインした絵をまとい、待っている(左の写真)。駅裏の空き地ぶりと不自然に新しい植栽が、かつてここが貨物で栄えた時代があったことを示す。 |
| この駅には、その時代にふさわしい、こ線橋がある(右の写真)。客は、わずかな列車のために、この橋を利用させられ続けた。 |
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| 車内にも、松本画伯の絵がある(左の写真)。 |
| 廃止という終着駅に着く寸前の列車でこの絵と能書き(右の写真)を見た人々は、その先に何を見たのだろうか。 |
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| なお、車内の広告(左の写真)は、廃業等の影響か、上書きされたり貼られたり、あるいは白紙で隠されたりと、ややこしいことになっていた。こんなところまで、満身創痍というところか。 |
| 列車は、高島駅(右の写真)でしばらく停車した。 |
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| 少し離れて眺めてみれば、やはり昔風の国鉄の駅そのままである(左の写真)。 |
| 崩れかけた駅名標(右の写真)は、果たして最後まで役を果たしたのだろうか。 |
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| そんなこんなで列車は、終点の池田駅に着いた(左の写真)。 |
| ここから眺める改札口は、とてつもなく遠い(右の写真)。 |
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| 改札口から列車の方を見ても、それがどこかははっきりしないほど、遠い(左の写真)。 |
| それだからか、こ線橋の乗り場案内図(右の写真:クリックで部分拡大)は、その遠さを示している。 |
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| はるか遠くの改札の前では、観光客向けの看板が乗客を出迎える(左の写真)。しかし、このようなものは、沿線の老人には何の意味もないだろう。 |
| そして、ここでも乗換先としての案内が、示されている(右の写真)。 |
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| この小奇麗な池田駅(左の写真)もまた、さほど多くの人が立ち寄るわけでもない場所である。 |
| われわれ取材班は、遠くにワイン城(右の写真)を眺めつつ、この地を離れた。この路線は、2006年4月、廃止された。 |
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