| 1996年2月、トンネルが崩れ、通過中だった自家用車とバスに乗っていた合計20人が死亡した。 われわれ取材班は、そのトンネルへと、狭いトンネル(左の写真)が幾つとなく続く国道を、バスに揺られた。 |
| その周辺の道路は今もなお改修が続き、新しいトンネルが掘られていた(右の写真)。積丹半島の海岸部の地形は、厳しい。 |
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| それでも、さすがにあの豊浜トンネルは、新しく広いトンネルになっている(左の写真)。一時は事故のあったトンネルが利用されたこともあったのだが。なお、この部分は元々別のトンネルだったらしい。新豊浜トンネルとして掘られた穴が、別のトンネルと一体化した、らしい。 |
| 海側の一帯は、「セタカムイ防災広場」として簡単に整備されている(右の写真)。 |
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| かつて道路だったかも知れない場所は、今では埋められている(左の写真)。崩落現場への道は、最早閉ざされているようだ。 |
| そして、その手前には、慰霊碑が置かれている(右の写真)。儀式の場は、旧道や旧旧道を分け入らずともたやすく立ち寄れる場所が選ばれたということか。 |
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| その裏側(左の写真)には、事の経緯が書かれている。しかし、感情的な一部の動きや様々な紆余曲折は書かれていない。 |
| 鉄条網の向こうは、いかなる意味でも、立ち入ることのできない世界となっているようだ(右の写真)。 |
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| 改修された道路には、災害情報を伝えるための重装備が置かれた(左の写真)。同じようなものは、この道路には幾つとなくある。 |
| そんなことを知ってか知らずか、レンタカーで乗り付けたヤング(死語)たちが、残暑の浜辺で遊んでいた(右の写真)。 |
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| 2kmを越えるトンネルの反対側は、漁村の風情だ(左の写真)。ダイバーたちもこのあたりには出没する。 |
| トンネルのこちら側は、地元民が手前までの道を利用するからか、単純に穴だけが塞がれていた(右の写真)。 |
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| 新しいトンネルを越えてくるバスを待つにも、周囲は何もなく、電波も入らない。日差しと戯れるしかない、われわれ取材班であった。 |