『 週刊 Hanko 』 392号
幸と不幸の週末 : (四/七婆)の再会 & Sさんの告別式
山々が赤や黄色に彩られ,夕日はもとより,抜けるような青空にもくっきりと映え,目に楽しいこの頃です。銀杏の葉が風に舞い,道の両脇を黄色に縁取って積もりました。今年は紅葉がきれいです。
◆(四/七婆)の再会◆
11月の最後の週末,横浜・藤沢・流山の各地から,友達3家族がやってきて,みんなで北軽のペンションに集合しました。
横浜楽友協会に私が参加していた当時クラリネットを吹いていた,今では通称「七婆」と呼ばれる7人中,4人が集まったことになります。家庭を持ち子供が生まれて,なかなか皆の都合が合わず,4家族も揃ったのは初めてのこと。かつての4人が,今では総勢14人の大所帯となり,ペンションもほとんど貸切り状態で(他にカップルが一組),賑やかに過ごしました。
子供は全部で6人,でも大人が8人もいると目が行き届いていいですね。夏希は一つ上の女の子と仲良くなって,食事も一緒,寝るのも一緒(その子の部屋に泊まった),翌日のドライブも一緒(その子の車に乗った),春歌も姉の後を追っていくし,私は随分ラクをしました。^_^;
楽器を持ち寄って,久々のアンサンブルも堪能しました。皆,母親になっても「準現役」で頑張っていて,初見大会でもとりあえず楽しめる。お互いに触発されて,よい刺激になりました。
ペンションは,友達が苦労して見つけてくれた所で(小さい子連れだと断られることがある),行くまで知らなかったのですが,なんと3Mの天体ドームを持っていて,夜は9時から星の観測会! 運良くとても良いお天気で,惑星(木星・土星)や,星団や星雲などを,大きな反射望遠鏡でたっぷり見せていただきました。「ポッキー」と言う名のペンションです。星の好きな方は,ぜひどうぞ。
http://pension.to/pocky/
◆Sさんの告別式◆
ところで,その嬉しい再会の日は,Sさんの告別式の日でもありました。
学校がお休みの土曜日とあって,県内各地から教員の友人知人が集まりました。それこそ15年ぶりで会う先輩同輩と,場所が違えばわいわい騒ぎたいところなのに,こんな時にしか再会できないというのは悲しい話です。たくさん立ち並んでいる花輪が,全部Sさんのために立っているのだと思ったら,無性に憎らしくなりました。遺影はSさんらしいとても温かな笑顔で,それが返って涙を誘いました。旦那は弔辞を読みました。
私がSさんに初めて会ったのは,大学のサークル(気象研究部)で,当時4年生だったSさんに,天体望遠鏡をのぞきながら,たくさん星の話を聞かせてもらいました。Sさんの親友である,今の旦那を紹介してもらったのも当時のことです。就職して,私が天体望遠鏡を買う時にも色々アドバイスをもらいました。何年も後に,私と旦那が結婚することになった時もとても喜んでくれました。自宅で星の観測をするべく,自作の「観測所」を作っていて,私達も完成を楽しみにしていたのに…。
星の大好きなSさんが,この空の星の一つになったのではないかと思えるような日に,図らずも天体望遠鏡で空を仰ぐことができるとは,なんという奇遇でしょう。解説をしてくれるペンションのオーナーの姿がSさんと重なり,声が聞こえるようでした。
人は皆,2度死ぬんだそうです。最初はその肉体が滅ぶ時。2度目は,その人のことを知っている最後の人が死んだ時。Sさんはまだ多くの人の中に,旦那の中にも私の中にも生きていて,時々語りかけてくれることでしょう。
我が家のパソコンルームには,Sさん作の,2000年のカレンダーが飾ってあります。再発する前の自宅で,(体力が落ちて階段が昇れないので)1階の部屋から2階のプリンタまでLANを繋いで,長女に用紙をセットさせ,ノートパソコンからデータを送って印刷してくれたものです。写真は,病院にお見舞いに行った時にデジカメで撮ってくれた娘たちの写真。我が家にとっては「遺作」となりました。今使っている今年のカレンダー(Sさん作)と合わせて,娘たちのアルバムに残しておきたいと思っています。
* * * *
これを書いている間にどんどん風は冷たくなり,年の瀬が近づいてきました。雪の便りをわくわくしながら聞くと同時に,喪中の葉書もたくさん届いて,いつになく,亡くなった方やそのご家族のことに思いを馳せるこの頃です。降り積もる雪が,いつか解けて大地を潤していくように,それぞれの思い出を心にとかして日々生きてゆかれますように,心からお祈り申し上げます。
1999. 12. 09 斎藤 範子(Hanko)
☆感想のお便り、お待ちしてます。 hanko.saito@nifty.ne.jp
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