『 週刊 Hanko 』 493号
イラク戦争に寄せて
(「ヴェニスの商人」 祈りについて & 人間の盾)
先週は長袖を3枚重ね着していたのに,今週は半袖という暖かさ。子供たちはすっかり喜んでプールが始まると勘違いしているようですが,私は入り乱れたオールシーズンの衣類の整理に悩まされています。^_^;
ところで,開戦から約40日。傷痕を深く残してイラク戦争は終わりました。新聞に溢れる関連記事の中で,必ず読んでいたのは姜特派員(女性)の従軍ルポ。壮絶だったそのルポも今日(4/19)で終わり。戦争が終わってやっと帰れるのに「初めて一晩中泣いた」というのが最後でした。私もいま一つ心のもやもやが晴れません。「悪い魔法使いをやっつけたので,今まで魔法にかけられていた人たちも,皆元の姿に戻ることができました。めでたしめでたし」といかないところが悲しい。
今回は,この戦争で思い出したこと・考えたことを3つ。
◆「ヴェニスの商人」◆
なぜ,いきなりシェークスピアなのだ?? まぁまぁ。
話を簡単に要約すると,ヴェニスのある商人が,友達の保証人になり,高利貸しから金を借りた。金貸しは,日頃からその商人に恨みがあったので,期日までに返せなかったら違約金の代わりに商人の肉1ポンドをもらうという契約書を交わす。ところが商人の全財産を積んだ船が難破し,本当に返せなくなってしまう。金貸しは肉1ポンドを執拗に要求し,裁判に持ち込む。裁判官は金貸しに「慈悲を」と求めるが,金貸しは断固としてきかない。そこに若き法学博士が登場する(実は,友達の奥さんの変装)。そして金貸しの主張を正しいと認めた上で,「契約書には『肉1ポンド』とだけ明記されている。だから血を与えることはできない。きっかり1ポンドの肉を,血を流さずに取れ。もし切り取る時に一滴でも血を流したり,寸分の狂いがあったなら,お前の財産は全て国庫に没収する」という名判決!金貸しはやむなく諦めるしかなかった…というお話。
私はこれまでずっと,この「若き法学博士」がスゴいと思っていました。実際スゴいし,だからこの法廷が名場面なんだけど,今回の戦争のおかげで金貸しも偉かったということがわかりました。ちゃんと話を理解して,超悔しいけど引き下がった。とっても偉いじゃない。
これが某国の大統領だったらどう?「絶対に血を流さずに肉をとって見せる」と言って,剣を突き刺したかも。流れた血を見て「被害は最小限に押さえた」と胸を張って言うかも。それで全財産が奪われても,また奪い返す方法を考えたかも。でもそれじゃ,お話にならないでしょ。お話にならないことが実際に起きてていーのか。国際的な名裁きをする人が,国連にはいないのか…!と,それもやるせない思いがしました。
ところで,『ヴェニスの商人』はシェークスピアの有名な喜劇。今回図書館で借りて(ジュニア版よ),ン十年ぶりに読み返してみたら,本当に面白かった(特にこの裁判の後がね)。ニヤニヤしながら読んでいたら,夏希が「何がおもしろいの」とうるさく聞くので,本を貸してあげました(読んでくれなかったけど)。本のおもしろさは読んでみなきゃーわかんないよね。
◆祈りについて◆
今回ほど「祈る」という言葉をあちこちで見聞きしたことはない…と思うくらい,新聞にも祈りの記事がたくさん出ていましたね。実際,祈らずにはいられない,祈るしかない,という状況でしたが…「祈る」という言葉で思い出す人のこと。
ずっと昔,「なぜクリスチャンは祈るのか」と質問されたことがあります。その人は「誰かの病気が治るように祈るより,お見舞いに行く方がいい」という言い分。実際,その行動力は素晴らしくて尊敬に値したので,「祈りは通じるから」なんて言ったら鼻で笑われたかも。それで,こう答えました。
祈るというのは,覚えている,ということ。例えば病気の人に,お見舞いしたくてもできないこともある。でも,覚えていれば,折りにふれ行動に現れる。忘れてしまったらかけることができない言葉がかけられる。それはささやかなことだけど,人間て,ちょっとしたことで温かくなれるから。ちょっとしたことで色々が変わっていく事もあると思うから,それを信じて祈っている。誰かのために,何かのために祈る,というよりは,そのことに関して自分が何かできるように,忘れないために祈るのではないか…と。
ふーん,まぁ,そういうことならわかる,とその人は言いました。
今なら「それで?君は今回,何を祈って,そのために何ができたの?」と,聞かれるかも。…そしたらなんて答えられるだろう。
◆人間の盾◆
私がその存在に気がついたのは,つい最近のこと。何も持たず,自分の体だけで戦争のただ中に立ち,反戦をアピールするという。驚いた。「自己責任で命を投げ出すことのできる人」が各国から集まったというが,いったい何人くらいの人が集まったのだろう。何百人?何千人??
でもすぐに,「人間の盾」に反対する人の意見も知った。犠牲者は一人でも少なく…と皆が願っているのに,好き好んで命を捨てるような真似はしてほしくない,と。
それに,「人間の盾」の歴史も知った。湾岸戦争の時,イラク軍が多国籍軍の攻撃を防ぐために,イラクに滞在していた他国人を軍事施設毎に強制収容したのが,その始まりだったと。多国籍軍はイラクの人質になった自国民を犠牲にできず,攻撃を中止した。多国籍軍にしてみたら,「イラクの汚い手」であり,あってはならないことだったのだろう。
でも今度の「人間の盾」は,自由意思で集まった人たちである。何かせずにはいられないその気持ちと,実践する勇気には脱帽する。
でも本当かうそか,「人間の盾」や報道人がいると知りながら,米軍が攻撃した…という話も聞くと,無駄死にするなら行かないで欲しいとも思う。
でも,人が死ぬのを遠くで見てるだけなんて,絶対できない…っていう人もいるんだよね,きっと。そして周りが何と言おうと,他人のために命を捨てる覚悟のできる人って,やっぱりすごいと思う。
皆さんは,どう思いましたか?
2003. 4. 19 斎藤 範子(Hanko)
☆感想のお便り、お待ちしてます。 hanko.saito@nifty.ne.jp
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