『 週刊 Hanko 』 595号
◆追悼・Y大先生◆悪循環◆
新年のご挨拶をするには、随分と日が経ってしまいました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
昨年末から多忙な日々を過ごしていたら、春歌の発熱を筆頭に、真希、私、夏希と順番に熱を出し(子どもは9度、私も8度を超えました)、それでもお正月にはみんな気合いで治して両親・弟家族と一緒にホテルに2泊してきました。
2日目、子供達は人生ゲームに熱中したり、爺婆とお散歩したりと勝手に楽しく過ごしてくれたので、おかげで私は持って行ったノートパソコンとDVDでビデオ三昧。時計を気にしない幸せを満喫しました。
◆追悼・Y大先生◆
公私にわたってお世話になっているY先生のお父様が亡くなられました。
噂によると、お父様は気難しくて有名?とのことですが、私の中に残っている印象は違います。
10年ほど前、お父様が、40年近い教員生活の中で出会った子供達の記録をまとめて自費出版されました。確か100冊しか作らなかったと聞いていますが、その中の貴重な1冊を私に下さいました。お仲間も教え子もたくさんいらしたでしょうに、直接関わりのなかった私に下さったのが嬉しかったのと、その内容にとても感銘を受けたので、お礼と共に感想のお手紙を差し上げました。するとしばらくして、大きな薔薇の花束が贈られてきたのです。「お手紙に感動したので薔薇を贈ります」という、素敵な「漢詩」(達筆!!)も添えられていました。私の父と同じくらいの年の方ですが、私に花束を贈ってくれた最後の男性です(今のところ…。つまり、その後10年、こんな大きな花束をもらったことがない!)
とても嬉しかったので、家に飾って写真も撮りました。
その後、あまりお目にかかることもなく十年がたってしまいましたが、本棚に並んだ本を見るたび、アルバムに残った薔薇の花を見るたび、ふっと温かい気持ちになりました。
本の中に、好物がいくつか書かれていて、いつかそれをお届けしようか…などと思いながら、そのきっかけもつかめず、漠然と月日が流れていきました。
「いつかの花束のお礼です」と言って伺うのが、そんなに難しいことだったのだろうか…。著者が亡くなって、途端に重みを増した本を読み返しながら、一人悔やんでいます。
「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」
西行様にあやかって、「桜の花びらのふりしきる折り、月を枕にあの世に旅立ちたい」と書かれていたY大先生。こんなに寒い冬でなければ、もう少し頑張って望みが叶えられたのでしょうか…。今年の冬の寒さがますます恨めしく感じられます。
どうぞ安らかにお眠り下さい。
◆悪循環◆
もう一人、今年になってよく思い出す先生の話。
もう20年も前のこと、友達が彼と喧嘩別れをして帰ってきました。が、その日の夜中に彼が友達を訪ねてきて言ったことには、
「教職についていながら、一番大事な彼女一人もフォローできずに、子供達に何を教えるというのだろう。そう思ったら家に帰れなくなった。僕が悪かった」
もちろんその夜、二人は仲直り、彼女はぐっすりと眠ることができたそうです。
当時私は「彼」がいなかったので、真摯に付き合う二人というのは、こういうものなのだろうと思いながらその話を聞きました。
でも大人になると「謝る」ということがとても難しいらしい。うちにいる先生なんか、自分が悪いとわかっていても謝れないらしい。一言謝ってしまえば私の気持ちもおさまるのに、それをしないでお皿を洗ったり掃除をしたり、作曲したりしている。一度や二度ならそれで誤魔化されるが、十年も繰り返されると、何故そんなに謝ることを拒むのか…と不審の念もわく。解決されずに累積されていくから、繰り返すたび怒りは増す。私が怒っているのに平気な顔で暮らしているのも気にくわない。無視されると余計に腹が立つのに、自分で火に油を注ぐ行為をしながら、「かんしゃくもちだから話したくない」という。完全に悪循環である。今、私はそんな環境にあるので、前述の先生の話が、涙が出るほどうらやましい。
喧嘩するほど仲がいい、と言うではないか。喧嘩もできなきゃ仲直りもできないとは情けない。誰か、うちの旦那に「正しい喧嘩の仕方・謝り方」を教えてやって下さい。
正月早々、(仲睦まじい年賀状とは裏腹に)不穏な齋藤家ですが、今年もどうぞよろしくお願いします。
2006. 1. 13 斎藤 範子(Hanko)
☆感想のお便り、お待ちしてます。 hanko.saito@nifty.ne.jp
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