School-days


†…School-days.1-2… †

 「ねぇ、真由子、起きてよ〜」

 「なによっ、わたしはまだ寝てるのよぉ!!」

 テントの中から寝惚けた真由子とそれを必死で起こそうとする朋美の声がする。まぁ、毎朝の変わらない光景だが、今日はそれをのんびりと待っている気はなかった。僕は声の聞こえるテントまで歩み寄ると、息を一つ深く吸った。

 「早く起きるんだ!!!!」

 二度目の僕の声が真由子の目覚ましになった。

 「…彼女の意志で行った。止める事は容易かったが、止めなかった。彼女はそれを選んだのだから」

 「だから、なぜなんだ?」

 「本当に君はそれをわからないのか?」

 英人は底知れない瞳を僕の方に向けてきた。

 「……」

 「知っているのなら、問わない事だ」

 「じゃあ、わたしたちはどうするわけ?」

 真由子が僕に起こされた理不尽さをぶちまけるように不機嫌に言った。しきりと髪を気にしているのはやはり寝癖が気になるのだろう。

 「それは君たち次第だ」

 「もちろん、追いかけるわよ!!それ以外ないじゃない!」

 「麻美は喜ばない」

 「追いかけないとわたし達が喜ばないわ!」

 英人の口元に淡い微苦笑が浮かんだ。

 「みんなも同じ気持ちよね!」

 真由子が僕たちを見る。朋美もさやかも茉里も頷く。

 僕は…頷けなかった。

 「健司!!!」

 「…彼女が選んだんだ。それなら」

 バシッ!!

 右の頬に痛みが走り、僕は最後まで言えなかった。

 「本気で言っているわけじゃないわよね」

 「マジと言われたら、まじい」

 久しぶりのさやかの超凶悪なジョークに場が危うく崩れかけたが何とか僕は踏みとどまった。

 「ああ、本気じゃないね。出来る事なら、やっぱり最後まで手伝いたいよ。でも…彼女の気持ちを考えると…」

 「無理ってわけね」

 朋美が僕の言葉を受け継いだ。朋美は続ける。

 「でもね、健司の気持ちが大切なんじゃないかな。麻美の気持ちをわかってあげるのも大切だけど、麻美の気持ちは健司やわたし達の気持ちを考えたからこそとも言えるわ」

 「……わかった。行こう」

 「そうでなくっちゃ!」

 真由子は嬉しそうに言った。どうやら寝起きの不機嫌からは解放されたらしかった。

 「これから先、この島、すべてが敵になる」

 英人の言葉は真実になった。

 それからと言うもの前にも増して、多くの奇怪な動物たちとの戦いが増えた。もちろん、大人しくやられるつもりはなかったから、相応に撃退したが、ぐっと行進のスピードは遅くなった。

 そして次に僕たちの前には砂塵が待っていた。これでまた立ち往生だとまた麻美と離れてしまう。

 「くそっ!!これじゃあ、彼女と離れていくばっかりじゃないかっ」

 ついつい愚痴を言ってしまう。しかし、誰も何も言わないのは、もう聞きなれてしまったのか、それとも同じ気持ちかのどちらかだろう。

 「英人…」

 「わかってる」

 茉里の言葉に英人は頷く。先頭を歩く彼は砂塵を前にして立ち止まった。じっと目を砂塵に向けている。

 「この先にこの砂漠の主がいる。どうやら私達を見逃してくれる気はまったくないらしいな」

 「どうするのよ?」

 と真由子が苛立たしげに尋ねた。

 「戻るか、倒すかのどちらかしかない」

 「倒せるの?」

 「それは君たち次第だ」

 そう言って英人は無造作に歩みだした。この先、敵がいるのにだ。そして彼の姿は砂塵により消えた。

 「前に進まなければ、敵は倒せません。皆さんも進んでください」

 茉里はそう言うと、彼女も進んだ。

 僕は不安だった。物凄く不安だった。

 彼らの様子を見る限り、この砂漠の主と言うものはどうやら単純に戦って勝てるもののようだからだ。

 「覚えておいてください。砂漠は蜃気楼を作り出します。しかし、それは決して実像ではありませんが、この砂漠ではあなた方の忠実な過去という名の真実でもあるのです」

 茉里の言葉が砂塵の中から風に流されてきた。

 「わたしは行く。メロスはどんな事があっても走って前に進んだのだ。まぁ、わたしはメロスではないけど」

 さやかはわけのわからない理屈で砂塵へと消えた。

 「まっ、しゃーないから、わたしも行くか」

 真由子も。

 「前に進むしかないよね」

 朋美も。

 そして僕だけが残った。

 僕は彼らみたいに何も考えずに突き進む事を勇気だと思わない。何かに打ち勝つ方法もわからないままで戦うのはそれは無謀だと僕は思う。

 ―――しかし、このままでいていいというわけでもない。

 今、僕に求められるものは進むか否かだ。

 麻美…君ならどうしただろう?

 <健司のためならわたしこの命、捨てられる>

 ………

 ……

 …

 僕は一度、頭を振った。

 考えるのは無しだ。

 そう、僕は麻美のためならこの命、惜しくない。

 無謀だろうが何だろうが、僕は進むしかないのだ。

 そうして、心が定まると、僕の心は無我の境地に近づいた。

 風も、自分の足音も、呼吸さえももう聞こえない。

 いや、意識をすれば聞こえるのだが、それは自然の音のために聞こえない。

 ただ、自分の鼓動だけがいやに耳につく。

 そうして、僕は砂塵へと足を踏み入れた。

 砂塵の中は視界3メートル以下だった。目を開けていられるのが、やっとで僕はまっすぐ歩いているのかさえもうまく把握できなかった。しばらく慎重に歩く。

 「健司…?」

 突然、不自然な声が響いてきた。

 この声は…。

 「麻美!?」

 僕は声をあげたけど、答えはなかった。その代わり、僕の前方に人影があり、それがすっと砂塵の中に消えた。僕は必死で追いかけた。麻美であるのなら、今すぐにでも強く抱きしめ、その無事を感じ取りたかった。

 「麻美!」

 僕は必死で人影を追いかけ、やっと彼女だとわかる距離まで近づいた。僕たちのもう二メートルもないだろう。

 ただ砂塵の風だけが僕たちの声を遮っていたため、僕はこの距離でも怒鳴らなくてはならなかった。

 「…怖い…怖いの」

 彼女のか細い声が僕の耳まで届いてきた。

 「誰だって自分の命を投げ出す時は怖いもんだよ!」

 「…わたしは自分の命がなくなるのが怖いんじゃないの、健司と会えなくなるのが怖いのよっ」

 彼女の印象的な瞳が濡れている。その瞳が僕を見上げてきた。僕に彼女はしがみつく。自然と僕の腕は彼女を抱える形になった。

 「…大丈夫、僕はずっと一緒だよ。麻美が死んだら、僕も死ぬから」

 彼女の髪を撫でる。彼女の肩は小刻みに震えていた。

 「それじゃあ、なんの成果もわたしにはないの。あなたが生き残ってくれなければ!!…だから、わたしは命を捨てる決意を固めたの…。それで…」

 彼女は言葉を切った。そして一つ息を吸い込むと、続ける。

 「それでも、怖いの。別れが辛いの。もう会えないと思うと…」

 僕はただ彼女の髪を撫でるしかなかった。震える彼女の肩はあまりにもこの砂漠を横断するには弱弱しいものだった。

 「…逃げよう。それしかたぶん僕たちには道は残されていないんだ」

 「うん」

 僕は混乱した。

 『彼女』じゃないと思った。

 確かに彼女は僕の腕の中にいる。手のひらが麻美の感触を伝えているのは確かだ。しかし、でも、僕は違和感を覚えていた。

 彼女の悩み、彼女の形、彼女の声、彼女の思い

 すべて麻美のものだ。でも、彼女の意志じゃない部分が確かにあったんだ。それは最後の「うん」という部分。

 なぜだ?

 <砂漠は蜃気楼を作り出します>

 ふと茉里の言葉が思い出された。

 これはもしかすると蜃気楼?

 「逃げよう、健司」

 見上げてくる麻美。その瞳、その顔、その声、どれもが僕の知っている麻美だった。

 「うん、逃げよう、麻美」

 僕は彼女の腕を掴んだ。彼女はどう見ても、麻美そのものだった。

 違和感は消え去ろうとしていた。

 「本当に彼女を麻美だと思うのだったら、それは大いなる侮辱だよ、ワトソンくん」

 さやかの声が僕を現実に引き戻した。ひらりとポケットから人型の紙が零れ落ちる。

 式神!?

 僕は愕然とする。まわりを見渡しても、僕たち以外、誰もいない。たぶん、さやかが僕のポケットに無断にこの式神を忍ばせておいたのだろう。

 僕は麻美を見て、一度震えた。

 彼女はまったくの無表情だったのだ。

 「蜃気楼を消滅させるのだよ、ワトソンくん」

 さやかの声がする。目を落ちた人型の紙に目を移すと、いつのまにかにその紙は手のひらサイズのさやかになっていた。

 「…消滅?」

 「そうだ。まぁ、具体的に言えば、剣で斬れという事だな」

 「できるわけないだろ?!」

 僕は式神に怒鳴った。さやかの形をした式神はただ沈黙を守った。

 「麻美、君は麻美だよね」

 「もちろんよ、健司」

 麻美はにっこりと微笑んで、答える。

 …でも、ここは砂塵の中だ。微笑める状況じゃない。

 斬る!!

 僕の右手は刀の柄へと伸び、そして麻美の頭上へと白刃を振り下ろした。

 あと2cmで彼女を斬る所で、僕は刀を止めてしまった。

 麻美の姿をしているものを僕は斬れない!

 「あれは麻美ではない」

 さやかの声が耳に痛い。僕にもそれはわかっている。

 それでも愛する人の形をしたものを僕はどうやって斬ればいいのだろう!?

 「では、私が斬る」

 ふと英人の声がした。僕は愕然と顔を声のした方に向けた。さやかが僕の右側にいる逆からの声だった。

 そこにも手のひら大の英人が佇んでいた。僕のポケットに忍ばせられた式神は二枚だったのである。

 「やめろっ、英人!!」

 「なら、君は斬れるのか?」

 「ああ」

 一度、深呼吸をして、酷く高鳴る鼓動を落ち着かせた。

 刀を握る右手に力をこめる。

 そして、その刀をもう一度振り上げ、そのまま僕は前へと振り下ろした。彼女の蜃気楼は縦に斬り裂かれた。

 血は出なかった。

 ただ麻美の蜃気楼が消え去っただけだった。

 しばらく僕は荒い息を整えてたのだろう。気が付くと、さやかと英人も紙に戻っていた。

 「行かなくては…」

 麻美が待っている。

 砂塵は唐突に消え去った。あたりを見回すと、前方の方に英人とさやかが、右手には朋美と真由子、左手に茉里がいた。

 「全員無事に抜け出せたようだな」

 「ひどい冗談を見せられた気分だわ」

 英人の言葉にげんなりと真由子がぼやく。

 「ここの砂漠の主は“心の渇き”だ」

 「心の渇き?」

 英人の言葉に朋美が首を傾げる。

 「心は常に潤いたい。もっとも欲する何かに砂漠の蜃気楼は変化して、人の心を惑わすのだ」

 「知ってて教えなかったわけね」

 真由子の声が不信に滲む。

 「たぶん知っていたとしても、結果は変わらなかっただろう。それほどに真実である蜃気楼だからだ」

 真由子や朋美、茉里、さやか、英人の心の渇きは何だろう?と思った。そして、たぶんここを通った麻美の渇きは何なのだろう?

 人は誰もが満たされていない。金はあっても、愛はあっても、結局、何かのパーツが欠けている。それは心の充実かもしれないし、金かもしれないし、愛かもしれない。でも、それがどんなものであれ、目の前にそれが本物そっくりに現れたら、人はそれに抗うにはかなりの抵抗を覚えていただろう。

 「これから先は都市だ。しばらくは居住区があって、その先にアゴラ、そして中央にアクロポリスがある」

 「アゴラ?アクロポリス?」

 「アゴラは広場で、アクロポリスは都市の心臓部である城山だ。たぶん、麻美はそこに向かっている」

 街並みはギリシアの遺跡を思い浮かばせた。

 ほとんどが廃墟で、やはり風化(水による浸食?)により、形をなんとか保っていると言った程度だった。彼女が選ばれるきっかけになったのはギリシアのオリンポス神殿…つまり、何かしらの繋がりがあると考えた方が妥当なのかもしれない。

 「そこに何があるの?」

 「知らん。たぶん、祭壇だろう」

 真由子の言葉に英人は無責任に答える。

 「祭壇?」

 「神が降臨する場だ」

 「そこで本当に神が降臨するんでしょう」

 英人の不親切な説明に茉里が補足する。

 「神が降臨して、どうなるの?」

 「進化を促進させる破壊を行うのでしょう」

 茉里は前を向いたまま言葉を続ける。

 「人を最低限残させ、それと同時に文明文化の破壊をします。そうする事により、科学よりもより正しい方向性を持った技術が発明され、より高度な社会を建設する事でしょう。それが“世界”にとっては正しい事なんでしょうが、世界の進化に善悪がないだけ始末の悪いものになりがちです」

 「人間が悪いことをしたから、罰するというわけではないの?」

 「おそらくは」

 茉里は慎重に真由子の言葉に頷いた。その刹那、僕たちが進むはるか先から強力な光が数秒だけ放たれた。

 「なんだ今のは!?」

 嫌な予感がした。

 「英人、これは…やるしかないよ」

 茉里が意を決したように言った。英人も茉里の意図したことがわかったのだろう。すぐに頷く。

 「やるしかないか」

 「うん。たぶん茉里は時空を超えてしまって移動したみたいね」

 茉里の手が黒いオーラのようなものに包まれた。英人はその茉里の姿を見ながら、僕たちに説明をした。

 「これから時空を強制的に捻じ曲げる」

 茉里がその黒いオーラに包まれた手で空間に絵を描くように動かした。そうすると、彼女の手により触れられた空間は捻じ曲がった。つまり、茉里の手が通り過ぎると、景色が歪んでいくのだ。

 「私がその捻じ曲がった空間に入れるように斬るから、あとはさやかの陰陽術による私の式神でなんとかなるはずだ」

 「万事、オッケーだぜ、ベイビー英人」

 さやかが安請けあいする。

 「英人と茉里はどうするの?」

 「ここで待っている。時空を捻じ曲げた後、茉里は時空の矯正で手は離せないし、私もここに残らなくてはならないのでな」

 「英人!」

 英人がほんの少しだけ口元を歪めた時、茉里の声が響いた。

 「わかっている」

 英人の手が縦に素早く振られたのを認識する前に、僕たちはいつのまにかに真っ暗な闇に包まれていた。なんとか時空は移動できたのかもしれない。

 「光よ」

 さやかの声がして、光が右側にともる。

 かなり強い光でまわり20mは明るく照らし出していた。

 そうして、改めて辺りを見回すと、真由子と朋美も確認できた。

 「ここがゆがめられた時空の中かしら?」

 真由子が言うが、誰も答えることができなかった。

 「とにかくさやかが頼りだからね」

 「任せろ。正義は最後に絶対勝つというのが相場になっているんだ。もっともわたしは正義ではないが」

 朋美の言葉に胸をそらせるさやか。

 正直な話、不安になったが、とにかくこれからは彼女の陰陽術がすべてだ。さやかはどこからともなくろうそくを取り出すと、胸の前まで持ち上げ、そして火をつけた。

 「わが名において命ずる。麻美の下まで導け」

 さやかの言葉に反応するように、ろうそくの炎は揺れた。それを見ながら、さやかは僕たちを連れて、歩き出す。

 四人とも無言だった。たぶん、あの光のことを考えているのだろう。

 もしも、あの光に麻美が飲み込まれてしまえばたぶん麻美の命はもうないだろう。

 この島に来る前、彼女…麻美とデートをした。よく晴れた日で世界の危機なんてどこにもないような気にさせるような平穏な一日だった。買い物をしたり、一緒にランチを食べたり、楽しくお互いに時間を過ごした後、僕たちは東京タワーにのぼった。彼女は眼下に広がる大都市を眺めながら、ただ静かに呟いた。

 「ありがとう。とても楽しかった」

 「僕の方こそありがとうと言いたいくらいに楽しかったよ」

 僕たちのほかにも数組のカップルがいたけど、その誰もがとても幸せそうな表情を浮かべて、肩を寄り添わせていた。だけど、僕たちの表情は残念ながら、彼らたちと同じにはなれなかった。

 「今までありがとう」

 麻美が繰り返す。彼女はうつむいてしまって、表情を読み取れない。だが、声音は震えていた。

 「付いてくよ」

 「えっ?」

 彼女が僕を見上げてきた。瞳が濡れていた。

 「浮上した大陸まで付いてく。そこが地獄でも」

 僕はその時彼女とどこまでも行こうと決意した。

 …

 十分も歩いただろうか、唐突にさやかのろうそくが消えた。

 「ここよ。ここから麻美の気配がする」

 「早くあけろ!!」

 「待って…」さやかはマジシャンが空中からカードを取り出すように一枚の人型の紙を取り出した。「大バカ、英人!!」

 人型の紙をさやかは投げると、紙は質感を持ち、そして英人へと変化した。

 「何のようだ?」

 「麻美の下へ空間を繋いで!」

 「承知」

 式神・英人は右手を縦に一閃させた。

 闇の空間から光が漏れ、そして光が僕たちを包んだ。

 <心細い…助けて…>

 麻美の声がする。

 <助けて…健司!!>

 「健司!」

 「わっ」

 目をあけると、真由子の顔があった。一瞬、麻美ではないのかと落胆したが、今はそんな状況じゃない事を思い出す。

 辺りを見回すと、どこかの建物の中だとわかった。巨大な柱とアーチ状天井を確認できる。さやかや朋美もすでに意識を取り戻してるようで、二人は大きな石碑の前で何事かを話していた。

 「あの石碑は?」

 「あれが神託の石碑よ」真由子は一度言葉を切って、何かを思案したようだが、すぐに続けた。「そして麻美がわたし達の目の前であの石碑に消えていったのよ」

 「…じゃあ、麻美は?」

 「あの石碑の…中よ」

 「石碑の中…」

 僕は真由子に助け起こされると、石碑の前へと進んだ。闇の色をしたその石碑に不気味な光の文字が浮かんでいる。その意味なんてわからない。僕は石碑に手を触れてみた。石独特のひんやりとした感触がする。

 「ここに入れるか?」

 「入るくらいなら、朋美の力を借りて、わたしでもできるわ」

 さやかが答える。僕は頷いた。それで充分だった。

 「でも、帰って来れないかも」

 「望むところだ」

 僕は腰にさげた正宗の柄をちょっとだけ叩いて見せた。

 「でも彼女の下に正確にたどり着く事さえもできないかもしれないわ」

 さやかは首を振る。

 「でも、入るしかないんだろう?」

 「無駄死にをさせるために術は使いたくない」

 さやかは頑強だった。

 「僕には麻美の助けを求める声が聞こえたんだ!だから、僕は行かなくちゃならない」

 「聞こえたっていつ?」

 朋美が話に加わってきた。

 「この空間へ出て、気を失った時だ」

 「もしかして…」

 「何?」

 真由子が朋美の言葉を促す。朋美は自身なさそうに続けた。

 「健司と麻美は何か特別な力で結び付けられているのかもしれないわ」

 「特別な力?」

 「前世の縁とか運命とかそういう特定の人間にだけ有効な磁力の事よ」

 「…それに頼るしかないのかもね」

 真由子は僕を見た。僕も頷いた。

 「どうやるんだい?」

 「さやかとも話したんだけど、この石碑は人間の骨を加工して作られたものなの。だから、多くの念がここにはこの石碑には残っている。その彼らの念と健司を同調させる事により、石碑の内部へと行くつもり。たぶん多くのゲートにこの石碑はなっていると思うけど、健司が麻美と同調した事により、たぶん、彼なら正しいゲートと結び付けられるわ」

 真由子の質問に朋美が答える。

 「…わたしは行けないのね?」

 「真由子よりも健司の方が確率は高いわ。それにこの石碑は一人一人しか転送できないようになっているし」

 さやかが真由子の言葉に首を振った。

 「そう…なら、健司に任せるわ」

 真由子の視線を受け、僕は躊躇なく頷いた。

 朋美がフルートのような横笛に口をつけると、その笛からどこか物悲しい音が漏れ出した。その途端、それに呼応するように石碑の断面がゆらりと揺れだす。

 さやかが胸の前で複雑な印を両手で組み、何事かを呟く。

 石碑の断面の揺れが固定化されていき、一見洞窟のような穴ができた。

 「健司!!」

 さやかの声が合図だった。僕は走り出すと、一気にその穴の中へと入った。「絶対、帰ってくるのよっ!」そんな真由子の声が聞こえたような気もしたけど、それに答える余裕は僕になかった。

 闇だと思っていたその中は実際は薄明かりに照らされたギリシア風の宮殿だった。麻美を追いかけなくては行けない。しかし、僕にはその手段すらわからなかった。麻美が進んだのは前なのか、後ろなのか、それともまったく別の世界に移動してしまったのか、それすらもわからない。

 どうすれば…

 「健司と別れたくない。でも、もしもわたしが…」

 麻美の声がした。後ろを振り向くと、走り去る麻美の姿がぼんやりとだけ確認できた。

 「麻美!!」

 追いかける。しかし、彼女の足音は聞こえるけど、姿は見えない。

 「健司…ごめんなさい」

 足音のする先から声だけが響いてくる。

 彼女は確かに僕を求めている。

 「麻美!!」

 もう一度、声をあげる。しかし僕の声は木霊するだけで、彼女の答えはなかった。

 この足音はもしかすると罠!?

 何度もそんな疑念を抱いたけれど、結局、僕は麻美の声に促されるままに走り続けた。

 <こら、学校サボっちゃダメじゃない!>

 怒った時の麻美。

 <時々、怖くなるの。わたしほど我儘な女はいないんじゃないかって>

 心細そうな麻美。

 <本当に健司に会えてよかった>

 とても優しい笑顔の麻美。

 <運命の赤い糸かもね>

 いたずらっぽそうな麻美。

 脳裏に浮かぶ数々の麻美の言葉。そして姿。

 僕は今、僕の命よりも大切な人を失おうとしているんだ。

 「麻美ーーーーーーーっ!!!」

 どうしようもなくなり、大声で叫んだ途端、世界は一変した。

 ギリシア風の宮殿は立体映像であったかのように消え去り、僕は石碑に囲まれた場所へと移動していた。

 「ここは…」

 「わたしの墓です。健司」

 「麻美!?」

 僕は絶句した。彼女の瞳は虚ろだったからだ。

 乗っ取られた。直感的に悟った。

 「誰だ?」

 「麻美ですよ。わかりませんか?」

 麻美の姿をいた奴はクスクスと笑った。

 「嘘をつくな!!」

 「嘘じゃありません。わたしは麻美ですよ」

 「彼女はそんな傲慢ではなかった。断じて人を嘲笑うような人間ではない!」

 「…まぁ、確かにわたしはあなたの知っている麻美ではありません。でも、彼女の肉体の新しい主人である事は事実ですよ」彼女はおどけたように肩をすくめてみせた。「申し遅れました。わたくしラー・ムーと申します。世界の代理人たる神です」

 「麻美…はどうした?」

 「彼女は精神的に死にました」

 「ふざけるな!!」

 「ふざけておりませんよ。彼女はわたしが彼女の身体に降臨している限り、決して目を覚ます事はありませんから」

 僕は反射的に正宗に手を伸ばした。

 「おや、愛するわたしを斬れますか?」

 もちろん、斬れるわけない。

 「あなたや真由子、朋美などは見逃そうと思っているんですよ。彼女とは記憶を共有しているので、わたしもあなた方には共感を覚えているのでね」

 「…麻美を帰せ」

 「そうはいきませんよ。わたしも世界を滅ぼすという目標があります。その前に死ぬわけにはいきませんから」

 「…なら、斬る!」

 僕は正宗を抜き放った。その姿を見て、ラームーは溜息をついた。

 「仕方ありませんね。死んでもらいます」

 僕は正宗を握り締め、ラー・ムーの頭上に正宗を振り下ろした。

 「あなたには斬れませんよ」

 やはり僕には斬れない!!

 正宗はラー・ムーの頭上で停止していた。

 「さよなら、優しい人」

 奴は麻美の笑顔そのままを浮かべた。奴の手刀が僕の胸に吸い込まれる。激痛を感じるよりも早く、僕は麻美の身体を傷つけるぐらいなら、自分自身が傷ついた方がマシだと思い、納得した。

 <やめてっ!>

 「なっ!!」

 僕の脳裏に麻美の声が響いた。ラー・ムーは驚愕の表情を浮かべている。

 <わたしの大切な人に手を出さないで!!>

 「うっっ、わぁぁぁぁぁぁっ〜〜〜〜!!」

 ラー・ムーは倒れた。それと同時に僕の胸に突き刺さっていた。手は抜け、僕の胸から大量の血が噴出した。

 「麻美っ!!」

 彼女の名を呼んだけれど、倒れた彼女からは何の答えもなかった。

 ふらつく自分を叱咤する。

 「麻美…」

 僕は意識を失った。

 

 僕…いや、彼の最愛の人は諦めたような、哀しそうな、それでいて満足そうな表情を浮かべていた。それだけ彼女にとって僕の信念と行動は複雑な存在なのだろう。

 「あなたは、あなたの信じる道を選んでほしいの、カミーユ」

 それは明け方のベッドの中での会話だった。

 カミーユと呼ばれた男は目の前で微笑んでいる『彼女』をとても深く愛していた。

 でも、その想いよりも強く彼には国の惨状を憂いていた。

 彼の愛は時代の犠牲になったのだ。

 「ああ、ありがとう、リュシル」

 どんな結果になろうとも、すべてが終われば、彼女を一番に守り続けようとカミーユは心に誓っていた。

 「もう少しの辛抱だから」

 その日の午後、彼はフランスの公安委員会により逮捕された。

 容疑は国家反逆罪。

 …

 「リュシル、ごめん…」

 「カミーユ…」

 …

 ……

 ………

 ……

 …

 口元を濡らす水が心地いい…

 僕はうっすらと目を開けると、麻美が覗き込んでいた。

 「…麻、美?」

 彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。

 「ごめんね」

 「いや…良かった」

 僕は倒れる前の光景を思い出した。自分の胸を見ると、包帯が巻かれていた。

 「ラー・ムーは?」

 「いなくなっちゃった。」

 「いなくなった?!」

 麻美がこくんと頷く。

 「わたしも信じられないけど、必死で健司を襲わせないように頑張ってたの。そうしたら、妙なフラッシュバックがあって、そしたら、ラー・ムーが“エンかっ!”って言って、消滅してしまったの」

 「エン?」

 「ええ…」

 「わからないな」

 僕は首を横に振って、脳裏に浮かぶ疑問を打ち消した。

 どんなに考えても答えなんて出ないからだ。

 「まぁ、とにかくここを何とかして脱出して、みんなと合流しよう」

 「うん」

 「麻美はここから出る方法は知っている?」

 麻美は首を横に振る。

 「ごめん。でも、きっと出れるはず。待っているみんなが出口を作って

待っていてくれるよ」

 「だね!!とにかく歩いてみよう」

 僕たちは並んで歩き出した。

 こうして二人で一緒に歩くだけでも僕は充分に嬉しい。

 離れ離れになってはじめてわかった。

 麻美が僕にとってどんなものよりも大切な存在だってことを。

 もう、離したくない。

 そう強く思う。

 「んっ?」

 麻美が僕の視線に気づいたのだろう。小首をかしげた。

 「いや、なんでもないよ」

 本当は“誰よりも好きだ”と言いたかったけれど…。

 その代わり、ずっと心に引っかかっていたことを尋ねる事にした。

 「どうして…一人で行ったの?」

 「……今は大丈夫だけど、これから先わたしためにみんなが死んでしまう可能性に耐えられなかったから……」

 「……麻美がいなくなった夜、僕は麻美の夢を見た」

 「……」

 「二人のうち一人しか助からない状況で、どちらが助かるべきかという話だった気がする。お互い、僕は麻美が、麻美は僕が助かるべきだと主張したけど、結局は結論なんて出なかった」

 「わたしも同じ夢を見ていたわ」

 「えっ?」

 「わたしは結論が出なかったから、一人で出たの。それがわたしの結論だったから」

 「……それは僕や他のみんなに対する大きな侮辱だよ」

 「それでも、わたしは自分のした事が間違っていると思っていないよ」

 お互い沈黙してしまった。夢のようにどこか苦々しい沈黙だった。

 『お〜い、健司〜、麻美〜』

 さやかの声がした。僕たちはお互い顔を合わせて、その後、ダッシュする。

 『おーい、ラヴラヴかぁ〜い?』

 とぼけたような声がする。徐々にその声は大きくなり、そしてさやかの姿が映る鏡へと到着した。

 「ここだ、さやか!!」

 『おっ、無事に麻美は助け出した?』

 「ああ!」

 「ありがとう、さやか」

 「おおっ、麻美、元気なようね。声だけでも可愛い」

 「ありがと」

 どうやら僕たちの方からは見れても、さやかの方から僕たちを確認は出来ないらしい。

 「…と再会の挨拶をしたいところだけど、神託の石碑がただの石碑になりつつある」

 「わかりやすく言ってくれ」

 「結論としてはこの扉はあと少しで閉じてしまう」

 「早くいえ!!」

 僕はつい怒鳴った。

 「すまん、とにかく再接続は不可能だから、一回だけしかこの扉を移動できない。定員は一人だ」

 僕たちは沈黙してしまった。

 「麻美…」

 「健司…」

 お互い言いたいことはわかっている。

 しかし、たぶん、結論は出ないだろう。

 こうなったら…

 「麻美、二人が出れるように僕がするから…」

 「うん、きっと健司なら出来るよ、わたし待ってる」

 僕は正宗を腰から抜き放った。きらりと正宗が光に反射した。

 「斬る」

 僕は鏡もろとも壁を真っ二つに割り、壁に二人が通り抜けられるような穴を作った。穴の中には奇妙な空間のねじれがあった。

 「これに飛び込もう!!」

 「うん」

 僕は麻美の手を握った。

 「行こう!!」

 

 お互いの息がかかってしまうくらいに僕たちは顔を寄せた。

 麻美が瞳を瞑る。

 僕もそれを確認して、彼女の唇に自分の唇を重ねようとした。

 「麻美!健司!」

 「わっ」

 「きゃっ」

 僕たちは突然の声に驚いて、声をあげた。

 ばっと離れて、ちょっとあさっての方を向く。

 「…おぬし、せっかくのところでなぜ声をかけた。」

 「わりぃ、二人とも」

 「おぬしも無粋だな」

 さやかと英人がにやにやと嫌な笑顔を浮かべながら、話し掛けてくる。

 「い、いや、別に構わないよ、な、なぁ?」

 「う、うん、そ、そう」

 「やはりおぬしらは奇妙な縁があるのかもな」

 「エン?」

 「縁起の縁のこと」

 僕の言葉にさやかは答える。

 「何かしら強い絆を感じることがある。それが何に由来するのかはわからないが、あの一人しか通れないはずの転移空間を二人で通ってきたのには心のどこかで共通するパーツが必要なのだよ」

 「…」

 僕たちは顔を見合わせる。

 「まぁ、とにかく良く目を凝らしてみれば、ほらおぬしらの指に赤い糸が…」

 「えっ?」

 麻美と僕は自分の指を見た。

 「あはははは、嘘」

 さやかと英人の笑いが昼休みの学校に響いた。


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