Legend of Seed.

序章〜前「隣国の姫」
担当:雪里


1−7  2005/09/05(月)
1−6  2005/09/05(月)
1−5  2005/09/03(土)
1−4  2005/09/03(土)
1−3  2005/07/14(木)
1−2  2005/07/14(木)
「隣国の姫」1  2005/06/22(水)


1−7


 朝食を摂っていなかったフレイは空腹も覚えていたが、そこまでは言い出せなかった。
 だから、休憩を兼ねて、城下にあるというアーノルドの邸宅に寄って昼食を、と提案された時には、迷わず頷いたのだった。


 城に最も近い住宅地は、概ね貴族の館で占められている。父親が現騎士団長であり、代々王に極近いところに務める役目を担うノイマン家は、当然その一角に居を構えている。とはいえ父親であるアルベルトも、一人息子のアーノルドも、ほとんど城に居住しているようなもので、実質フラウ・ノイマンが切り盛りしているようなものだった。
 連絡も入れずにいきなり訪れた息子と客人―――しかも自国の王子とその婚約者―――にも、一瞬驚いただけで後は平然と歓待している辺り、案外大物なのやも知れぬ。
 フラウはアーノルドに良く似た―――否、息子が母親似なのだ。華やかな美貌ではないが、清楚かつ芯の強そうな面立ちをしており、成人した子どもがいるにしては若く見える。髪は真っ直ぐでしなやかな黒色。


 着いてすぐにフラウが命じたおかげで、さして待つ事なく食堂へと通された。
 「申し訳ありません王子、姫。急いだものできちんとしたものはお出しできませんが。全くアーノルド、来るなら来ると、先に言っておいてくれれば良かったものを」
 「仕方ないだろ、さっき決まったんだから…」
 「いや、俺が頼んで寄らせてもらったんです。突然だったのに、わざわざすみません」
 「王子がいらっしゃるのはいつでも大歓迎ですわ。―――フレイ様、お口に合うかどうか分かりませんが、どうぞ召し上がってください」
 「ありがとうございます」
 確かに簡素ではあったが、歩いたりしたせいか、フレイは食が進んだ。
 フラウは適度な間隔とタイミングで会話を切り出し、場を盛り上げるのが上手い。いつになく―――久方振りに、フレイは気分の良い食事ができたのだが、先刻まで不満ばかり数えていた事など…本人はすっかり忘れていた。




 夕刻になり、城に帰ってきた主を、セリカは意外な思いで出迎えた。
 「お嬢様、楽しんでこられたのですね」
 「そう?」
 「いいお顔をされてらっしゃいます」
 「―――まあ、案外悪くなかったわ。ただ足が疲れたけれど。こんなに歩いただなんて」
 「それでしたら、湯浴みにむくみを解消する香草を入れましょう」
 「そうしてちょうだい。すぐに入るわ」
 「はい」
 このところずっと不機嫌で塞ぎがちだったフレイが、外出をしてどうなる事か―――と心配すらしていたセリカだったので、この結果は至極嬉しいものだった。心の中で、誘い出してくれた王子に礼を言いながら、急いで湯浴みの仕度をすべく動き回った。
 準備ができてフレイを呼ぼうと部屋へ行くと、彼女は自分で結い髪を下ろしていた。これまた珍しいことだ。
 窓際の椅子に腰掛け、髪飾りを外してテーブルに置いている。
 「お嬢様、その花は…」
 「あぁ、これ?貰ったのよ」
 「王子様に、ですか?」
 「初めて貰ったものが花一輪なんて笑っちゃうわよね」
 そう言いながらも、花を突付く指は優しい。
 「―――せっかくですから、花瓶に活けましょうか」
 「一輪だけ挿すの?かといって、他の花と一緒じゃ、見劣りするわね」
 「グラスではいかがでしょう」
 セリカが提案すると、フレイはあぁそうねそれがいいわ、と言って、戸棚を指差した。
 ナイトキャップ用の小さなグラスを取り出し、水差しから水を注ぎ、萎れかけた花を挿す。
 「…このまま枯れちゃうかしら」
 「後ほどきちんと、切り口を調節すれば大丈夫だと思います」
 そう、と呟いたきり、フレイは花から視線を外して立ち上がった。





 静かに夜に浸る城内を、夜着の上にガウンを羽織り、フレイはゆっくりと歩いていた。
 目的の部屋に辿り着き、控えめにノックすると、すぐに応えがあって扉が開いた。
 部屋の住人は目を丸くしている。
 「遅くにごめんなさい…いいですか?」

 「寒くない?」
 「大丈夫です」
 「そう。―――え、と…どうしたの?」
 自分もまた夜着姿のジャッキーは、夜分に自室を訪れたフレイに驚き、迎え入れて尚落ち着かない。
 「お礼を、言おうと思って」
 「礼?」
 「ええ。―――今日、楽しかったから…」
 「あ、お、俺も楽しかったし。うん。でも良かった、つまらなかったなら申し訳ないなって思ってて」
 「そんな…―――本当言うと、最初は気が乗らなかったの。何だか最近気が塞いでて…でも行って良かった。今はすっかり、元気になったわ」
 す、と一歩近付いたフレイだったが、その分ジャッキーが一歩下がる。
 「それで、あの…私、」
 フレイが黙ると、一気に室内は暗く、重くなるようだった。
 この状況は―――これって、これは何だろう?何だかとっても意味有り気に見つめられている気がする。
 ジャッキーは内心の動揺がすっかり顔に出てしまっている。
 あぁ、アーニィ、こういう時はどうすればいいんだ?何を言えばいいんだ?教えてくれ―――!
 その答えをくれる人物は、もちろん今横にはいない。
 薄く開いた唇が妙に濡れて見えて、ジャッキーの混乱は頂点に達しそうになる。
 「え、えーと、あ、そうだ、何か、何か飲む?」
 「―――いいんですか?」
 「あぁ、まだ眠くないようなら…果実酒とかがいい?俺もあんまり強いのは好きじゃないから、甘めのしか置いてないんだけど…」
 「何でもいいです。…私も、弱いから」
 つんのめりながら背を向け、やたらと音を立ててグラスを取り出す姿を見て、フレイはちろりと唇を舐めた。

 そうね、急いてはいけないわ。
 気付かせないように、オトさなければならないのだもの。

 甘い果実酒に舐める様に口をつけながら、ジャッキーが一生懸命に話をしているのを眺める。
 彼の話は大概、二言目には「アーノルドは」。余程あの男の存在が、彼の中深くに息づいている証拠だ。
 「…あの方が、大層お好きなんですね」
 「そう、うん。明日いなくなったら、俺どうしていいか分からないくらい。―――物心ついた頃から一緒なんだ」


 あの青年がジャッキーを見つめる眼差しは、友人や主人へ向けるものだけとは思えない。
 フレイが知る限り、二人が一緒にいる時間は相当多く、今日の外出だけでも―――如何にアーノルドがジャッキーを気遣っているかが感じられた。それはもう、過保護なまでに―――視線が。

 でも。
 どんなに好き合っていても、結局は同性同士。
 口付け一つ交せやしないし、抱き合うこともない。
 目の前で熱っぽく語っている婚約者は、どうやら相当の奥手らしい。女性相手にスマートな世辞も言えない人だ。
 それはむしろ…好都合。


 好都合―――何に?
  言っただろうフレイ、お前の役目は
 アタシの―――役目。
  お前ならできるだろう
 できる―――やらなくちゃ


 滑り落ちた甘い液体は、胃の腑を熱くさせる。






 「すっかり姫君も馴染んだようですね」
 何気ない物言いだったので、ジャッキーは素直に頷いた。
 「あちこち見て回ってるみたいだしね。またその内街に行くのもいいかも」
 「ホームシックを治すには愛情が一番という事ですか」
 「・・・?」
 「随分と仲良くなられたようで、結構なことです」
 口調はいつもと変わらないが、少し声色が硬い気がして―――アーノルドを振り仰ぐ。目が合う。―――違和感…その原因は。
 貼り付かせたような冷たい笑みと、すぐに逸らされた視線。
 「…アーニィ?」
 「―――王子……いえ。私はこれから公務がありますので、失礼します」
 そう言えば、と傍らの青年を改めて見ると、正装に近い格好をしている。
 「あ―――うん、分かった。じゃあ…」
 ジャッキーはその場に立ち止まり、一礼してそのまま歩いていくアーノルドの背中を見つめていた。




 長い平和に浸る国。
 誰もが明日の平穏を疑わず、己が身に相応しい夢を想いながら、目を閉じて眠りを手繰り寄せる。
 芽吹いた闇色の種に、気付かぬまま。






++++++++
 序章〜中「崩壊の足音」へ続く
Date: 2005/09/05(月) No.8


1−6
 今日もいい天気だなあ、と窓を開けながら呑気に思う。ひょいと覗き込むと、大地の上を足早に動き回る人々が見える。
 シーツだろうか、白い山となった大きな篭を抱えているのは洗濯係のメイドだろう。裏手に回って、堀の一部が洗い場なのだ。
 数名連れ立っているのは、朝の鍛錬を終えた騎士達か。何やら話を交わしながら視界を横切っていく。
 「…アーニィも一緒かな」
 自分だけ寝起きで部屋でぼんやりしているのも気が引け、ジャッキーはそそくさと着替えると自室を後にした。

 食堂に向かう途中、婚約者の部屋の前を通る。
 扉は閉ざされていたが、その前で顔を覚えた侍女が一人、佇んでいた。
 「おはよう」
 「王子様、おはようございます」
 「どうしたの?」
 ジャッキーが声をかけると、セリカは困ったように首を少し傾げた。
 「お嬢様が起きられないので…」
 「具合でも悪いの?」
 「いえ、…そういうわけではないのですが…朝食はいらないから、もう少し眠る、と」
 「うーん…でもまあ、そういう日もあるよね。君は朝食は済ませたの?」
 「私はお嬢様のお世話を致しましてから、済ますことにしておりますので」
 「でもそれじゃあ、君がいつまで経っても食べられないじゃない。彼女、要らないって言ってるんでしょ?食べてきたら?」
 「ええ、その…」
 ジャッキーの言っている事は至極真っ当なのだが、セリカは決まり悪そうに俯いてしまった。―――これでは、行くに行けない。
 どう説得したものか、と考えあぐねているジャッキーに、丁度良く助け手が現れた。

 やはり鍛錬で一汗かいてきたところなのだろう、こざっぱりとした格好で若干濡れたままの髪。ジャッキーの部屋に向かおうとでもしていたのか―――彼は偶に、朝食に遅いジャッキーを起こしに来る―――アーノルドがやって来た。
 「何をしてらっしゃるんです、」
 「あぁ、アーノルド。あのね…」
 ジャッキーが状況を説明すると、アーノルドは軽く相槌を打って畏まっている侍女を一瞥した。
 「王子の言う通りですね。貴女はさっさと食事をして、それからここに戻って待つなり何なりすればいい」
 「あ、あの―――」
 「迷っているくらいなら、その時間に済ました方が合理的だ」
 うんうん、と頷くジャッキーを認めて、アーノルドはセリカの肩に手をやって促した。
 「でも、もし私が離れている間にお嬢様が起きられたら…」
 「最初に彼女が“朝食は要らない”と言っているんですから、貴女が責められる理はありませんよ。さぁ―――王子も、まだなのでしょう」
 「―――その通り」
 二人に両脇を挟まれた憐れな侍女は、真っ赤な顔でぎこちなく、歩き出した。

 「何だか、フレイ…元気ないのかな」
 「さあ…私には何とも。王子がそう思われるのなら、そうなのか、と思う次第で」
 食後のコーヒーにはアーノルドも付き合った。
 「姫君とは仲良くされてらっしゃるので?」
 「え?…いやぁ、何か…どんな話していいのか分かんないし…女の子の部屋に行くのも失礼かなって」
 しどろもどろにジャッキーが答えると、アーノルドは可笑しそうに口元を緩めた。
 「では、姫君の不機嫌はそのせいかもしれませんね」
 「どういうことさ」
 「王子―――婚約者がちっとも構ってくれないから、ストライキでも起こしたんじゃないですか」
 「そんなぁ」
 終にカップを下ろして眉を八の字にしたジャッキー、対するアーノルドは笑いを声にする。
 「まあそれは冗談として…でも、彼女もこの国では寂しいでしょうし、少しくらい押し付けがましく世話を焼いても良いと思いますよ」
 「―――そういうものなの?」
 「少なくとも、男に気を遣われて嫌な女性はいないと思いますが」
 「ふぅん」
 しらっと言うアーノルドを見るジャッキーの目は胡乱だ。
 「まあ、一理あるような。―――アーノルド、今日は用事ある?」
 「…いえ、特には。お供致しましょうか?」
 「うん。―――って、俺が何言うか分かったの!?」
 「姫君をエスコートして街にでも出れば、彼女の気分転換にもなるかな―――といったところですか」
 「―――――どうしてアーニィはそんなに鋭いのさ」
 「私が聡いのではなく、一般的に可能性が高いものを考えただけですよ」
 ニコリと―――この男の笑顔は何種類あるのやら―――笑うアーノルドに、もはやぐうの音も出なかった。



 客観的に見たならば文句はない。見目の良い男二人にエスコートされて、集まる視線は心地良い。
 問題は―――場所だ。
 何だって自分が、城下街など歩いているのだ。
 昼前になってようやくベッドから出たフレイが、身だしなみを整え終えたのを見計らったかのようなタイミングで、珍しく王子が部屋を訪れた。
 良かったら街を観に行かないか、と。
 篭りたくて篭っていたわけではなかったので、外へ誘われるのは嬉しかった。自室にいるばかりでは、一向にこの国を知る事も叶わないのだから。
 ―――誤算だったのは、お供に来るのがたった一人だということ。王子と、もう一人…あの何となく気に食わない騎士だ。そして、しっかりと護られて視察でもするのかと思いきや、自分達の足で呑気に街人に混じって歩くのだということ。
 王子と騎士はやけに軽装で、着飾っている自分の方が道化のようだった。
 フレイは城を出てすぐに後悔していた。

 けれどここでつまらなそうな顔をするわけにはいかない。―――と思っていたのに。
 「…えぇと…疲れた?」
 「…何故?」
 「何となく、だけど。どこかで休もうか」
 心配そうにジャッキーが振り返る。フレイは一層笑顔を作った。
 「大丈夫です。あんまり…珍しいから。お気遣いありがとうございます」
 「そんな。…君こそ、気を遣わなくたっていいからね」
 ちらりと騎士の方を見ると、彼は花売りらしき娘に声をかけられていた。娘が手に掲げた篭には白い花弁の切花が詰められている。さてどう断るのかしら―――フレイが内心興味をもっていると、アーノルドは愛想のいい顔をして一輪受け取ったではないか。
 満面の笑顔で去っていく娘の姿を目で追っていたフレイは、不意に間近に気配を感じてぱっと振り返った。
 「姫は実に鮮やかな御髪ですので、似合うと思いまして―――よろしければ」
 「え、えぇ…ありがとう」
 咄嗟に受け取ったフレイは、何やら騎士に耳打ちされた王子の差し出した手に、何だか良く分からないままに白い花を手渡した。
 「―――うん、さすがアーノルドだね、慧眼」
 案外と器用な手付きで、ジャッキーがフレイの結い上げた紅い髪に花を挿した。
 ―――安っぽい花一輪。アタシの髪に。
 すぐに抜き取って捨ててもおかしくはない、普段の彼女ならば。
 けれど、何故かそうしようとは思わなかった。


 王子のくせに、街を歩いているとジャッキーはやたらと声をかけられる。子どもからお年寄りまで。また、アーノルドも顔を知られているのか、二人共に声がかかることも多い。
 ―――変だわ。やっぱり変な国。
 フレイは自分の国で、こんな風に一般市民と会話したことなどなかった。そもそも大した用事もなく街になど出なかった。
 ジャッキー達と一緒にいると、歩く先々で何やかやと差し出される。店の軒先から果物やら、屋台の練り菓子やら。王子の婚約者として既に知られているフレイにも、勿論くれるのだが、まさか歩きながら食べるなど思いも寄らない彼女は、あっという間に両手が塞がってしまった。
 それに気付いたジャッキーが、すぐに食べない分は自分が持とうかと切り出した。
 「これ、この揚げ菓子。熱いうちが美味しいんだよ。他のは俺が持ってるから、それ早く食べた方がいいよ?」
 「で、でも…」
 油紙に包まれた数粒の揚げ菓子は、確かにすっかり湯気が収まっていた。
 尚もフレイが逡巡していると、子どもが数人、ジャッキーを呼びながら遠くから走ってきた。
 「王子様〜!」
 「やあ、君達かぁ。今日はお手伝いしなくていいの?」
 「うん、お母さんが風邪治って、お父さんのお手伝いしてるから、僕は遊んでいいって」
 「そうか、お母さん良くなったのか。良かったね!」
 十歳くらいの少年が一人、嬉しそうに笑ってジャッキーを見上げている。他にも同じ年代の少年が二人、王子にまとわりついている。
 アーノルドの方には双子の少女がはりついて、あっという間にかしましくなった。
 「騎士様、アタシたち美人になったでしょう?」
 「なったでしょう?」
 実際、着ているものは地味だが、顔立ちは可愛らしい少女たちだ。
 「あぁ、会う度に美人になるな、君達は」
 「あと何年したら、お嫁さんにしてくれる?」
 「してくれる?」
 「おいおい、二人共かい」
 子どもの勢いは独特だ。どう反応していいのか分からずに立ち尽くしていたフレイを、しかし少女たちは目聡く気にしていたらしい。
 「…騎士様、あのきれいなお姫様はだぁれ?」
 「だぁれ?」
 双子の言葉に少年たちも一斉にフレイを見た。
 「フレイ姫はね、王子の婚約者だ」
 「こんやくしゃ?」
 「しゃ?」
 「君たちの言うところの、王子のお嫁さんさ」
 アーノルドが言い直して理解が及んだらしい子ども達は、興味津々といった眼差しを隠そうともせず、真っ直ぐにフレイを観察している。
 「遠くの国からいらしたから、今日こうやって、街を見に来たんだ。ちゃんとご挨拶できるね?」
 随分と子どもに慕われているらしい騎士の言葉に、我先にと子ども達がフレイの傍に寄ってきて、ぺこりと頭を下げ出した。
 「初めまして、お姫さま!」
 「え、ええ…よろしくね」
 辛うじてフレイが一級の微笑を浮かべると、子ども達は頬を染め、今更照れる者までいた。尤も、少女に限ってはそれに収まらない。
 「いいなあ、きれいなドレス!」
 「ドレス!」
 「ぴかぴかで、きらきらしてる」
 「きらきら〜!」
 「あ、ダメだよ触っちゃ!きっとすっごく高いんだから」
 「高い?」
 ―――褒め言葉は、例え子どもの拙い表現でも満更ではない。

 「王子様、いっぱいお菓子持ってるんだね」
 「みんな買ったの?」
 そういえばジャッキーは、両手に幾つも食べ物を抱えていたのだ。それを見つけた少年に聞かれ、彼は緩く否定する。
 「フレイ姫に、って貰ったものだよ。角の果物屋さんと、広場の屋台と…」
 「お姫様は、お菓子貰えるんだ」
 子ども達の言葉と表情が余りに羨ましそうだったので、多少機嫌が良くなっていたフレイはジャッキーに言って、菓子類を彼らにあげることにした。
 「みんなで分けて食べるのよ」
 「いいの?全部貰っちゃっても?」
 「ありがとうお姫様!」
 どこか、遊び場へ行って食べるのだろう―――子ども達は振り返って手を振りながら、跳ねる様に走っていった。
 その様子を眺めていたフレイはやがて視線をジャッキー達に戻し…はたと、己が笑みを浮かべていた事に気付く。そして、二人が自分を何だか嬉しそうに見つめている事にも。
 急に恥ずかしくなって、フレイは「少し疲れたわ」と顔を俯けて誤魔化そうとした。





+++++++
 1−7へ続く
Date: 2005/09/05(月) No.7


1−5
 フレイが城にやって来て、半月が経った。
 最初の一・二日こそ、どことなく浮ついた空気が漂っていたが、既に城内は普段通りに落ち着いている。
 現国王の唯一人の嫡男、その婚約者ともなれば、相当意識されても可笑しくはない―――いや、普通はされるものだろう。
 ―――そこが、このグラスランド国を足らしめている風潮だったりする。どこからどこまでも、どこかのんびりとした…良く言えば平和な、悪く言えば間延びした…国。
 それがまた、フレイの気に食わない。
 廊下ですれ違っても、メイドの一人も立ち止まらない。無視こそしないものの、ただ一礼するのみ。
 上半身裸体の男達が騒々しく走って行くし―――吃驚してフレイは暫く動けなかった―――聞けばそれは騎士団の連中だとか言うし―――何の用だか知らないが、市民もあっさりと城に入ってくるし―――
 とにかく、フレイには何もかもが信じられない。
 それで、つい―――部屋に篭りがちになる。
 心配そうに様子を窺う侍女すら鬱陶しい。
 あぁ…そういえばサイはどこへ行ったのかしら?
 呼んだらすぐに来るのが当たり前だったのに、このところ、呼んでも返事が返ってこない事が多い。どうかしたのかと部屋の扉を開けても姿がない。延々と時間が経って、ようやく顔を見せたと思ったら…彼はすっかりこの国、城に馴染んでいるらしい。何処に行っているやら、その時その時で違う。やれ騎士団の詰め所に邪魔していただの、やれ庭の剪定を手伝っていただの…。
 お前は誰の付き人なの、とフレイは怒りたかった。
 けれど、その前に―――サイが随分と周囲に溶け込んでいるので、それは辛うじて堪えた。ここで彼を詰れば、逆に自分が冷たい目で見られると思ったからだ。

 あぁ、苛々する。



 「セリカ、暫く一人にして頂戴」
 「―――はい、」
 「早く」
 侍女は紅茶を淹れている最中だった。暫時フレイと手元のティーポットを交互に見た後、申し訳なさそうに礼をして静かに部屋を出て行った。
 何よ―――何よ、何なのよ!

 何故自分は一人で部屋に篭らねばならないのか?

 何もかも…苛立たしい。
 侍女も侍従も婚約者も。
 この国の人間は私を上目遣いで見ない。
 連れて来た人間は鬱陶しい。
 だからって、何でアタシが一人ぼっちにならなくっちゃいけないのよ!





 お嬢様はちゃんと紅茶を飲んで下さるだろうか。
 あと30秒だった。
 それ以上ポットに入れっぱなしだと、紅茶はどんどん苦くなるばかりだ。
 ―――きっと、飲んでは下さらないだろう。
 飲む飲まない以前に、自らポットを傾けて注ぐ事など、するとは思えない。

 部屋を追い出されたセリカは、ほぅ、と息をついた。
 まだ日は高い。この城は夜間と早朝以外は大概、どこからともなく濃厚な人の気配がする。騒々しくはないものの、話し声だったり歩く音だったり…それは、母国の宮殿では体験し得ない。あそこはいつでも厳格で、静かだった。
 どうしようか。
 フレイや自分達に遅れて、先日数名の侍女もやってきたが…彼女たちの所へ行こうか。まとめて一部屋をもらっている。この国のメイド達とは部屋が違うが、同じ身分として真っ先に打ち解けたのが彼女たちだ。
 ただセリカはフレイ付き一の侍女なので、他の侍女達に比べて、交流は薄い。よって少々気後れはするが…だからといって、いつまでもフレイの部屋の前で立ち尽くしているわけにもいかない。

 「セリカさん」
 振り返ると、サイがいた。さして仲良いわけでもなかったが、何となくお互いに事情を分かち合っているので…気は易い。
 「お嬢様に追い出されてしまいまして」
 「あぁ…どうしたんでしょうね、最近。何だか落ち着かない様子で…」
 「…ええ…。慣れないだけとは思いますけれど。―――随分汗をかかれていますね」
 改めてサイを見れば、額が薄らと濡れている。肌も紅潮しているし、袖を肘まで捲っている。
 サイははにかんだように笑い、前髪をかき上げた。
 「ちょっと、鍛錬に混ぜていただいたんです」
 「―――騎士様方の?」
 「ええ。自分は剣は得意ではないですから…せめて体力だけでも、と」
 「そうですか。―――私も、こちらの侍女方と仲良くなるべきですよね…どうせ、しばらくお嬢様の傍にはいられませんし」
 セリカが言うと、サイは苦笑としか言いようのない表情を浮かべた。
 「俺たちが馴染めば、お嬢様も…きっと、」
 「―――そうですよね」

 サイは着替えて来るといってその場を去り、セリカはそのまま逆方向に歩き出した。




 その部屋を覗いてみると、数人のメイドがお茶をしている所らしかった。同じデザインの質素なドレスをまとっているのが半数、もう半数は自分と同じ、アルスター候国からの人間だった。
 「…あの、」
 そっと踏み込んで声をかけると、全員がぱっと振り返った。
 「あら!―――ええと、フレイ様の、」
 その内の一人がさっと立ち上がり、セリカを手招きしてくれた。
 「私もお邪魔してもよろしいですか?」
 「もちろん!やっとお話できるわね」
 「え、」
 眼鏡をかけたその人は、セリカに隣の席を勧めた。
 「だって貴女、なかなかこちらに来ないんですもの。他の方々は早々にお話させていただいたんですけれど、貴女だけは…ね」
 「あ―――すみません、」
 「謝ることなんてないわ、フレイ様に付きっ切りなのでしょう?」
 「え、ええ…まあ」
 どうやら事情は他の侍女達が話してしまっているらしい。セリカは微苦笑を浮かべて、曖昧に肯定した。
 「今日はどうしたの?お嬢様のお昼寝かしら?」
 「―――そんなところです」
 くすくす笑い合うメイドに釣られて、セリカもようやく心からの笑みを浮かべた。


 衣装こそ大差ないが、彼女だけは少し毛色が違うらしい。
 王子の乳母みたいなものだ、と笑い飛ばした彼女は、セツリと名乗った。
 「そんなに歳の差はないんですけどね、もちろん。ものすごい童顔とかじゃないし」
 では教育係か、と問うと、しかし首を振る。
 「王子にお教えするには、私はまだ若すぎますから。そうですね…う〜ん、お目付け役…違うなあ。そう、やっぱり侍女、かしら」
 貴女と同じかも、と彼女は笑った。
 「身の回りのお世話とか、そういう」
 「あぁ、―――なら、同じですね」
 セリカ以外の『移動組』は、疾うに馴染んでいるらしい。お茶を淹れたりお菓子をつまんだり、この国の侍女達と大差ない様子。
 「大変そうですね、セリカさん」
 「え?」
 「ウチは姫君はいませんけれど…やっぱり、男の子よりは女の子の方が、色々と…大変でしょう?」
 「でも、お嬢様はお美しいですし、お世話させていただくのは光栄ですから」
 「鏡ねえ」
 「カガミ?」
 セツリが同僚を降り返って笑っている。
 「私達なんか、王子を叱ってばかり」
 「…まあ、」
 何だかんだ言ったところで―――皆、歳若い女たち。一つ事で笑い合えたなら、意気投合するのにそう時間はかからない。


 「それじゃあ、ここでこっそり―――お互いのご主人様の極秘情報交換といきましょうか?」

 セツリの密やかな提案に、全員が頷いたのは言う間でもない。






+++++++
1−6へ続く

Date: 2005/09/03(土) No.6


1−4
 鮮やかで艶めかしい髪の毛も、珍しい灰色の瞳も、何よりもそれらを活かしきっているこの容貌も―――自慢だった。
 爪先のみならず髪の毛の末端まで手入れは怠っていないし、俯くどの角度が一番可愛いく見えるか知っているし、微笑む口角どの程度が一番気品有るか知っている。
 生半可な金を積んでも手に入れられない宝石を惜しげもなく身に着けて、最も似合う色のドレスを着こなして。

 それなのに。

 何故、この国の人間たちは、一つも褒めやしないのだろう?
 冗談じゃない。
 別に無礼なわけじゃない。ただ、華美な世辞が一切ない。そんな口先だけの褒め言葉が欲しいというのじゃないけれど、だからといって言われないのは腑に落ちない。
 苛々する。
 晩餐中、己が微笑を絶やさなかったのが、我ながら驚く位に。

 髪の一房恭しく手に取って口付ける。
 羨望を浮かばせつつ誉めそやす。

 それが当然なのだ。
 そういう身分にいるのだから。
 なのに。

 大体―――あんなに騒がしい食事など初めてだった。
 一つ一つを見れば、きちんとマナーは弁えているし、咀嚼しながら喋っているのでもない。
 それでも、常にどこかしらで会話が成され、食器の鳴る音に顔を顰める者など一人もいない。
 フレイにとって食事とは、響された上品な料理を、なるべく静かに、無言で楚々と“いただく”ものだった。適度に口をつけて、適度に皿に残して、そっと口元をナプキンで押さえて終了を知らせる。
 すると、さりげなく皿は片付けられ、デザートが出される。

 隣に座っていた婚約者は、少し緊張していた様子だった。それを見た列席者は軒並み笑った。信じられない。おまけに、自分の従者であるところのサイですら楽しそうにしているのが気に食わない。
 一人だけなら、不器用な人なのかしら、で済む。
 事実この王子サマは、ちらちらとフレイの方を気にしていて、何度もフォークから料理を取り落としたり、話しかけられて気付かなかったりしていた。
 温和さだけが取り柄なのか、にこにこと笑顔の耐えない国王夫妻は、言葉数は少なかったものの、やはり他とそう大差ない。
 晩餐のテーブルは、半数がまだフレイの知らない顔触れだった。一応全員紹介はされて、その一人一人ににこやかに笑いかけたフレイだったが、もう既にほとんど思い出せない。そのうちにでも覚えるだろう―――尤も、覚えられぬままでも別に構わない。
 唯一人―――覚えたくもないのにしっかりと焼きついた、人。城仕えの騎士だとかいう、涼しげな容貌と規律めいた物腰の青年。
 王子に向ける視線は、表情のままに優しげで愛情に溢れたものだったが、フレイを見る時その眼差しは…確かに上品な笑みを湛えてはいるが、どこか、冷たい。
 あの人は、キライ。スキになれない。



 この国に来たのは自ら望んでの事。
 でも、決して王子に惚れ込んだだとか、そんな理由からではない。
 “そうすること”が、何よりも―――の為になるから。
 そう聞かされたから。
 だから、フレイはプライドを総動員した笑顔を仮面の如く常備して、この国に入り込むつもりだ。―――の為ならば、多少の屈辱とて我慢できる。いや、我慢しなくては。
 例え…あの、忌々しい男がどんな皮肉を言おうとも。
 バレるはずはない。
 そうでなくとも、自分は、自分に自信がある。
 どんなに堅固な要塞とて、内側から蝕まれれば容易く陥落するように。
 中枢をオトせば良いのだ。


 「やれるわ。アタシは…絶対に」






++++++++
1−5へ続く
Date: 2005/09/03(土) No.5


1−3

 姿勢良く部屋の中央に立つ少女。両手を腰にあて、まんざらでもなさそうに部屋―――己の為に用意された一室をぐるりと見回した。姿勢良すぎる程に伸びた背は、彼女の意思というよりは、きついコルセットの為だろう。胸を張っていないと苦しいのだ。
 「こんなものかしらね」
 「お嬢様、ドレスの方はあちらに全て収めましたので」
 「ええ、ありがとうセリカ。―――あぁ、疲れたわ!」
 真新しい天蓋着きのベットにちょこんと座し、フレイは大きく息を吐いた。
 「セリカ、お茶を淹れて頂戴」
 質の良い絹のベッドカヴァを撫でつつ言うフレイだったが、返された侍女の言葉にその手を止めた。
 「あの、すぐにお夕食…晩餐の支度が整うとのことですが」
 「あら。…そう、じゃあいいわ。サイ!」
 「はっ」
 部屋の外にいた侍従―――サイ・アーガイルは、すぐに顔を見せた。
 「晩餐には貴方もいらっしゃい」
 「…よろしいのですか?」
 「アタシに一人で行けっていうの?こんな、誰も知らない場所で?」
 「いっ、いえ!―――お供致します」
 慌てて眼鏡をかけ直した青年を一瞥し、フレイは再び室内を見遣る。―――母国の城と比べ、新しさはないが、その代わり、彼女の国には決して持ちえない重厚さ―――時の流れでしか生まれない―――がある。
 城の東塔、その中腹にある一室。今までは使われていなかったのか、フレイの為に用意されたらしき調度品だけが真新しく、しかし不思議と調和している。十分に広く、バルコニーもある。
 どんなに田舎くさい待遇を受けるかと内心嘆いていたフレイにしてみれば、嬉しい誤算だった。
 あとは―――人間、だ。
 「セリカ、着替えをするわ」
 「はいお嬢様」
 立ちあがったフレイを見て、サイは無言で部屋を出た。フレイが再び声をかけるまで、部屋の外、扉の傍で待っているだろう。


 フレイの着替えは長い。無論目で見たことなどないが、着替えをすると言ってから実際着替え終えるまでの時間は、サイが食事を済ませる事ができるくらいだ。
 しかし彼女を待つという行為は疾うに慣れているサイである。溜息一つつかずに、彼はじっと扉の前で立ち続けていた。

 「あれ、君…」
 ハッとサイが顔を向けると、気立ての良さそうな青年が歩いてくるところだった。一瞬分からずに目を見張ったサイだったが、すぐに気付く。
 「皇太子殿下!」
 慌てて礼をすると、彼は照れくさそうに頭をかいた。
 「いや、そんな堅苦しく呼ばなくていいよ…」
 「しかし、」
 「誰も俺の事そんな風に呼ばないしね」
 「では、何とお呼びすれば…」
 「うーん…まあみんな大概王子って呼んでくれるから、…サイ君、だっけ?」
 「はい。サイ・アーガイルです」
 「よろしくね。君も慣れないこと多いだろうけど…分からないことあったら、その辺の人に聞けばきっと教えてくれるよ。みんなイイ人ばっかりだからさ」
 そう言って―――ジャッキーはにこりと笑いかけた。
 「ありがとうございます―――王子」
 「いえいえ。―――あ、そうだ。…アルスター嬢は、部屋?」
 「はい。…お呼びしますか?」
 「ううん、ただ、もうすぐ夕餉の支度ができるから、適当に食堂にきてくれって伝えてくれる?」
 「了解致しました」
 ひらりと手を振って廊下の奥―――更に階上へと歩いていくジャッキーを見送り、ふとサイは不思議な感傷に囚われた。
 「王子自らあのような言伝を…本当に気さくな方なのだろうか」
 ジャッキーは単に、自室へ戻る途中にフレイの部屋の前を通るので、ついでに伝える役を買って出ただけなのだが、サイの知る王族の人間のイメージとはかけ離れていたのである。
 ぼんやりとジャッキーの歩いて行った方を見ていたサイは、唐突に開かれた背後の扉に驚いて振りかえった。
 「行くわよサイ、…何よ、どうしたの」
 「いえ、何でもありません」
 フレイは怪訝そうな顔を一瞬で収め、大げさに膨らんだスカートを摘み上げた。
 道中、そして謁見の際に着ていたものとは違うが、やはり赤系統のイブニングドレス。大きく開いた胸元は目のやり場に困るかと思いきや、鎖骨を覆い隠すように豪奢なダイアモンド・ネックレスを着けているので、視線はそちらに集中するだろう。デザインを合わせたイヤリングとリング二つ、結い上げた髪飾り。
 幼さが残りつつも艶やかな容貌とあいまって、実に眩しい。
 サイはそっとかぶりを振って、フレイをエスコートすべく横について歩き出した。




+++++
1−4へ続く
Date: 2005/07/14(木) No.4


1−2

 少女を初めて見た時、ジャッキーは間抜けにも口をぽかんと開けそうになった。
 その少女―――フレイ・アルスターは、彼が生まれてこの方出会ってきた女性の、どれともタイプが違った。ジャッキーの周りにいる女性といったら、大概がのんびりとした気性で、外見もそれに準じている。ようはお国柄というやつだ。
 それに対して、アルスター嬢は、見るからに気の強そうな容貌をしている。燃えるような赤い髪、少し釣り気味の灰色の瞳、派手なドレス。ふわふわひらひらと、レースだかフリルだかが盛り沢山の赤いドレスは、見ているだけでクラクラしそうだ。

 「アルスター公国第一皇女、フレイ・アルスターにございます。国王陛下、お目にかかれて光栄でございます」
 「うむ。長旅まことにご苦労でしたな。お疲れではないかな?」
 「お気遣いありがとうございます」
 実に華やかな笑顔を浮かべて、フレイは一段高い所に座す国王夫妻と、その傍らの皇太子―――つまりジャッキーをちらりと見上げた。
 「歓迎致しますよ、姫。どうぞ気楽にお過ごしになって頂戴」
 「ありがとうございます、王妃様」





 「で?どうですか、姫君は」
 「うーん…まだあんまり話してないから」
 「印象を伺ったつもりですが」
 目を細めて笑うアーノルドに、ジャッキーは憮然とした。
 「可愛いよっ!とってもね!アーニィだって見たろう」
 「ほう。良かったではありませんか」
 「アーニィ、それ本心から言ってる?」
 「勿論ですとも。いずれ王子と一緒にこの国を治めていかねばならないのですから―――」
 「それって、外見関係ないじゃないか」
 「とんでもございません。見た目は重要ですよ、上に立つものとしては」
 「そうかなあ…」
 「そうなのです」
 アーノルドの言に惑わされたのか、眉根をひそめてジャッキーは首を傾げる。


 婚約者(候補というのが建前だが)としてこの国にやってきたのは、隣国アルスター公国の第一皇女。この縁が実れば、二つの国の関係が大きく変わることは間違いない。特にアルスター公国にとっては、何よりの縁談と言える。
 ジャッキーやアーノルドの国―――グラスランド東端にある険しい山脈を隔て、アルスター公国のような小国群が連合という体裁をとってひしめいている。それぞれの国土は無理矢理に分割した結果小さく、また歴史も浅い。対外的に連合として一つのつながりを示してはいるが、内実では各国虎視眈々と自国の拡大を狙っているというのが現状。
 グラスランドは広大で肥沃な国土と、世界屈指の歴史を持つ。小国としては色々な意味で縁故が欲しいところ。

 グラスランド現国王夫妻は、歴代の中でも特に温和な人柄であり、治世もまったくそのままである。国民に謝りながら税を徴収しそうな位。―――もっとも、国民とて似たかよったか、どの街も大抵のんびりとした空気を持っている。

 そんな両親と国民に囲まれて育ったジャッキーにしてみれば、今回の婚約者云々の話は寝耳に水だった。彼とて御年18、しかも国の後継者となれば、婚約者の一人や二人…いてもちっともおかしな話ではないのだが。
 「まだ実感沸かないんだよね…」
 「そうですねえ…私も、王子がご結婚なされるというのは何だか不思議な…。何せ、お小さい頃から傍におりましたものですから」
 「―――アーニイ、それ酷いよ」
 「これは失礼」
 くつくつと笑う友人をねめつけ、ジャッキーは溜息混じりに肩を落す。
 「アーニィはさ」
 「何でしょう」
 「婚約とか、結婚とか…そういうの、ないの?」
 「私、ですか。―――いえ、幸いというか残念ながらというか、今のところは」
 「ふぅん。…じゃあ、恋人とか…いないの?」
 「―――お知りになりたいですか?」
 「えっ、あ…いや、ごめん。プライベートなことだね」
 何故か自分が顔を赤くして、ジャッキーは慌てて手を振った。そんな彼を微笑ましいものでも見る眼差しで見つめ、アーノルドは「さて」と立ち上がった。
 「そろそろ失礼致します」
 「え、もう?」
 「―――王子も、これからは私ではなく、姫君とお茶をなさるが良いでしょう」
 「―――うぅ」
 更に赤くなってうめいたジャッキーに、優雅に一礼をし、アーノルドは王子の私室を辞去した。





 騎士団の詰め所へと顔を出したアーノルドは、何やら待ち構えていたらしい同僚に引っ張り込まれた。
 「な、何ですか?」
 「まあまあ、座れ。そんでもって、飲め」
 「飲め、って…まさかこんな時分から、」
 「バカ、酒じゃないよ」
 王子の隣では年上ぶった態度の目立つアーノルドだが、騎士団の中では年少の部類であり、先輩騎士らに”可愛がられる”事が多い。
 カードに興じていた騎士らが寄ってきて、アーノルドが座らされたテーブルに集まった。
 「何ですか、皆さんして…」
 「で、どうだったんだ?」
 「何がですか」
 「何がってお前、王子の婚約者についてに決まってるだろうが」
 「はあ?」
 話の筋が読めないアーノルドは正面の一人をまじまじと見詰め返した。
 「俺達の王子を嫁にやってもいいような、姫君だったか?」
 「そうそう、そん所そこらの姫だったらなあ、王子はやれねえや」
 「王子は純朴だからな、周りがちゃーんと見ておかないと」
 好き勝手な事を言う連中に、ようやく事の次第が飲み込めたアーノルドは呆れた顔をした。
 「それでどうして、私に聞くんですか」
 「だってお前、話してきたんだろ?」
 「してませんよ。王子から又聞きしただけで」
 「なぁんだ。てっきり、一緒に茶を飲んできたんだと思ってた」
 「―――そこまで無礼なつもりはありません!」
 「悪い悪い、さっき謁見の間で遠目に見ただけだったからよ、俺達は」
 「私も同じです。―――王子もまだ、まともに話していないと仰ってましたよ」
 「王子は奥手だからなあ」
 「…いや、単に時間の問題ではないかと…姫君も先刻着いたばかりですし」
 一応ジャッキーのフォローをしたアーノルドだったが、陽気な騎士連中の前にはちっとも通じない。
 『王子大好き』を自称して憚らない彼ら―――自分もあながちそこから外れてもいない事に、今更ながら気付き…アーノルドは自嘲を込めて笑った。

 それにしても、と一人が話の色を変えた。
 「急な話じゃないか、王子に婚約者、それも早速城に入るだなんて」
 「城に上がるってんだから、ほぼ決定なんじゃないのか?」
 「だろうよ。まあ…あちらさんにしてみれば断るよしもないってか」
 「玉の輿だよなあ」
 木造のカップに充たされているのは酒ではない。夕食もまだの内から酒を飲むような教育は受けていない、騎士足る者。
 薄くミントの香る清涼水を煽りつつ、彼らは雑談を加熱させていく。
 「いずれはそういう話もあるだろうとは思ってたけど…陛下のご性格からして、ちょっと性急過ぎる気もするな」
 「確かに。アーノルド、その辺聞いてないか?」
 矛先を向けられたアーノルドは小さくかぶりを振った。
 「いえ…王子ご自身、何でこんなにいきなり、と」
 「へえ―――そもそも今回の話は向こうから持ってきたのかね?」
 「そりゃそうだろうよ、言っちゃなんだが…我が国からわざわざ持ち掛ける縁談じゃないだろう」
 「とすると…向こうが持ってきた話を、陛下が受け容れたってことか?」
 「そうなるよな。よっぽどステキなお姫様なんじゃないかね。肖像画が絶世の美女だったとか」
 最後は皮肉気に、年嵩の騎士は呟いた。








++++++
1−3へ続く
Date: 2005/07/14(木) No.3


「隣国の姫」1


 乾いた大地は轍に沿って砂煙をあげる。通る為に整備したというよりは、幾度も馬車が通るうちに、土が硬くなり草も生えなくなった、という状態だろう。一応街道と呼ばれているものの、煉瓦を敷いてなどもいない。完全に大地の飾りと化した小石が時折、上を通る物を跳ねさせる。
 「…まったく」
 灰色の瞳が不機嫌そうに細められ、幼さと妖艶さが同居するという稀な容姿は、些か崩れている。
 「こんな道を通らなくっちゃ行けない国だなんて、思いやられるわ」
 どんなに内装を居心地良く作ってあれども、こう頻繁に振動があるのでは堪らない。
 「ねえ、あとどの位かかるの」
 視線は窓の外を向いたまま。しかし彼女の忠実な侍従は、間髪いれずに反応を返した。
 「夕刻までには到着するかと」
 己の斜め前に座している青年を一瞥し―――彼女は、あからさまにうんざりとした吐息を投げつけた。
 主の機嫌が下降気味だと悟った侍女は、途端に笑顔を浮かべた。
 「お嬢様、焼き菓子などいかがですか。そろそろお茶の時間ですし」
 「要らないわよ。どうせ馬車が止まらなくちゃ、紅茶も淹れられないんでしょう」
 「それは―――」
 一手をあっさりと詰められ、侍女は困惑して黙り込んだ。
 つまらない。まったくつまらないわ―――
 真紅の髪を弄び、少女は一層顔を顰めた。
 馬車内の重苦しさが比重を増した頃、侍従がつと口を開いた。
 「お嬢様」
 「なぁに」
 「かの国は、気候温暖でとても過ごしやすい所と聞き及んでおります。我が国ではなかなか手に入らない物資も多いとか…確かに移動するには些か難儀ではありますが、どうか今しばらくのご辛抱を」
 「ふん…田舎なだけじゃないの。国土ばかり広くたって、」
 「ですが、…お嬢様のお好きな様にお過ごしになれるかと…」
 ようやく少女は、振り返った。瞳が微かに煌く。
 「そうね…どうせ住んでる人間ものんびりしてるんでしょうよ。きっと、」
 ふふ、と唇が微笑みを象り、その華やかな色を人差し指で撫ぜる。



 その城は、聞き及ぶ国の風土から些か想像の域を外れる佇まいをしている。
 「かの草原の国は」と言わしめる、豊かな人間性と穏やかな気候は確かに実感できる。ただし、城そのものは重厚な石造りであり、ぐるりとそびえる城壁は防衛を意識したものであると思わざるを得ない。
 遠目に確認したフレイ・アルスターは、くっと唇を釣り上げた。
 「そういう所に限って、内側は脆いものよ」
 低く暗い呟き。
 聞き留めた侍女が訝しげに横を見る。
 「お嬢様?」
 「何でもないわよ、セリカ」
 ―――フレイ自身に、己の言動は良く分からなかったのだ。何故か、そう思わずにいられない…言わねばならぬ気になったのだ。
 身の内から囁く何者かへ、返答するかのように。

 馬車はようやく、険しい山脈を越え、『草原の国』領内へと入っていた。





 そわそわと落ち着きのない体に添って、裾がひらひらと舞う。数歩歩いてはくるりと身を翻し、来た所を辿るように再び数歩。
 それを繰り返す、歳若い青年が一人。
 三回。
 往復を繰り返した彼は、今度は室内に居たもう一人の青年に向かって歩み寄った。
 「あとどれくらいかな」
 一体この言葉を今日、幾度聞いただろう。
 溜め息を飲み込み、彼は律儀に答えた。
 「夕刻までまだ時間がございます」
 「夕方か…でももう、お茶の時間は過ぎただろう?」
 「ですから…もう数時間もすればお着きになります。―――王子、せめてお座りになっていらしてください」
 「だって!ねえアーニィ、分かってる?」
 「何がですか?」
 「俺の、こ、婚約者なんだよ?落ち着けって方が無理だよぅ」
 「そんなに楽しみなので?」
 「そうじゃなくって!…あ、いや、楽しみじゃないって事じゃなくて」
 王子と呼ばれた―――くるくると落ち着きのない―――青年は、今度は腕を振って何かを訴えた。
 「顔も知らない子なんだよ?それなのに婚約者が来るとか言われてさ…緊張するじゃないか!」
 「はあ…しかし、婚約者候補、でございましょう?」
 「そんなの建て前さ!城に来るんだよ、まさか相性が悪いので婚約は無しに致しましょう、なんて話になるわけないじゃないか。十中八九、決定事項!」
 「―――では、焦る必要もないのでは?」
 「………アーニィ、」
 大体この男は飄々としているのだ。自分が抱えているこのわだかまりを理解して、その言動なのか。それとも、頭から解かっていないのか。―――否。どちらも違う。
 何となく違うのは感じられたが、かといって―――ではどうなのか、と言われると答えられない。
 それが、現状の正直な感想だ。
 「とにかくさ、」
 「はい」
 「…落ち着いてられないの、本当に」
 「左様でございますか。では、お茶など」
 「は?」
 「暖かいものでも飲めば、少しは落ち着かれるでしょう」
 「・・・・・」
 今度こそ彼は、黙り込んだ。



 物心ついた頃から見慣れている侍女が、お茶の仕度をしてやってきた。
 「あぁ、ごめんねセツリ」
 わざわざ呼びつける形になった彼女に、彼―――ジャッキーは言葉をかけた。身の回りの世話をしてくれるセツリと、第一の側近であるアーノルド。この二人が、ジャッキーにとって最も近しい人物だ。無論二親を除いてであるが。
 銀の盆に茶道具一式を運んできた侍女は、にこりと笑ったのみで、素早くテーブルの上をセッティングしていく。
 温めてすぐに持って来たのだろう、湯気の立つポットからルビー色の紅茶が注がれるに従って、ふうわりと香気が二人の鼻腔を掠める。
 「いい香り」
 「いつものと違うようだが」
 香りのみを楽しむジャッキーと、目を細めつつも視線を向けるアーノルド―――二人の相違を黙認しながら、セツリは盆を手前に下ろした。
 「昨日、城へ献上の品が届きまして。この度は茶葉の珍しいのが入ったとかで、それをお持ちしました」
 「なるほど」
 得心がいったとばかりにアーノルドは呟き、傍らを見遣ると、ジャッキーは早速カップを取り上げている。
 「うん、美味しい」
 「それは、ようございました。他に何かご用命はございますか?」
 「いや―――いいよね、アーニィ」
 こくりと飲み下しながらジャッキーが了承を求めるよりも早く、アーノルドが無言で頷く。
 「では失礼致します」
 「ありがとう」
 再び薄い笑みと共に、侍女の姿が扉の向こうへ去った。





 陶磁器のポットやカップをどれほど暖めても。
 すぐにそれらは冷めてしまう。
 大概において、カップの中身を全て飲み干さぬうちに。

 温くなり渋みを増した紅茶を舌先で転がし、ジャッキーはちらりと隣の青年を見た。
 清潔感を保つべく切り揃えられた蒼い髪。
 細い切り込みの中に潜む翠の瞳。
 ―――余り表情を変える事はない、静かな水面。
 この男の思考を読めるのは、そう多くないに違いない。
 それを可能とする一人だと、思っても良いだろうか。…思いたいのだ、自分は。

 いつだって傍にいる。
 記憶の辿れる限り、彼のヴィジョンはどこにでも在る。
 笑っている
 怒っている
 悲しんでいる
 それから…
 自分だけを見ている。
 様々な刻を一緒に過ごしてきて、それでいて、どうして彼を分からぬなどと言えるだろうか。
 言いたくない。
 例え、彼が。
 義務で己の傍に仕えているだけだとしても。
 そんな冷たい思考が溶けるくらい、永く、―――二人は一緒に生きてきたのだから。 



 太陽が山の向こうに沈み、残光すら消えかけた頃―――ようやく侍女が来訪の報を伝えた。





+++++++
プロローグ1−2へ続く

Date: 2005/06/22(水) No.1

雪里@うっかり書き手 2005/06/22/23:36:10 No.2
後書みたいなものはこのレス機能で。

いきなりフレイ様からです(笑)。でもこの物語の主人公はアーノルドとジャッキー(ダブル主人公)ですあしからず。
プロローグ自体がかなり長くなりそうです…おかしいなあ、プロット立てた時点ではルーズリーフ一枚程度だったんだが。
まあ今回は最初の最初ってことで、次からキャラクタたちが動き出します。

ちなみに、作中オリキャラでうっかり下士官ズの名前が出てきます。これは後々の企画のためですので、とりあえず今んとこはあんまり気にしないで下さい。


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