Legend of Seed.

序章〜中「崩壊の足音」
担当:雪里


2−6  2005/06/23(木)
2−5  2005/06/23(木)
2−4  2005/06/23(木)
2−3  2005/06/22(水)
2−2  2005/06/22(水)
「崩壊の足音」1  2005/06/22(水)


2−6
 先んじて室内を確認したアーノルドは、暫くそのまま動かなかった。
 「…アーノルド、」
 「―――王子…入られぬ方が、」
 「―――!それって、…父上は?母上は?!」
 敷居を跨ぎ、室内を隠す形で立っているアーノルドに掴みかかり、ジャッキーは無理矢理体を半分捻じ込んだ。
 「あっ―――」

 彼は、ベッドの上に晒されている遺骸を見ているだろう。庇うように重なった二つの体。しかし彼らの首は体から離れた所に転がっている。
 アーノルドはそんな彼の表情を見るに堪えず、視線を別に向けたが―――そこに、変わり果てた父親を見つけて、彼もまた絶句した。

 いつも、強く気高かったひと。
 彼の剣技を讃える逸話は国内に留まらないと言う。
 騎士団長を父に持った自分は、悩みも迷いもせず、父と同じ道を選んだ。
 その広い背なに、力強い腕に―――憧れて。
 何よりも、誇りだった。

 その、父が。


 真っ二つに折れた、父愛用の剣が―――何よりも残酷な事実を、アーノルドに突きつけていた。



 「ちちうえ・・・ははうえ・・・」
 ばさり、と音がして。
 振り返ったアーノルドは、ベッド脇に跪いてそろそろと両親に手を伸ばしかけているジャッキーを視認し、固まっていた四肢を慌てて動かした。
 「王子―――」
 「こんな…こんな事って、」
 「王子、お気を確かに!」
 肩に手をやるが、ジャッキーは振り返りもしない。
 「死んじゃった?ねえアーニィ、二人共死んでしまったのかな?そうだよね、だって…首、ないんだもの…生きてる、わけ、ないよね―――」
 「…そうです、お二人共亡くなられております」
 「―――っ……あ、あぁ―――」
 触れる事なく引き戻された手はそのまま我が身を抱く。

 何故。
 何故何故何ぜなぜなぜなぜ
 どうして!

 もはや何を考えていいのか分からず、混在した激しい感情が突き上げるままに、彼は叫んだ。




 何が起こっているのか。
 ほんの数時間前から巻き起こり続けている、悪夢。
 次から次へと。
 何ひとつ目覚めぬまま、膨張していくばかり。
 このままでは―――迷い込んで、二度と目覚める事が叶わないのではないか。


 湧き上がる絶望を打ち消そうと、目の前に唯一ある存在を抱き締める。
 「なりません王子!戻っていらしてください―――此処へ!」
 壊れた人形の如く、狂気めいた悲鳴をあげる彼を自分の方へ向かせ、必死に呼びかける。空虚な瞳から透明な涙が零れ続け、頬を捉えたアーノルドの手をも濡らす。
 「貴方まで失いたくはない―――!」
 ぱん、と乾いた音。
 平手打ちを喰らったジャッキーは、やがてぼんやりと眼前の男を見つめた。
 「…あーのるど…―――アーニィ?」
 「そう、私です。―――王子…行きましょう」
 「行く?どこへ?」
 「……逃げるのです」
 「逃げる…?なんで、」
 心底不思議そうな彼を引っ張り、無理矢理立たせる。そのまま手を引こうとすると、急に反発する。
 「父上たちをこのままにできない」
 「お気持ちは分かりますが―――」
 国王夫妻を抹殺したのならば、遅かれ早かれ唯一の後継者たる彼にも魔の手は伸びるだろう―――想像に難くない。
 ならば、一刻も早く彼を安全な場所へ連れて行かねばならない。
 安全な場所―――一体そこが何処なのか、分からないとしても。
 ここで怯え竦んでいるわけにはいかないのだ。
 しかしジャッキーは強固に拒否し、アーノルドの手を振り解こうとする。
 「王子!」
 「死んじゃった事は分かってるよ!でも―――でも、俺一人でなんて逃げられない!」



 「お前は何よりも王子の安全を優先させねばならぬ。それがお前の生きる理由なのだ」

 「…お前が、王子をお守りするのだ」

 「よいな、アーノルド。お前は私の息子…騎士の何たるかを、ゆめゆめ忘れるな。―――行け!」



 「―――ご無礼を…!」
 体を引き寄せ、囁きながら彼は決断を下した。
 アーノルドの肩に乗った顎ががくりと落ち、鳩尾に受けた衝撃に見開いた目が、すぐに閉ざされた。
 崩れ落ちた体を背負い直し、アーノルドは歩き出す。
 部屋を出る間際、暫し彼は立ち止まった。
 父が敗れたのはあの異形だろうか---―だとしたら、例え魔法の助勢があったとしても、自分一人で撃退できたはずもない。もしかしたら、自分達が辿り着く前…この部屋に現れた異形は、一体ではなかったのかも知れぬ。自分が闘ったものとは違う個体だったのかも知れぬ。―――そう思わなければ、彼は父親の敗北を受け容れることなど、できそうにない。
 命尽きる瞬間まで、剣を手離さなかったに違いない。…そうなのでしょう、父上。
 答える声などない事を承知の上で、問い掛け。
 彼は、二度と振り返る事なく部屋を出た。




++++++
序章〜後「未来への逃亡」へ続く
Date: 2005/06/23(木) No.6


2−5
 彼らに人語が操れるとは思わないが、音は発するらしい。獣の唸りに似た低い音が地を這う。
 先手を切ったアーノルドの剣が異形の鼻先を掠め、どす黒い液体を撒き散らす。痛覚があるのか、気配に怒りが満ちる。
 あの爪は厄介だ。あれに捉えられたら、人の身など容易く切り裂かれてしまうに違いない。間合いを計りつつ、アーノルドはじっと異形を睨む。どんな体躯にも、弱点や盲点は有る。初めて相対するものなれば、一秒でも早くそれを見極めねばならない。
 と、異形の周囲が歪んだように見えた。
 「なに…?」
 目の錯覚か―――否!
 大きく上半身を屈め、翼を震わせる―――そうして歪む大気が、禍々しい力を収斂させていくのが、感覚で解かった。そして、それが非常に危険だと言う事も。
 「くっ―――!」
 うかつに間合いに入るのも危険と承知しつつ、アーノルドは助走無しで相手に近付いた。カウンタを喰らうかもしれなかったが、しかしあの『力』を最後まで見届ける方が恐ろしい―――そのまま剣を振るい、微細に震える翼の根元に叩き込んだ。




 背を冷たい壁に押し付けながら、ジャッキーは視線を外せない。喉がごくりと鳴ったことで我に返ると、手の平がじっとりと汗ばんでいる。
 見たことも無い異形―――魔物というのか、悪魔というのか―――相手に、アーノルドが次々と剣を薙ぎ、払い、突く。その間何の反撃や攻撃も食らわないわけではなく、時間と共に確実にアーノルドにも傷が増えていく。
 心臓が煩い。
 恐怖と不安―――あぁ、彼は大丈夫だろうか。自分は見ているだけなのか。彼は、自分を護る為に一人闘っているのに!
 拳を握った手が、何かに触れる。はっと目をやると、愛用の小剣。腰に下げている柄が壁に触れ、小さく音を立てた。
 それを、ゆっくりと抜く。
 剣の腕では、到底アーノルドには叶わない。一通り剣技は習っているとは言え、あくまでジャッキーのそれは嗜み程度。そんな自分が剣を携えた所で、今はむしろ足手まといだろう。
 そんな事は分かっている。けれど、何も持たずに立ち尽くすには―――余りに、重い空気なのだ。
 「シルフ―――シルフ、お願いだ。力を貸して―――!」
 銀の小剣を胸に抱いて、精霊の名を呼ぶ。彼が物心ついた頃から、何故かその存在を知っていた―――この国の、守護精霊。
 青年の願いに誘われ、周囲の空気が渦を巻き始めた。
 明確な言葉などない。ただ、彼の意思に添って、風が踊る。

 一騎打ちだった所へ、不意に何かが割り込んだ。
 アーノルドに向かって振り下ろされようとしていた鉤爪が、それ―――薄蒼く光るつむじ風によって撥ね上げられる。その隙をアーノルドは見逃さなかった。踏み込み様両手で剣を持ち上げ、下から腕を切りつける。
 「いい加減にっ―――失せろ!」
 凶悪な三本の爪ごと白刃が腕を切り落とし、黒い液体をまとわりつかせながら、一閃した剣はそのまま異形の首元へ突き刺さった。
 「―――――!」
 声にならない叫びが大気を圧倒し、刺さったままの剣から手を離してアーノルドが飛びのいた時―――憎々し気な眼差しが、確かに…彼を捉えた。
 そうして、黒い体躯が身じろぎしたかと思うと、その輪郭は暗い宙に溶ける様にして―――消えた。
 かしゃん、抜き身の剣が床に落ちる。



 上がった息を整えながら、アーノルドは注意深く剣を拾った。そして剣の傍に落ちていた宝石をも拾い上げる。
今の今まで異形がいた辺りは、真っ黒く煤けていた。床も、扉も、天井も。
 「あ―――アーニィ!!」
 どん、と抱きついてきたのは―――異形でも何でもない…アーノルドの主君足る、青年。咄嗟に宝石を剣帯の隠しに収め、ジャッキーに向き直る。
 「勝ったんだよね?」
 「…ええ、一応は。最後に逃げられたんでしょうが…」
 「怪我は?」
 「大丈夫です、大したものは…」
 言いながら、さりげなく体を扉から離した。
 「あぁ、でもこんなに血が出てる…待って、今魔法かけるよ」
 手を掲げようとしたジャッキーを、慌てて止める。
 「王子のお手を煩わせるほどではありませんから」
 「でも…」
 「それに。―――王子がお使いになる魔法は、怪我の治癒には…向いていないものかと記憶しておりますが」
 「―――あ、そっか…」
 集まりかけた魔力が霧散し、ジャッキーの髪の毛をふわりと揺らした。
 「ところで先ほどの―――あれは、王子が?」
 「もしかして…余計、だった?」
 「いいえ―――助かりました」
 実際あの一撃が作ってくれた隙を突いて、決定打を与える事ができたのだ。
 アーノルドがもう一度礼を言うと、ジャッキーはその言葉をそのまま受け流すように、斜め上を向いた。
 「―――だってさ。俺からも、ありがとうな」
 「…?」
 不思議そうなアーノルドを見て、ジャッキーは薄く笑う。



+++++++
2−6へ続く
Date: 2005/06/23(木) No.5


2−4
 塔を抜け、城の中央に近付くにつれて、光景は悲惨さを増していった。
 既に物言わぬ躯から羽ばたき離れると、次の獲物めがけて襲い掛かる、異形のもの達。それぞれ異様としか言いようのない、グロテスクな姿かたちをしている。
 廊下や広間など、あちこちで騎士たちが奮闘しているが、見たこともない相手に苦戦を強いられている。
 信じられぬ思いで、ジャッキーは走る。
 立ち止まって助太刀をしてやりたいが、その度に騎士達の方から首を振られるのだ。
 謁見室の前で、動く死人のような異形とやりあっていた騎士は、ジャッキーを見ると俄かに動きを早め、大剣を叩きつけるように死人を床に押し潰した。
 騎士団の中でも年配の方にある彼は、ジャッキーやアーノルドが幼い頃から、何かにつけ相手をしてくれる存在だった。子ども相手にも手を抜かず稽古をつけてくれたりもした。現騎士団長よりも年上であるが、副隊長として隊長の補佐を快く引き受けている。
 「王子、ご無事で何より!―――アーノルド、ちゃんと務めを果たしているようだな」
 「はい、…副隊長、何故こんなに劣勢なのです?」
 「うむ―――彼奴ら、生半な攻撃ではちっともダメージを与えられんのだ。一体何なのか…―――むっ!」
 彼は唐突に剣を振るった。驚いたジャッキーが床を見ると、石畳から染み出すようにして現れたババロアのようなヤツが剣に潰されて溶けていた。しかしすぐにまた剣の両脇から蠢き出す。
 「なんだ、こいつ!?」
 「…この様に、普通の打撃では死なんのです。―――おまけに、先に騒ぎになった城下の方に大方出払っておってな、城内はほとんど、我等騎士団連中しかおらんのだ」
 「―――指揮は副隊長がとっておられるのでしょう?」
 アーノルドが振り仰ぐと、彼は仰々しく頷いた。
 「そのように隊長から言われている」
 「父は、王の所へ行くと言っていたのですが…」
 「―――まだ、戻らん。王子も行かれるのですか」
 「ああ」
 「―――どうか、お気をつけて。アーノルド、王子を頼むぞ」
 「副隊長殿も…御武運を。さあ、王子行きましょう」
 再び二人は、城の奥へ向かって走り出した。




 「父上、母上!」
 何故か、国王夫妻の部屋近くは静かだ。他と同じ様に廊下は荒れていたが、それがどれくらいの時間で行われたのか、怪しいまでに。
 震える手が、扉に伸びる。
 「お待ち下さい王子」
 「アーニィ…でも、」
 細い手首を抑え、アーノルドはそっとジャッキーを下がらせた。
 「私が先に様子を伺います」
 廊下の様子からして、室内が無事な可能性は低い。何が起こるか分からない―――起こって欲しくなど、ないとはいえ。
 廊下の反対側までジャッキーが後ずさるのを確認して、アーノルドはゆっくりと扉を開けた―――


 「―――!!」
 「アーニィ!」
 彼は扉を開ける事はなかった。否、完全には、である。開きかけたのと呼吸を合わせるかのようなタイミングで、扉は内側から勢い良く開け放たれた。
 咄嗟に一歩身を引いたアーノルドは、我が目を疑う。頬が熱いのは何故か―――あぁ、きっと。あの爪に引っかかれたのだ。
 扉を開けたのは、王でも王妃でもない。二人の元へ駆け付けたはずの父親達でもない。
 ―――異形。
 そうとしか言いようがない。
 ソレは部屋と廊下の境から動かず、じっとアーノルドを見ている。観察しているのか。瞼のない黒い眼が、不気味に光っている。
 素早く剣を抜いて構えながら、アーノルドはふといつか読んだ本を思い出していた。
 そうだ、あの挿絵に似ている。
 人と同じ二本足で立ちつつも、むしろその立ち姿は、無理矢理後ろ足で立った牛のように不恰好だ。アンバランスに上半身がごつく、肩の辺りからコウモリに似た皮膜状の翼が生えている。ぬらりとした皮膚は黒く、後ろ足は蹄、前足―――腕と言うべきか―――の先は三本に分かれているが、指と言うには余りに硬質で巨大な鉤爪を有している。頭部は肩に埋もれ、首はほとんどない。眼は正面についており、鼻先が幾分長い。耳に値するものは見当たらず、代わりに捻りを加えた角が二本、そこから更にミニチュアの比翼が広がっている。
 恐ろしい恐ろしい、異界のモノ。
 ―――あの本は御伽噺。想像で描かれたものではなかったのか?

 異形のソレが、不意に左腕を振った。反射的に動かした長剣の、切っ先が爪とかち合い、鈍い音を立てる。爪と爪の間に刃が噛み、アーノルドは僅かに力を緩めてすぐに剣を戻した。
 その瞬間。
 彼の目は、爪の一本にひっかかっている物を捉えた。
 異形の姿とはかけ離れた、美しい―――宝石。鎖が絡み付いて、落ちないのだろう。
 思わずアーノルドはジャッキーを振り返った。
 あの宝石は―――国王の証。代々の王が、国王の座にある間は身につけているもの。いずれジャッキーが引き継ぐであろう―――。

 彼は、アーノルドは悟った。
 この目の前の異形が、国王夫妻の部屋で切り結ばれたであろう闘いの、勝利者であることを。―――王も王妃も、そして自分の父親も…既にこの世の人ではないのだろう。
 キリキリと。
 彼が機械人形だったならば、仕掛けが引き絞られるかのような。
 ゼンマイが、ネジが、ワイヤが。
 きりきり。
 全ての琴線が、緊張していく。
 怒りと嘆きを飲み込んで、彼の意識は冷たく冴えていく。

 「お下がりを、王子」
 「アーニィ?」
 「早く!」
 いつになく厳しい声に、体が反射的に従う。一本遠い柱まで後退したジャッキーは、信頼する若い騎士が得物を振るう姿を、呆然と見ていた。






+++++++
2−5へ続く
Date: 2005/06/23(木) No.4


2−3
 「なっ…そんな、」
 アーノルドが来た時と変わらず、ジャッキーの部屋近くは変容なかったのだが。一定の距離を離れた途端、光景は一変した。廊下はどこも酷く荒れていた。硬い石壁は所々抉られた痕があり、タペストリは引き裂かれて垂れ下がっている。国宝級の調度品は床に落ち、割れている。あちこちに見える乱れた塊は、どうやら人間―――千切れた布の模様やらで、かろうじてメイドや衛兵であると確認できる。無論とっくに事切れているだろう。
 「なんで、何が、」
 青褪めて肩を震わせるジャッキーのすぐ傍につき、アーノルドは周囲を覗う。その右手は、左腰に下げている剣に添えられている。『侵入者』の仕業に違いない。しかし―――余りに惨い遺体の状況からして、果たしてこれが人間がやれる事か?
 ―――城下の報告は、何と言っていた?「溶けていたとしか言いようがない」?
 ちらりと足元の遺骸を見遣る。布地から手が伸びている。但しその五指に、肉はない。白い骨に、幾らか赤くまとわりついているのは、その名残か。
 「バカな…」
 獣だとしても、こんな食い方はしない。肉食獣は大抵まず内臓を食う。ましてや、指の骨を砕かずに肉だけ食うなど、有り得ない。大体、城内に獣が入り込むとは考え難い。

 ここ東塔は、これまでほぼジャッキーの占有地状態だった。婚約者候補として隣国からやってきたアルスター嬢は、この東塔に部屋を与えられた。彼女についてきた侍女達も、塔の下階で寝起きしている。
 ―――とはいえ、夜に婚約者の部屋を訪れるような甲斐性はないのだが。

 その東塔を下るにつれて、荒れ具合は酷くなっていく。
 途中フレイの部屋の前に差しかかったジャッキーは、廊下に倒れ伏しているサイを発見して駆け寄った。
 「サイ!」
 力無い体を抱き起こそうとしているジャッキーの傍らで、アーノルドは扉の開いているフレイの部屋を覗いた。―――誰も居ない。いや、事切れている侍女が床に倒れている以外は、だ。部屋の主はどこだ?

 令嬢の側近にしては些か頼り無い風貌の青年。彼が幾度もフレイに詰られているのを見ているジャッキーは、遣る瀬無いばかり。
 何度も声をかけると、サイはうっすらと瞼を開けた。
 「あ…お、うじ…?」
 「サイ、大丈夫?」
 「う―――っ…お嬢様、が、」
 「フレイ?…彼女はどうしたんだ」
 ジャッキーがアーノルドを見上げるが、彼は黙って首を振った。
 「フレイはどこへ…サイ!―――アーニィ、手当てしなきゃ」
 助からないだろう―――無情と思いつつ、アーノルドは判断を下す。抱き起こしたことで露わになった腹部は、生地なのか皮膚なのか判別のつかない位、真っ赤に染まっている。眼鏡のレンズにはひびが入っているが、もはや彼には関係の無い事だろう―――その視力が無い事は、合わぬ焦点が物語っている。
 縋る目を痛い程感じながら、ジャッキーに代わってサイの体を抱き起こしたアーノルドは、静かに…力強く、サイの手を握り締めた。
 「サイ。何があった」
 「あれ、は・・・お嬢様、じゃなかった…絶対、ちがう―――」
 一瞬サイの意識が覚醒し、吐血混じりに彼は必死に言葉を紡いだ。
 伝えなければ。
 自分はもう、彼女を助ける事はできないけれど。
 彼らに、一つでも多く伝えて…彼女を、フレイを。
 震える手が、片手を握っていたアーノルドの手に添えられる。
 「お嬢様も、お父上…アルスター候、も―――変わられて、しまった。あの、妙な、男が城に…来て、から…」
 「妙な男?」
 「ジブリール、と名乗り…あ、っという、間に―――アルスター候は、領土拡大に執心する、ようになって…きっと、あいつが…唆し、たんだ。お嬢様をつか、って…この、国を」
 物騒な告白に、アーノルドの眉間に皺が寄る。
 「お嬢様は、きっとあいつに何かされたんだ…!そう、でなければ、あんな」
 「―――サイ!」
 ごぼ、と喉が鳴り。逆流した血で窒息しないよう、咄嗟に顔を横向かせたアーノルドは、サイの目から涙が流れているのに気付いた。
 ひゅう―――喉から漏れる妙に乾いた不吉な音は、薄幸な青年に迫る死の音沙汰。
 「おね、がい―――フレイ、を…たす、け」

 どうか、あの少女を助けてください。


 そうっとサイを横たえた時、その細い体を支えてきた背骨が折れていた事に、アーノルドは気付いた。
 唇を噛み締めたジャッキーが、瞼を閉ざしてやる。
 「―――アルスター嬢はどこへ行ったのでしょう」
 「…分からない。けど、探さないと」
 「先に?」
 アーノルドの問いに、ジャッキーは一瞬考え込み―――サイを見つめながら、「いや」と小さく否定した。
 「とにかくまず、父上の所へ行く。無事を確認したら、フレイを探す」
 「了解しました」




+++++++
2−4へ続く
Date: 2005/06/22(水) No.3


2−2

 王とその家族の部屋は城の奥に在る。アーノルドが一心に目指しているのは、王子の部屋である。
 来る途中、彼は誰にも会わなかった。一体あの悲鳴や叫び声は、どこから聞こえていたのであろう?確かに城の内部であったはずなのだが。
 「王子、失礼致します!」
 普段ならば決してそんな無礼を働く事はない―――だがこの度ばかりは、アーノルドは礼を脇に置いた。
 「アーニィ、」
 びくりと振り返った部屋の主。疾うに就寝している時刻だったが、彼は軽く身支度すらしていた。
 「王子、ご無事ですか」
 「―――何があったの?何だか騒がしい感じがして…目が覚めたんだ」
 不安そうではあるが、それ以外は特におかしなところはない。いつもの彼を感じ取ったアーノルドは安堵して、それでも足早に近寄った。
 「城下に火の手が上がり、城内に侵入者があるようなのです」
 「え、…えぇ?」
 ジャッキーはぽかんとした顔で、アーノルドを見ている。
 「どういう…」
 「死傷者が出ております。私は王子のお傍に、」
 「城内、に…―――父上と母上は?!」
 「隊長が向かっております。王子は、ひとまずこのまま部屋で…」
 窓枠に走り寄ったジャッキーが、絶句する。
 部屋から見える景色は、深夜だというのにやけに赤かった。その赤はゆらゆらと伸縮しつつ、段々と大きくなりつつある。
 「街が…」
 愕然と呟いたジャッキーは、今度は慌てて部屋の扉へ向かう。
 「王子!?」
 「父上の所に行く!」
 「危険です!」
 「だからって!俺に部屋に篭ってろっていうのか?!」
 「っ…―――王子、お待ち下さい!」
 飛び出して行く主人を追いかけ、アーノルドも部屋を飛び出した。






 月の無い夜、星の光のみでは世界は薄い。
 黒に冒された銀の如き、モノクロの視界。
 つと瞼を開けた少女は、音も無く起き上がり―――無表情を更に無機質に、しかし笑みに歪めた。
 瞑い瞑い…奥深くに潜む、歓喜。

 やっとこの時がきた。
             ―――キタ
 この夜が終われば、アタシは解放される。
                          ―――ヨルに
 今夜全てが終わるの。
              ―――ハジマル
 お父様。
 アタシは、成し遂げてみせる。
 アタシが。
 お父様。
      ―――ワタシのモノだ

 これでもう、
 自尊心を傷つけられることもない。
 この国は辟易するのだ、余りにつまらなくて。
 何が、雄大か温暖か。
 単に不抜けた国民共が!
                ―――ワレがオサメてヤろう
 そうよ、

 手に入れるの。
 お父様、アタシが叶えてみせるわ。
 そうすれば、アタシ達は望むままに、
                       ―――ワがオモうままに
 アタシの国は
 

 少女の意識は、段々と飲み込まれていく。
 彼女が考えていたのではない、思考によって塗り替えられていく。
 アタシ、
 アタシは?
 アタシが…
 どこマデがあたシ?


 さあ、フレイ
 ワタシがオシエてアゲただろう


 「ええ、えぇ―――そうね、ちゃんとできるわ、アタシ」


 友愛など、結局何も救いはしないのだから。

 欲しければ示さなければ
 手に入れるべき力と権限を、証明しなくては
 欲しいものは手に入らない。

 だから、
 だから、アタシは





 ゆらりと振り返ったフレイは、慄き立ち尽くす侍女を睨みつけた。
 「ひ、っ―――」
 引き攣った悲鳴は途切れ、放たれた力によって打ち消された。
 鈍い音をたて、侍女の体は最も近い石壁に叩き付けられ―――落ちた。
 深夜に呼びつけられ、何も分からぬまま…彼女の意識は、永遠に失われた。
 「ごめんなさいね、セリカ…貴女は嫌いじゃなかったけど、やっぱり邪魔だったから…ね」
 寝乱れたままの赤い髪が、うなだれた頬にかかる。それを掻き揚げたフレイは―――情の片鱗も持たぬ、酷薄な笑みを湛えていた。

 人間の体一つ、衝撃は激しい音を生む。
 それに気付いた近室のサイは目覚め、逡巡を抱えたまま、咄嗟に―――フレイの部屋へ走った。

 「お嬢様―――!?」

 半ば叫びながら飛びこんだ、部屋。
 うっそりと振り返った主たる少女は、宵闇に勝る暗さを纏っていた。
 ざ、と引く背の悪寒を覚えつつ、サイは呼びかける。
 「フレイお嬢様…」
 「そう、そうね、貴方もいたのね。―――貴方も、邪魔」
 「!?」

 空気が引き裂かれる。
 サイの視界は赤く染まる。
 愛する少女の、
 己が身から別たれる、
 深紅に。



 室内から廊下まで弾き飛ばされ、石壁に激突して崩れ落ちる体。
 痛みよりも、苦しさがサイの意識を占める。
 それでも彼は必死に顔を上げた。
 ぼやける視界に、少女が立っている。
 「お…嬢、さ…ま」
 あぁ、彼女の美しい紅い髪が―――燃えていく。





+++++++
2−3へ続く
Date: 2005/06/22(水) No.2


「崩壊の足音」1
 夜の闇に忍び寄る。
 それは、影。

 ぽつ、静かな点火。
 小さな火種は瞬時に肥大し、周囲を照らす。
 揺らめきもせぬ異質な炎は、街角を影で彩る。
 風に揺らぎもせず、一定以上広がりもしない―――その不思議で禍々しい炎は、唯一、彼によって生を受ける。

 炎を目の前にして尚漆黒のまま、その影は確かに歪んだ。
 全身を笑みにして。

 呼応するかのように、緋色の悪魔が走り出す。







 温度ではない。
 気配。
 肌で感じる、その感覚。


 アーノルドは跳ね起き、傍らの剣を引き寄せた。
 視線を廻らすと、ほぼ同時に同僚の騎士達が同じ様に飛び起きている。
 余りに異様な空気に、目覚めぬ方がどうかしている。

 あからさまな敵意―――ここまで明確な、邪な感覚は…初めてだ。
 感覚を狭めつつある鼓動を自覚しながら、アーノルドは乾いた喉で嚥下する。
 「各自、城内配置につけ!」
 どこからともなく放たれた命令に、体は勝手に走り出した。


 静かだが騒々しい。
 そんな矛盾した気配。
 城内はそうした空気に満ちていた。
 知らぬ者はまだ知らぬ。
 知った者は―――
 自分のように焦っているか、慄き縮こまっているか。

 「父上!」
 「おぉ、アーノルド」
 謁見室の前で出会った親子は、ぴたりと合った呼吸で確認し合う。
 「一体何が?」
 「分からぬ。だが、ただ事ではあるまい…」
 アーノルドの父親―――アルベルト・ノイマン候は厳しい顔を崩さない。
 そこへ、騎士の一人が走ってきた。

 「隊長!」
 赤い髪をしたその青年は、息せき切っていたが、アルベルトの前で無理矢理姿勢を正した。
 「城下町で火の手が上がっております!しかも…あちこちで、」
 「何だと?―――放火か」
 「それが…市街警備の数名が何者かに殺害されていた、との報告も…」
 報告を聞き驚きつつも、アーノルドは口を挟まずに父親の言を待った。
 「放火ならば、その犯人の仕業以外に考えにくいが」
 「そうなのですが、遺体の状況が余りに…その…とても人間の仕業とは思えぬものだとか。私は直に確認しておりませんが、伝えに来た街の者が言うには、」
 逡巡するように青年騎士は一拍置き。
 「―――獣に食われたようなものと、…溶けた、としか言い様がないもの、と」
 「溶けた?」
 思わず鸚鵡返しに呟いたアーノルドを一瞥し、彼もまた騎士団長の指示を仰ごうと、アルベルトを見つめた。
 暫し険しい顔をしていたアルベルトだったが、切り替える様に矢継ぎ早に指示を飛ばし始めた。
 「とにかく火を収めるのが第一だ。警備の連中を総動員して街に向かわせろ。足りなければ街の者を頼れ。現場は警備主任に一任すると伝えろ」
 「はっ!」
 「それから、」
 アルベルトの言葉を遮ったのは、引き裂くような悲鳴だった。
 三者別方向を振り返ると、ややもせず城内が一気に騒がしくなった。
 また一人騎士が走ってきて、隊長を確認して一瞬安堵を見せた。
 「隊長、じょ、城内に侵入者がある模様です!」
 「!?」
 「見まわりの兵士と侍女が数名、殺されております」
 「何と言う事だ…城詰めの連中を全員たたき起こして城内を捜索しろ!指揮は副隊長に任せるが、各自判断をしつつ動け」
 「了解しました!」

 断続的に悲鳴や怒号が聞こえてくる。
 「父上…」
 「アーノルド、すぐに王子の所へ向かえ。私は王のご様子を見てくる」
 「分かりました」
 「お前は私と来い」
 赤髪の騎士は緊張した面持ちで頷く。

 一歩踏み出したアーノルドは、再度父に呼止められた。
 「お前は何よりも王子の安全を優先させねばならぬ。それがお前の生きる理由なのだ」
 「―――分かっています」


 「…お前が、王子をお守りするのだ」

 アーノルドの記憶を掠めた、言葉。いつかも聞いた…あれは。

 「よいな、アーノルド。お前は私の息子…騎士の何たるかを、ゆめゆめ忘れるな。―――行け!」


 父親であると同時に、騎士としての先達の激励に、アーノルドは弾かれるように走り出した。
 通路の奥へ向かって小さくなって行く息子の背中を感慨深げに見つめていたアルベルトは、ほう、と小さな吐息を吐いた。
 「隊長?」
 「…我等も急ぐぞ」
 「はっ」




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2−2へ続く
Date: 2005/06/22(水) No.1


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