優雅なナイフとフォークの動きが、その瞬間ピタリと止まる。
「…は?今…今、なんと仰いました、母上?」 「ですから『結婚』です、イザーク」
己の発した言葉で動かなくなった息子に、エザリアは再び同じ言葉を繰り返した。
「貴方が今まで、この母の言葉を聞いてくれなかったのは―――貴方に相応しい姫君を探せなかった、わたくしの所為。ですから、貴方に相応しい、美しい姫を選んでもらうために舞踏会を開くことにしたのですわ…明日の晩、」 「わっ―――私は、そのようなことは聞いておりませぬ!」 「明日の晩の舞踏会で、貴方の姫君が必ず見つかるでしょう―――ああ、直ぐに結婚とは言いませんことよ?貴方にも姫にも、」 「母上!」 「心の準備が必要でしょうから。先ずは『婚約』という形で、民にも発表するのが宜しいわね」 「母上!!」
白いテーブルクロスの上で、銀の食器たちが音を立てて踊る。大きなテーブルの上に叩き付けられた手が発した音に、ワインを注いでいた侍女の動きが止まった。 そこでやっとエザリアの言葉が途切れ、イザークはテーブルの上に突いた手をゆっくりと元に戻した。同時にゆっくりと息を吐き出し、己を落ち着かせる。
「何故、そのような―――突然なことを申されるのです!」 「突然などでは無くてよ、イザーク?今まで何度も言っていてよ?」
既に食事どころでは無いイザークの向かいで、至って平常にデザートのフルーツタルトを優雅な手付きで口に運びながら、エザリアは微笑んだ。
「ですからっ…私は何度も申し上げた通り、騎士としてこの国を―――」 「貴方は騎士である前に、この国の王子としてのお役目を果たさなければならぬと、何度言ったら分かるのです?」 「…ッ…!」
一転して、ピシャリとイザークの言葉を断ったエザリア―――威圧感に、イザークは押し黙らざるを得ない。 エザリアはナプキンで口元を拭くと、沈黙する息子に向かって微笑を浮かべる。
「よろしいこと?イザーク。貴方はいずれ、このわたくしの後を継いで王となるのですよ?何時までもそのような我儘は許されぬこと―――」 「…承知しております…ですが、母上!」 「分かっているのなら、これ以上、わたくしに心配をさせないでいただきたいわ」
氷のような美しい微笑みを残してエザリアが席を立つと、広い部屋には一人イザークだけが残されたのだった。
「―――いいじゃん、美しい姫の一人や二人貰えば、」 「黙れディアッカ!私は―――!!」 「う、わっ!…っと、危ねぇな!―――ま、義母上の言うこたぁ、正論だろ?どうせいずれは、お前が国を継ぐんだしさ」 「煩い!」
叩き付けるが如く、目の前を凪いだ刃を、寸での所で飛び退き避ける。 それ以上追撃が無いことを確かめて、ディアッカはやっと一息ついた。そして、目の前の憮然とした顔―――それ以外のイザークの表情など、滅多に見れるものでは無い―――呼吸と、肩上で切りそろえられた銀髪を乱した義弟を見る。
「何が気に入らないっつーんだよ?」 「この事態の何処を気に入れと言うんだ!」 「…」
母親譲りのアイスブルーの瞳が、目の前の己を切り裂かんとばかりに鋭い光を放つと、ディアッカは沈黙するしかない。 こうなった義弟は、自分が何を言おうと頑として聞き入れないことを、ディアッカは今までの年月で経験として知っていた。
イザーク・ジュール。 現帝:エザリア・ジュールの胎から生る、この帝国の正統なる後継者、第一帝位継承者。 卓越した剣の腕を持つ騎士としても名高い青年。 その氷のように整った容姿に似合わず、気性が些か荒いことを知っているものは少ない。
そして、その真実を尤も良く知るのは自分に間違いない―――ディアッカはこっそりと心の中で嘆息した。 自分の父がイザークの母…女帝・エザリアと結婚した時から、ディアッカはイザークの義兄として、そして王子の第一の側近として生きてきたのだ。 それはイザークの性格その他諸々を理解するには充分すぎる時間。 その時間は、イザークに生涯仕えても構わないと思わせた。―――元より帝位など興味は無い。
だからこうして共に居る日々は楽しい。 それがディアッカがここに居る理由の全てだった。
「『結婚』なぞ…考えられぬわ!」 「…だから、今回考えろって言ってんだろ、義母上はさ…わざわざ舞踏会まで開いて、」
抜き身のまま握っていた剣をするりと腰に下げた鞘に収めて、イザークが吐き捨てると、同じように愛用の大剣を収めながらディアッカが肩を竦めた。褐色の肌に流れる汗を拭いながら、ディアッカはイザークの様子を窺った―――奥歯をかみ締めている。 多分、頭では分かっているのだ。幼い頃より、次代の王となるべく育てられた、―――気高い彼のことだから。
真面目に騎士の道を邁進してきた彼にとって、色事など程遠いものだったことも、この頑なな態度の要因だろうが。 つまり、イザークは苦手なのだ―――女性が。 そう考えたら笑いがこみ上げてきて、ディアッカの口調も思わず軽くなる。
「まぁ、『美しい姫』を集めてるって言うくらいだぜ?期待できるんじゃないの?」 「…だったらお前が結婚すればいいだろう」 「それとこれとはハナシが違うだろ」 「…」
表情をさらに歪めて、喉の奥で唸りに似た声を出す―――『分かっているが納得できない』を全身で示すイザーク。 むっつりと押し黙ったまま、やがて、くるりと背を向け、修練場を出て行こうとしたので、ディアッカは彼を呼び止める。
「おい、イザーク!」 「…何だ」 「『白銀の騎士』の運命の姫君が見つかるといいなー!」
城に響き渡る怒号―――それは割といつもの風景であった。
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Date: 2005/06/29(水)
No.2
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