Legend of Seed.

序章〜後「未来への逃亡」
担当:雪里


3−5  2005/07/25(月)
3−4  2005/07/25(月)
3−3  2005/07/18(月)
3−2  2005/07/17(日)
「未来への逃亡」1  2005/07/17(日)


3−5
 婚約者の叫びは、彼女に届いていないのか―――フレイは下を見ることなく、それどころか、彼女の足取りはまるで逃げているようには見えない。
 ふらふらと頼りなく、どこを目指しているのでもない。視線は茫洋と宙に浮いているだけで、すぐ傍に迫る炎を捉えすらしない。
 「フレイ、俺だよ!―――こっちに来るんだ、絶対受け止めるから!」
 不規則に吹きつける熱風を片手で顔から遮り、ジャッキーは必死に呼びかける―――だが、一度としてフレイはこちらを見ない。

 やがて彼女は城壁の端へ至る。薄い夜着から出る二の腕が、何を求めてか空へ伸ばされる。

 ジャッキーの横へ並んだアーノルドは、無理矢理手綱を引いて下がらせる。すると時を置かずに、ジャッキーがいた場所を炎の剣が一閃していった。
 一瞬驚いて身をすくませたジャッキーは、すぐにまたフレイを見上げる。距離を置いて見ると、彼女は紅い影の様だった。
 漆黒と緋の狭間に佇む、紅い少女。
 炎に照らされた頬が、影を揺らめかせ、時折露になる白い肌の上で、その唇は笑みを刻んでいる。―――何故か、その表情がはっきりと見えた。
 「フレイ…どうして」
 単身見知らぬ国へやってきた少女。本当なら、寂しいだろうに。自分の立場を理解して、彼女は毅然とこの城へやってきた。
 愛しているとは言えない。我侭な性格は苦手に感じたが、嫌うまでではない。これから色々な話をしていけば、彼女の愛すべき点もたくさん見つかると、思っていた。彼女が望むと言うなら、受け容れようとも思えた。
 ここで彼女を見捨てるなんて選択は、有り得ない。
 なのに。


 「どうか、彼女を」

 息絶える寸前まで彼女を想い続けた青年、彼の意思を捨てることなどできないのに。



 お父様、これで良いのでしょう?
 アタシは「言われた通り」にやれたわ。
 見ていてくださった?
 この国が私達のものになれば、私達はもっと幸せになれるって。
 そう、あの人は言った。
 アタシもお父様も、それを望んだ。
 ねえ、誉めてくれるわよね?

 ―――そうだね、フレイ…お前は良くやった

 そうよ、これで、これで。
 お父様…早く会いたい。

 ―――すぐに会えるさ…もう少し待っていなさい

 もう少しってどのくらい?

 ―――すぐ、さ。お前が一眠りしている間に

 そう…ええ、少し疲れたわ。
 お父様、帰ったらお話したいことがたくさんあるわ。
 つまらない国だったけど、悪くはなかったのよ。
 あぁもう、もうすぐ帰れるというのに、サイ達はどこへ行ったのかしら…

 ―――そう、この国は役に立つんだ

 けれどその為には一度塗り潰さなければならない何故なら余計なものが多すぎるから




 愛する父親の声と、重なって聞こえる声は、フレイの耳には留まらない。
 今の彼女は、ひたすらな充足感を覚えるばかりで、背中を舐めて髪先を焦がす炎など知らない。
 月の無い夜空を彩るのは炎の演舞だというのに、彼女に見えているのは、幸せな未来。
 使命を全うして、フレイは今、嬉しくて仕方ないのだ。
 「ふふ…やった、のね。これで終わり―――終わるの」

 惨劇の闇に、少女の哄笑が響き渡る。
 炎上と崩壊のオーケストラを従えたシンフォニィの如く。
 そして、
 滅ぼした国と自らの為に歌う、レクイエムの如く。



 「―――フレーーーイ!!!」

 猛り狂う炎はついに少女を捕らえ、抱き込んだ。彼女を火種にしてか、一際大きく火柱が立つ。それと前後して、幾つかの影が彼女の周囲に出現して飛びかかって行くのが見えた。
 「くそっ…なんで、どうしてっ!」
 ぎりぎりと手綱を握り締め、また唇を噛むジャッキーを痛ましげに見守っていたアーノルドは、しかし彼に余韻を与える事はしなかった。
 「王子、もう…」
 「アーニィ…彼女まで死ななくちゃいけないの?なんで、彼女は…」
 「―――彼女に何の罪も無いとは、私には思えません」
 「―――え?」
 訝しげに見つめ返す彼の眼差しを逸らし、アーノルドは白馬に鞭を与えた。
 「わっ…あ、アーニィ!」
 続けて己の馬にも鞭をやり、すぐに隣に並ぶアーノルドを、ジャッキーは馬上で睨む。

 馬が通るには、道無き木立は茨の如し。やや先を行く黒馬に合わせる白馬、二頭は細い道の出来ている箇所に飛びこんだ。そのままスピードを緩めることなく、身を打つ小枝も気にせず、走り続ける。

 幾度も後ろを振り返るジャッキーは、ともすれば速度が落ちがちだった。それをアーノルドは、白馬の手綱を自らも引く事で補う。
 良く慣れた馬達は、主人達の関係を理解しているのか…白馬はアーノルドの意志に逆らうことなく、従順に走った。


 影絵の隙間に揺れる光景は、段々と遠く霞んでいく。それは、距離が離れて行くと同時に、涙が零れていくから。
 城内にいる時から、自分は何度も留まりかけた。その度にアーノルドに叱責され引っ張られ、城の外まで来て。
 ―――今度こそ、本当に。
 ―――逃げるのだ。
 ―――大切な人々を置いて、何処とも知れぬ地へ。

 それが定めというなら、自分は神を恨むかもしれぬ。
 苦しみは我慢できても、悲しみは止めど無い。

 溢れ続ける涙は、頬を切る風に乗って散って行く。
 手向けというには余りに儚い、雫の花。 





+++++++
序章・終幕
幕間へ続く
Date: 2005/07/25(月) No.5

雪里@うっかり 2005/09/25/22:09:01 No.6
お疲れ様でした、ひとまずここで序章は終わりです。
…序章が3部に分かれてる辺りで、何かこう…思う所が書きながら自分であるというか…(笑)。

次・幕間インテルメッツォを挟みまして、ジャッキーとアーノルドの長い旅が始まります。どうぞお付き合い、見守ってやってください。


3−4
 謁見室の隠し通路へ入り、暗いその道を手探りを余儀なくされつつ進んでいた二人は、やがて行き止まりに辿りついた。
 「…アーノルド」
 「どこかに仕掛けがあるはずです」
 ほぼ視界が閉ざされている中、二人は辺りの壁に手をやり、探る。「おかしな」部分を求めて。
 暫くして、ジャッキーの手が不自然に盛り上がった壁面に至った。
 「あっ、ここかな―――押せばいいのかな…」


 世界は夜。闇の帳が降りた大地は暗いが、それよりも濃い闇の中にいた二人には、やけに明るく見えた。街のある方向は特に、不自然な朱に染まっている。微かに届く、声や音。
 「ここ…城の真後ろ?」
 「そうですね…距離をとって植生の中に出口を作ったのでしょう」
 きょろきょろと辺りを見回しているジャッキーに同意しながら、アーノルドは素早く道を探す。
 どうやら周囲に敵はいないようだ。幸いな事に―――しかしいつ気付かれるかもしれない。一刻も早く、少しでも遠くへ行かねば―――。
 ふと見上げた背後は、黒い城壁がそびえ立っているばかり。木々が邪魔をして上までは見えない。
 城壁はぐるりと廻らされており、その周囲を芝生が、さらにその周囲を木立が包む。城を正面から見たとき、東西の塔はやや斜め後ろにある。各塔、下層部位が城の本体と直結しており、城内のみならず、城壁の上にも出ることができる。
 二人は、その木立の中に出たのだ。隠し通路が、途中下ったり昇ったりしていたのは、城からここまでの位置を考えれば納得できる。
 「アーノルド…どうする、」
 「街には当然行けませんから…このまま、裏手を抜けましょう」
 「そう―――」
 尚も問いた気なジャッキーに気付いてはいたが、アーノルドはあえてそれ以上何も言わず、城と逆方向に一歩踏み出した。
 夜露に濡れた青草を踏む感触。
 城の周囲に廻らされた木立は、何箇所か踏み固められた道ができていたが、ここら辺はそうした様子はない。非常時に使われる隠し通路の出入り口付近なのだから、当然である。
 「―――?…待ってアーニィ」
 はっと立ち止まったジャッキーが、慌ててアーノルドをも制止する。
 「何か―――」
 よもや追っ手が…アーノルドは瞬時ひやりとしたが、すぐにそれが間違いだと悟った。
 近づく気配は、余りに馴染みのあるものだったからだ。

 動物の息遣いと、特徴的な走行音。―――馬の駆ける音。

 木立の間に、ちらりと影がよぎる。

 「エルとラフィーだ!」
 「何故…」

 半信半疑のままじっと見つめるアーノルドを、もどかしげに促し、ジャッキーは城の方へ戻るべく駆け出した。
 「お、王子!」
 「エル!」
 木立をあっという間に抜けた二人の姿を、馬の方も認めたのか、不安気にうろついていた二頭の馬が、軽やかに近づいてくる。
 その内白馬の方はジャッキーへ、黒馬の方はアーノルドへと、嘶いて鼻先をすり寄せる。それぞれ二人の愛馬なのだ。
 「ラフィー…どうして、お前」
 物言わぬ動物は、しかしその瞳でしっかりと主人を見つめている。
 純粋に愛馬との邂逅を喜んでいるジャッキーを横目に、アーノルドは考える。
 二頭とも厩にいたはずで、人の手によるか、厩自体が壊れない限り自由に行動できない。それなのにこうして―――しかも、鞍も装備している。明らかに誰かが意図して、二頭の馬に装備を施して放したとしか考えられない。
 ちらりと、厩番の少年を思い浮かべる。―――彼なのだろうか。しかし状況を踏まえて判断したにしては、一介の厩番には荷が勝ちすぎる気もするが…。
 思案気な主人に、黒馬は意味有り気に首を振り、やや前身を低くした。―――乗れという意志。
 見れば、白馬の方も同じく身を低くしてジャッキーを促している。
 そうだ―――ここで考えていても何も得は無い。遠くへ行くのに、馬がいた方が良いのは明白。―――考えるのは、後だ。

 アーノルドは愛馬を一撫でし、素早くその背に乗った。同時に黒馬は立ち上がり、勢い良く前足で地を穿つ。
 「王子、行きましょう!」
 「あ、うん―――」
 外套を翻して白馬の背に跨ったジャッキーを確認し、手綱を操って馬首を廻らせる。


 轟、と一際大きな唸りが背中を襲った。
 それまでとて、何も静寂だったわけではない。さすがに石壁に遮られた城内の音は聞えてこないが、城下街の喧騒は小さくとも響いてきていた。―――小さな火種だったはずが、今や、街全体を飲み込む業火へと変貌して。
 そこへ加え、極近くからも、炎が舞い上がる音。熱風が四方へ流れ、外へ向けて身を乗り出さんばかりの赤い炎が、ちらちらと視認できるまでになる。
 「城内までも火が…」
 熱に慄く馬を宥め、無念さをかみ殺せぬままに、二人は呆然と城を見上げる。

 城も街も、焼け落ちるのだろう。
 そこに在る、何もかもをも共に、焦がし消し去って。

 ひらりと近くに飛んできた小さな火の粉を見たアーノルドは、我に返る。
 「王子、参りましょう―――…王子?」
 ジャッキーは、アーノルドとは別の意味で城を見上げているかのようだった。その表情は呆然ではなく、どちらかといえば驚愕に見える。
 彼の視線を辿ったアーノルドは、炎による逆光で真っ黒く見える城壁、その上に揺らめく影を見つけた。―――魔物か、まだ闘い続ける騎士の一人か…
 判断しかねたアーノルドだったが、ジャッキーは一瞬早く確信して―――叫んだ。

 「フレイ!―――フレイ!」

 え、と目を見張ったアーノルドも、ようやくその影が、夜着すらも豪奢な、あの少女である事に気付いた。―――生きていたのか。
 白馬を操るジャッキーが、フレイの立つ城壁へと近づきながら呼びかける。あっという間に勢いを強めていく炎、その尖兵足る火の粉が、彼の周囲に舞う量が各段に増える。だがジャッキーは構う事無く、ひたすら上方を見据える。近づきすぎて、熱に目が痛もうとも。






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3−5へ続く
Date: 2005/07/25(月) No.4


3−3
 弾けた血飛沫以外は、まだ綺麗なものだ。
 彼は疲れきった表情を隠せぬまま、謁見室を見渡した。
 物言わぬ躯は、ほんの今日の午睡まで―――剣の手合わせをして、共に食事を摂り、語り笑い合った者達。現実のなんと虚しい事か。それを…その現実を、唯一慰めるのは。

 「副隊長!」
 「おお―――無事か」
 「はい…しかし、」
 「…分かっておる。―――ここが最期だろう…各々、覚悟せい」
 謁見室に走り込んできたのは、たったの四人。あれだけいた騎士団は、今宵の内に壊滅の憂き目。騎士団長すら失った彼らに、希望は乏しく…悲愴を浮かべぬ者は無い。
 「もう―――持ちません!」
 「城下からも敵があがってきているようです」
 口々に飛ぶ報告は、どれも絶望的な状況を示している。
 「副隊長、王子は」
 「今しがた、ここより行かれた。アーノルドが供に付いておる…我等は、王子が退かれる時間を稼ぐのだ―――可能な限り」
 「はっ!」

 もしかしたら。
 逃げ出した城外に、すでに敵の手は回っているかもしれない。
 しかし、数の無い彼等に、そこまで補佐する余裕は無い。
 「後の事は―――アーノルドに任せるしかない」
 「…彼ならば、必ずや」
 「誰よりも王子を想っているヤツですからね」
 「―――うむ、そうであったな。では、後顧の憂いはないと、割りきれ!己らの命、ここで果てると覚悟しても!」




 新しい血飛沫が飛ぶ。
 息遣いと剣の打ち合う音、気味の悪い魔物の鳴き声、人の叫び。
 数え切れぬほど肉を切った刃は、疾うに鋭さを失い、唯重量に任せて叩き付ける金属でしかない。



 一人。
 また、一人…もう、一人。
 元より少ない味方が減るにつれて、騎士達は追い詰められていく。
 対して、謁見室の外から入り込んでくる魔物は、続々と果てが見えない。

 「―――っ!?あ、うわ――ぁああ!」
 横手から突如上がった悲鳴に、彼は思わず振り返った。そして―――一瞬の凝視で、目に痛みすら覚えた。
 得体の知れぬ、半透明の物体…ゼリーと言えば、最も近いだろうか。流動体は、どこまでが一つなのか判然としない。一体なのか、数体がくっついているのか…。天井と横壁から滲み出つつある、ぷちぷちと小さな空隙を内包したソレは、肉を飲み込み―――”食べて”いた。
 その腕と足を捕食され、半狂乱の騎士を、無我夢中で引っ張り出す。
 ずるり、と何かが”剥げる”感触と共に―――残った体は、いとも簡単に抜けた。
 「ひっ…あ、あぁ―――!」
 自らの体が信じられないのか…剥き出された己の骨を見て、彼は痛みと恐怖に叫ぶ。
 「おい、しっかりしろ!」
 「ふ―――く、隊長、」
 ぶるぶると震えるのは、信じがたい程白い、指の骨。
 「ほね、では…剣は、持てませ…く、隊長―――どうか」

 立ち上がる事も、武器を取ることも不可能となった部下の体を抱え、彼は後ずさった。背中に石壁が当たる。そこは―――彼が、彼らが愛する人の命をつなぐ、細い細い道。
 彼は懐から短剣を抜いた。
 「―――少しの差に過ぎないが、先に行け」
 「…は、い」
 どこかほっとした表情で―――死の淵に立つ青年は、ほんの微かに微笑んだ。

 「貴様等魔性などに―――辱められてなるものか…!」




 幼い時分に弱いのは当然。
 しかしかの人は、年齢がどうとか言う以前に、どうにもか弱い印象が拭えなかった。
 ほっそりとした面影、日に当たっても焼けぬ白い肌。
 痛みに弱く、すぐに堰が切れる涙腺。
 一体全体、このような儚さで、一国の主になれるものか―――最初こそ、そう思わざるを得なかった。
 だがやがて、思い違いと知る。
 弱さが憎くはない。
 幼さは愛しく、その心根は優しく。
 彼は―――ひたすらに、優しい。
 優しすぎるが故に情に弱く、また、強い。

 確かに―――国を担う者としては、些か弱みなのかもしれない。
 だが、そんな…弱さに裏付けられた優しさが、何よりも愛しくなっていた。

 そう、あの子もそんなところに惹かれたのかもしれない。
 同じ位幼いくせに、彼の弱さを補って護るのだと自負して止まない―――あの、若き騎士。かつては二つの蹴鞠の様に、芝生を転げまわって戯れていた。  

 王子を。そして王子を護る幼い騎士を。
 愛し、見守り、育ててきたのは―――親ばかりではない。


 彼らが生き延びることができたとして、その先には、どれほどの苦難が待ち受けているだろうか。それを思うと、無念がよぎるのを否めない。
 だが、それに勝るとも劣らない、信頼がある。
 彼が、彼であるが故に。

 王子―――わたくしは、貴方を、信じる事ができる。
 いつか、我等の国を、
 国の栄光と平和を取り戻してくれることを。

 血を流させる暴力でもなく
 人を騙す言葉でもなく
 ―――貴方の、そのひたすらな優しさが。

 信じられるからこそ―――




 魔物の血を吸わぬままの銀の刃が煌き、埋まる。




 残ったのは、意志なのか力なのか。
 どれほど獣の牙が噛もうとも、
 どれほど魔性の毒が巻かれようとも。

 彼の体は、そこから動かされることはなかった。





+++++++
3−4へ続く
Date: 2005/07/18(月) No.3


3−2
 毒に冒され、石と化し。
 歩みを進めるにつれて、騎士達の無残な姿が、一人また一人と…二人の視界と記憶に刻まれていく。
 「二人共、誰にも触れぬよう…王子、我等に情けをかけてくださるのなら、それこそを約束してください」
 ジャッキーは、頷くことはできず…だが、しっかりと傍らのアーノルドの手を放そうとはしない。握られた手から小刻みな震えを感じ、アーノルドは震えごとジャッキーの手を握り返した。

 「アーニィ…」
 「―――裏口から外へ出ましょう。どうせ表は…もう―――」
 「外へ出て…それで?それからどこへ行くのさ?」
 「―――遠くへ。今はとにかく、一刻も早く、ここから去らねばなりません」
 「…どうにも、ならないの?」
 「…今は」

 己とて騎士の端くれ。
 城を捨て、国を捨てるなど…考えたくも無い。
 だが―――アーノルドにとって、何よりも優先すべきは、彼の主君―――王でも王妃でもない、たった一人の青年なのだ。
 幼き頃に誓った、あの日のままに…彼は何を差し置いても、この一人を護らねばならない。例えそれが、彼に国を、親を、友を…捨てさせることになろうとも。


 涙を拭った彼の背後に、一閃の光を感じ―――アーノルドは咄嗟にジャッキーを抱き寄せた。
 「なっ…」
 虚ろな視線は焦点を定めていない…その姿は確かに、この国の騎士であるのに。
 刃こぼれした剣を無闇矢鱈に振り回す騎士を、二人が呆然と見つめていると―――もう一人の騎士が走り寄ってきて、二つの体が暫時重なった。
 やがて、正気を失っていた一人は崩折れ、その背中に剣が刺さっているのが見えた。
 「何で?!」
 「こやつは―――魔性に魅入られたのです。誇り高き騎士としてあるまじきこと…主君に刃を向けるなど」
 「だ、だからって―――!」
 「王子がお気になさる必要はありませぬ…騎士の心は騎士にこそ、分かるもの」
 「そんな…」
 謁見室の前は、既に力尽きた騎士達の体が幾つもあった。その合間には、彼らによって滅ぼされた魔物もまた、無数にある。
 返り血を浴びた年配の騎士は、二人を謁見室の奥へと誘った。
 「さあ…お早く」
 「―――副隊長」
 「アーノルド、王子を頼んだぞ」
 王座の後ろの壁に隠された通路が、石の擦れる鈍い音と共に暗い穴を生み出した。
 「私がここを―――命の限り護りましょう。少しでも長く―――祈っていてください」




+++++++
3−3へ続く
Date: 2005/07/17(日) No.2


「未来への逃亡」1

 部屋を出ることさえできればよい。
 そんな想いに裏打ちされた一刀は、すぐに彼の意識を戻させた。
 「・・・?」
 ジャッキーは少しふらつく視界にかぶりを振り、自分を担いでいるアーノルドに声をかけた。
 「…下ろして、歩けるから」
 「王子―――申し訳ありません、しかし―――」
 「いい、言わなくても、いいよ…」
 石畳に足をつけて、ジャッキーは後方を振り返った。―――あの部屋から、もう大分離れている。
 その距離は、彼に苦しい諦めをもたらす。
 もう―――戻れない。
 いや、戻ったところで何も変わらないと悟ったから、戻らない。

 急に耳に入るようになった音は、彼らに現実を思い出させる。
 「剣の音…」
 「まだ、闘っているのでしょう」
 「そうだ、俺たちも」
 「―――王子!」
 結局、こうなる。
 アーノルドは己に舌打ちして、ジャッキーの後を追って走り出した。
 彼をあの部屋から連れ出したのは、敵と闘わせる為ではない。例え不利な状況に追い込まれた仲間の横を通ることになろうとも…そこで立ち止まって、手を貸す為ではないのだ―――。





 彼等を守るべき騎士団長も、
 国切っての名うての者らはことごとく、
 ―――既に死んでいる。
 城下は火の海、
 城内は魔物の巣窟となりかけている。

 騎士は、『護る為に闘うもの』。
 故に、護るものを捨てることは叶わない。
 誇りある限り、彼等は決して退くことなく、死以前に捨てることはしない。



 血に触れれば毒となり、
 時が満つれば石となる。

 自然界に無い毒素と、
 呪いの込められた石化。



 「お行きなさい、王子」
 硬直の始まった手を振って、騎士の一人は促した。
 青褪めたジャッキーの横顔は、彼より余程病的に見える。
 些細な怪我ならば癒す術を知っている。しかし、今この時、知己等を蝕む魔の障害は―――虚しく散った蒼い光が如実に示す、現実。
 さらさらと耳を掠める悲しげな風の囁きに、ジャッキーはぐっと唇を噛んだ。
 「そんな…」
 為す術はないのか。彼に逡巡すら与えぬ間に、アーノルドが手首を掴む。
 「王子―――」
 「アーノルド…っ、アーニィ!ねえ、」
 彼が言いたいこと―――訴え、願っている事は、痛い程に分かっている。しかし、癒しの術すら知らぬアーノルドには、どうしようもない。ジャッキーですら不可能ならば当然の如く。
 絶望に染められつつ、ジャッキーが視線をさ迷わせる。
 苦渋に満ちた友と、死…あるいは死よりも恐ろしい末路を目前にした者と。
 「最期まで―――我等は、祖国の為に剣を奮いましょう。この手、この足…動く限り。―――王子、どうか…我等の屍乗り越えて、生き延びてください」
 「・・・・・!」
 石化が進行しつつある両足を踏み出すと、床石と擦れ、鈍い音がした。
 彼を人ならざるものへと変貌させつつある、その原因となった魔物―――切り落とされた首が、しぶとく蠢く。
 渾身の力込めて振り落とされた剣は床をも抉り、踏み付けた足は―――ミシリとひび割れ、砕けた。
 支える足を失い地に伏した騎士は、そのままジャッキーを見…そして、アーノルドを鋭く見据えた。
 既に声を発せないのか…察したアーノルドがしっかりと頷くと、彼は満足した風に微笑み―――次の瞬間、彼に残されていた肌色が、消え失せた。


 「触れてはなりません、王子」
 身を蝕む毒ならば、消せるやも―――そう一抹の願いを込め、術を施そうとしたジャッキーを、またしても止める者。
 びくりと指先を引き攣らせた彼を、アーノルドは我が身の方へ引き寄せた。
 それで良いとばかりにアーノルドを一瞥した騎士は、次に自らの腕…薄気味悪い緑がかったその肌を、憎々しげに睨んだ。
 「どうやら…皮膚感染するようです。既に二人、同じくさせてしまいました…幸い、全身に回るには時間がかかるようですから」
 まだ闘える、と。
 魔物の体液か―――それこそが毒の原因だろう―――に滑る刃先を一閃し、再び力強く握り締める。
 「行かれませ、王子。―――我等の誰にも、情けは無用です。貴方は、ただ貴方の生きる事のみ、お考えください」
 「なっ…なんで、何でみんな―――そう―――!」
 感情が行き過ぎ、憎らしげに己を睨むジャッキーを力づくで引っ張り…アーノルドは、走る。



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3−2へ続く
Date: 2005/07/17(日) No.1


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