Legend of Seed.

浮遊大陸編
担当:雪里


「混迷の瞳」6  2005/10/07(金)
「混迷の瞳」5  2005/10/07(金)
「混迷の瞳」4  2005/10/07(金)
「混迷の瞳」3  2005/10/07(金)
「混迷の瞳」2  2005/10/07(金)
「混迷の瞳」1  2005/10/07(金)
浮遊大陸編 予告  2005/07/19(火)


「混迷の瞳」6
 

 世話になった女将に礼を言い―――約二日分の食料を分けてもらった―――二人は、清々しい空気の中、再び馬上の人になった。

 「たくさん寝たのが良かったのかな、体が軽いや」
 「それは安心しました」
 「アーニィ、昨日遅かったよね」
 「え?ええ…」
 「部屋に戻ってきたのは分かったよ、ちょうど眠りが浅い時間だったみたい」
 「そうですか」
 もしや起こしてしまったのかと一瞬危惧したが、杞憂だったらしい。
 「で―――どこへ行くの?」

 「ウンターミネルバという街をご存知ですか」
 「―――あぁ、グラスランドの端っこだろ」
 「そこへ向かいましょう」
 きっぱりと言うのが逆に疑問なのか、ジャッキーは馬に揺られながら隣のアーノルドを見た。彼は真っ直ぐ前を向いたまま、
 「城下の次に大きな街です。物も情報も集まる。それと…あそこは、かの『霧の森』のすぐ傍です」
 「霧の森って…あれだろ、魔女が住んでるっていう」
 「ええ。魔女魔女と言われていますが、彼女は―――いや、魔女としか言い様がないのか」
 「アーニィ、まさか魔女と知り合い?」
 「知り合いというか…王子だって、会った事があるのですよ」
 「えぇ?嘘、」
 「嘘など申しません。彼女は、グラスランドの代替わりと世継ぎ誕生の折りに、城に来るのです」
 「―――へえ!あ、じゃあ俺が生まれた時に…?」
 「そうです」
 そういうアーノルドの口調は断定的だが、二人の年齢差が一つに過ぎないのだから、それだけの理由では、彼が魔女を見知っている証拠にはならない。しかしジャッキーはそれまで思い至らず、とりあえずの納得を表した。
 「きっと彼女は現状を知ってはいると思いますが…我々が今後どうしたら良いのか、助言を乞うには適当な存在だと」
 「…あぁ、分かったよ。で、どれくらいかかるの?」
 「そうですね…ウンターミネルバまではこの調子でいけば、三日といったところでしょうか」

 幸いに快晴。
 馬も人間も体調は良い。
 細い街道を進みながら、二人の話はほとんど止まらなかった。

 街中にある場合の、二人の身分。
 呼び方、服装、言葉遣い。
 確実に毎晩ベッドで眠れるとは限らない事。
 野宿する場合気を付ける事。

 アーノルドが一晩考え、気付いた限りの事を述べる。
 必要な事・改善せねばならぬ事はたくさんあった。
 何よりも、我慢を強いることが多すぎる。
 今はまだジャッキーも素直に頷いているが、実際直面したらどうか分からない。
 そうなった時に自分がどこまでフォローできるか―――アーノルド自身の不安は小さくない。


 「俺、さ」
 「王子…?」
 会話が途切れた後、ジャッキーが口を開いた。
 「多分、色々戸惑うと思うんだ。それで、アーノルドの手を煩わせたり、困らせたり、悩ませたり…いっぱいあると思う。だから、先に謝っておく。―――ごめんなさい」
 驚いたアーノルドが馬上で振り返る。彼を静かな面持ちで見つめ返すジャッキーは、どこまでも真剣だった。
 「でも、アーノルドが一緒で本当に良かった。俺一人じゃ、何にも分からなくて出来なくって…だから、ありがとう」
 「王子…そんな、ことは」
 「きっと俺は甘いから…ちゃんと、怒って。そして、教えて。俺…できるだけ、頑張るから」
 まだ、何も分からないけれど。
 でも、君が傍にいるのだから。
 「何からすればいいのかさっぱり分かんないし、正直途方に暮れてるんだけどさ。…でも、何かしなくちゃならないんだよね。そうじゃなきゃ、」
 別れの言葉すら言えなかった両親。
 逃がす為に残った騎士たち。
 ―――炎に飲まれていった、多くの人の。
 「俺、自分が許せなくなるから。…きっと」
 生きて、生きて。
 生きろと叫んだ者を裏切りたくない。
 何故こんな運命、と嘆くのは容易い。
 もう嫌だと投げ出すのは、何時だって可能だ。
 でも、まだ、―――だから。
 自ら捨てることは、しない。

 「―――もう…また……俺ってこんなに泣き虫だったかな…はは、ごめんアーニィ、ちょっと…あぁ、」

 泣きながら前を見つめる姿は、真っ直ぐだった。
 泣きながらも進める彼は、強いと思った。



+++++++
 「混迷の瞳」終
 浮遊大陸編2 「出会いの上澄」へ続く
Date: 2005/10/07(金) No.7

雪里@うっかり 2005/10/07/15:30:04 No.8
浮遊大陸編、かなり長くなりそうです。
何せ、メインのキャラがまだ出てこない。
サブタイトルは予定になかったのですが、急遽つけることに…そうしないと延々数字が続いて、「浮遊大陸編32」とかになっちゃいそうで(笑)。
城を出た二人、まずは最寄の村に辿りつきました。
そして出会ったムウマリュ。…誰ですか、フラノイじゃんとか思った人は(笑)。
この二人は、またいつか出てきます。
ムウマリュ出会い編がすでにあったりして…書くかは未定。
さて、次からはガンガンキャラクタを出していきたいと思います。
まずはアサタリ☆お楽しみに〜v


「混迷の瞳」5


 掴めない男だった。
 一瞬の隙を突いて肉薄するかと思えば、次の瞬間は全く違う話をしている。
 興味を示すくせに、寸前で自ら退く。
 面白そうな人柄ではあるが、同時に危険信号が点滅する。

 ―――こんな、状況でなかったら。
 もしかして、別の時に出会っていれば。

 フラガと、もっと色々な話をしたいと思った。
 事実彼の話す内容は、アーノルドには縁の遠かった世界の事で、単純に好奇心から彼に接近したくなる。

 「残念です。貴方と会った事が」
 「何、俺嫌われた?」
 「…いいえ、そうじゃないから、です」

 今は、彼に近づくわけにはいかないから。
 だから。




 二杯だけ酒を飲み、振り切るように立ちあがった。
 フラガは引き止めはしなかったが、どことなく残念そうな顔はしていた。

 階段を上がると、自分の部屋ではない扉が開くところだった。
 「あら」
 仕度を改めたフラガの連れ―――マリューだ。豊かな栗色の髪を、無造作に肩に流している立ち姿は、肉感的な肢体と相俟って…あらぬところに行きかける視線を制する。
 一礼して前を通ろうとしたアーノルドだったが、その背に聞こえたマリューの声につい立ち止まる。
 「あの人飲み過ぎてなかったかしら?」
 「…俺の判断で言うなら、明らかに飲み過ぎかと。そろそろボトルが空きますよ」
 「あ〜あ、やっぱり。君、付き合ってくれたんでしょう?」
 「ええ」
 「ありがとう。ムウはね、一人で飲むの嫌いなのよ。一晩だって絶てないくせに、一人で飲むくらいならさっさと寝るって言い張るくらい」
 そこでようやくアーノルドが振り返ると、マリューは階上から吹き抜けのホールを見下ろし、フラガを眺めていた。
 「続き、付き合って差し上げたらどうですか」
 「私?…そうね、一杯くらいは飲むのも悪くないわ」
 「それなら、早く行かないと多分なくなりますよ」
 マリューは艶然と唇に笑みを刷いた。
 「君、いい子ね。連れは彼女?」
 「いいえ、違います」
 「あら、残念」
 何が残念なのか、と問い返したい気分を押し殺す。それよりも、何故彼女が、己に連れがいると知っているのか。
 問いを勝手に読み取ったかのタイミングで、マリューは言った。
 「部屋に入ったら、隣で物音したのよ。君は階下にいたし、今日のお客は私たちで二組目って言ってたでしょう。だったら君の連れかなって。推理当たってるかしら?」
 「正解ですよ」
 それは上々、と良く分からない事を言い、マリューは足音も立てずに階段を降りていった。フラガの嬉しそうな声が聞こえる。
 マリューが物音を聞いたと言う事は、己の連れ―――ジャッキーが起きているということか。いや、寝返りを打っただけかもしれない。隣室の音など、あっさり響いてしまいそうな普請だから。
 いずれ―――さっさと自分も部屋に入ろう。
 フラガが語っていた事は、きわどくはあったが、彼は恐らくあぁいう会話が好きなのだ。そして、あれ以上の興味は持っておらず、詮索してこないだろう。―――そう信じたいだけだ、という自覚は抱えつつ、アーノルドは一応彼に感謝することにする。おかげで自分たちがどう振舞わねばならないのか、知る事ができたから。



 翌朝、アーノルドとジャッキーが部屋を出た頃には、既にフラガ達はいなかった。
 そういえば彼らは、どこから来てどこへ行くのだろう。
 財宝狙いのシーフだとか言っていたが、それを信じるとして…この近辺にそんなネタでもあったものか。
 「へえ、面白そうな人だったんだね。俺も話してみたかったな」
 すっかり顔色の良くなったジャッキーは、朝食を食べながらそんな風に言った。
 同意しつつもアーノルドは(会ったのが自分だけで良かった)としみじみ思うのだった。
 あの男の話術にかかっていたら、ジャッキーが何を言わされていたことやら。
 「あ、そうだアーノルド」
 「はい?」
 「呼び方考えた?」
 「え?―――あ、」
 パンを千切る途中だった手を止めるアーノルドに、ジャッキーは嘆息一つ。
 「いいけど…ねえアーノルド、思うんだけど、名前だけじゃなくて、口調自体変えた方がいいんじゃないかな?」
 何てことだ―――フラガと同じ事を、よもや彼から諭されるとは!
 愕然とするアーノルドを不思議そうに見ながらジャッキーは、絞りたてだと自慢気に出されたミルクを飲んだ。


+++++++
「混迷の瞳」6へ続く
Date: 2005/10/07(金) No.6


「混迷の瞳」4


 「アンタも旅の途中?」
 「ええ、まあ…」
 適当に答えながら、アーノルドは”こういう問いにすぐ反応できる答えを作っておかねばならない”と覚えた。
 「随分若そうだけど…幾つ?」
 「19です」
 「19!そりゃ若いや!」
 「貴方は?」
 「アナタ、なんて止めてくれよ、尻の座りが悪い。俺は28だよ」
 年齢相応にも見えるが、案外年上とも思える。
 「そんなに若いのに旅暮らし?」
 「―――――」
 「あ、悪い。こういうのは聞いちゃいけないな。大体旅暮らしだなんて、ろくな過去持ってない人間がするこった。…あ、これも不味かった?」
 「…いえ。否定しませんよ」
 下を向いて首を振るアーノルドに目を細めたフラガは、ふ、と息を吐いてグラスを空けた。

 「通りすがりの直感だけどさ。アンタ、旅暮らしなんて嘘だろ」
 「―――え?」
 「いや、これからそうなのかも知んないけど、少なくとも今までは地に足ついた生活送ってたね。長いことこんな暮らししてるとな、そういうの分かるんだよね」
 「・・・・・」
 「だから、これまた通りすがりの忠告。身包みはがれないように、なるべく早く地べたに慣れな。まずはその服装からどうにかすべきだと思うね」
 フラガの眼差しは、鋭かった。
 アーノルドは思わず己の格好を見直す。―――確かに、明らかに『村人その一』には見えない。ここの女将は根が善良なのだろう、追求することはなかったが、そう言えば…あれは、きっと気付いていたのだろう。
 明日にでも、己とジャッキー二人とも、服を変えるべきだと悟る。
 いくら呼び方を気をつけても、外見で見抜かれては意味がない。
 「…ご忠告ありがとうございます」
 「それにその喋り方もだな」
 「…しかし、早々変えられるものでは」
 「あぁ!アンタ本当、慣れてねぇんだな。悪い事は言わない、その連れってのがどんなヤツだか知らないが、少なくとも以外の人間にはもっとラフに喋るようにしろよ。バカ丁寧な言葉遣いってのはな、一部の人種にしか通用しないんだぜ。大概の人間には、反発して敵意もたれる」
 フラガの話は、アーノルドに相槌すら挟ませない話題だった。同時に、己の甘さをまざまざと突き付けられる。
 「…貴方は、何故俺にそんな話を?貴方の持論で言えば、俺は恰好のカモでしょう」
 「う〜ん、ま、そうだな」
 あっけらかんとした肯定に、またしても虚を突かれる。
 「話は変わるが、アンタ知ってるか」
 「な…にをですか」
 既に一人さっさと三杯目を呷るフラガは、首だけ廻らせアーノルドを捉えつつ、続けた。
 「ここ来る途中に風の噂で聞いたんだけどよ。城が火事だか何だかで燃えちまったってハナシ。俺この国の人間じゃないから詳しくは知らないし、あんまり興味もなかったんだが…」

 アーノルドが表情も身も硬くしているのに気付いているだろうに、フラガは素知らぬ顔をしている。

 「ほら、こういうハナシって、大概尾ひれがつくじゃない。曰く、生き残ったのは唯一の後継ぎの王子だ、いやその王子こそが犯人だ、とかさ」

 「そ―――んな、噂、が?」
 「いや」
 「は?」
 「俺が聞いたのは前半だけ。尾ひれ部分は、想像。つーか、今後そんな尾ひれがつくんじゃないかな、ってね」
 「・・・・・」

 あれから約一日。
 すでに風聞が伝わっているというのか。
 早過ぎないだろうか?
 否、風の噂とは良く言ったもので、予測できるようでできないもの。
 今夜ここへ辿り着いたフラガが、道中で聞いたとしてもおかしくはない。
 ない、が…。

 グラスを握り締めて考え込んでいるアーノルドの隣で、フラガは噂を聞いた場所だの相手だのを喋っていたようだが、アーノルドの耳にはそれらは右から左へと通り抜けていった。

 「―――でな、そんな尾ひれを想像した俺なわけですけどね。もしかしたら案外すぐに真実が知れるかもしれないな」
 「・・・・・?」
 「アンタ―――ノイマン、それ、見せてくれない?」
 「それ?」
 指差すフラガは、薄い笑みを湛えている。その指を辿り、己の胸元を見下ろしたアーノルドは、次の瞬間グラスを取り落として立ち上がっていた。

 前身ごろの合わせ目を留める、ピンブローチ。
 グラスランドの国章を彫り込んだそれは、城にいる一部の人間しか持つことはない。

 迂闊だった―――だが、遅い。
 隣のこの男が、どこまで国情を知っているのかは分からないが、感づいている事は確かだ。

 「フラガ…さん、」
 「―――あ〜あ、絨毯濡れちゃったよ。黙ってりゃ明日の朝には乾くかな」
 床に転がるグラスを拾い上げざま振り仰いだフラガは、緊張に強張る青年に向かってにやりと笑った。
 「な、だから言ったろ。カモになるから気をつけろって。この程度のカマかけ、スルーできるようになれよ」
 「貴方は、何を」
 「俺は何にも知らないよ。無責任な噂を聞いて、無責任な想像をするだけ。別に真実なんて知りたいとは思わない」
 「貴方は…何者なんです」
 「俺?俺もマリューも、しがない旅人だって」
 「旅をするだけでは人間生きられません」
 「そりゃそうだ。―――あんまり胸張って言えないけどな、所謂一つのシーフってヤツ。でも安心しろよ、基本的に一般市民からは盗まないから。俺らが狙うのは、財宝とかそういうの。一攫千金派なんだよね〜」
 おかげで大概金に困ってるんだけど。
 フラガはふざけた口調で付け足し、二つのグラスに酒を注いだ。
 「…シーフなんて職業、本当にいるんですね」
 ぶっ、とフラガが飲みかけた酒を吹き出す。
 「おいおい、笑わせてくれるなノイマン!俺たちは真剣に財宝探ししてんだぞ」
 「す、すいません。疑ってるわけじゃなくて…」
 「いいよ、別に。大方、そんなのに縁のない裕福な暮らししてたんだろ。世の中、上がいれば下もいる。それだけの事だ。―――ま、ほら飲めって」
 再びグラスを握らされ、アーノルドはまじまじとフラガを見つめた。
 「何だよそんな熱烈な視線。あ、惚れた?困ったな〜俺にはマリューという美しくもおっかない恋人が…」
 「惚れてはいません」
 「…最後まで言わせろよ」


+++++++
 「混迷の瞳」5へ続く
Date: 2005/10/07(金) No.5


「混迷の瞳」3


 ホールのソファで一人、明日からの算段をしていると。
 玄関の扉が唐突に開いた。
 「すいませーん!泊まりたいんですけどー」
 入ってきたのは、一組の男女。
 「あ、アンタここの人?部屋空いてる?」
 「いえ、俺は…俺も客です」
 思わず浮いた腰に苦笑しつつ否定すると、相手は眉を動かした。声を発しなくても語れる人種というのは、いる。
 声を聞きつけた女将が出てくる。
 「あれまあ、今日は一体どうしたことやら」
 「ん?」
 「一日にお客さんが二組もくるだなんて、前代未聞ですよぅ」
 女将と新しい客が揃ってアーノルドを振り返る。返事のしようがなく、肩を竦める。
 「いいじゃない、先客万来。閑古鳥よりよっぽどいい。違う?」
 「違いませんねぇ。―――お部屋は同室、時間が時間なんでお食事は」
 「あぁ、大丈夫。寝れればいいから」
 「そうですか。朝食はお出しできますんでね」
 「十分十分」
 交渉しているのはほとんど男で、女の方はアーノルドの方を見てこっそり手を振ったりしていた。
 「あ、飯はいいんだけどさ。酒はある?」
 「ええ、別料金になりますけど」
 「んじゃ、それ付けて。ボトルでもいい?」
 「はいはい」
 さくさくと話は進み、早速酒の用意をしにだろう、女将が母屋に戻っていく。
 何となくアーノルドは彼らを観察していたが、そろそろ―――と、視線を逸らした。
 「さすがにもうお客は来ないでしょう」「二度ある事は三度あるって言うよ〜」そんな会話が聞こえ、女将が玄関扉に閂をかけている。


 「じゃあ、私は先に部屋行ってるわ。あんまり飲みすぎないでね」
 「りょーかいハニィ。お休み」
 女の頬にキスをし、男はひらひらと手を振っている。
 二人は―――夫婦なのだろうか。
 人前で抱き合ってキスを交わすなど、経験も目撃もした事のないアーノルドは若干どぎまぎしつつ、こっそり男を見た。すると、視線に気付いたのかどうか―――彼がぱっとアーノルドを見た。
 「な、アンタ一人?」
 「い、いえ…連れがいます」
 「そう。もう寝てんの?」
 「ええ」
 「アンタは?」
 「は?」
 「いやさあ、この村って飲ませてくれる店なんかなさそうだしさ、泊まるとこがあるだけ良かったってなモンだけど、どうせなら一人より二人でしょ?」
 「はあ…?」
 「マリューは今夜は付き合ってくれないし…あ、俺の連れね。もし良かったらアンタ付き合わない?」
 「あの、俺は…」
 「下戸?」
 「酒は飲めますが、」
 「じゃ、いいじゃない。な?」
 「はあ…」
 勢いに飲まれて頷いてしまったアーノルドのことなど、引く素振りのない男は気にも留めない。酒の相手が出来た事に喜んでいるだけに覗える。


 女将の持ってきた酒は、安い蒸留酒だった。味わった事はないが、おそらくちょっと過ぎれば悪酔いしそうなシロモノだと、アーノルドは思った。
 ほとんど舐めるだけの彼を横目で見て、男は片頬で笑う。キザたらしい表情に、くすんだ金髪と爽快な蒼さの双眸は、憎い程似合っている。
 「可愛い飲み方するなあ、アンタ」
 「可愛い?」
 ぽかんと聞き返したアーノルドを尻目に、彼は一杯目を一気に飲み干し、自ら二杯目を注いだ。
 「あの…」
 「あ、俺はフラガ。可愛いアンタなら、名前でムウって呼んでくれてもいいよ」
 「―――俺は、ノイマンと言います」
 可愛いと連発されて少しむっとしたアーノルドは、なるべく素っ気無く、名乗った。
 フラガは声を上げて笑い、妙に馴れ馴れしくアーノルドの肩を叩いた。


 見た目は若そうだったが、フラガは相当旅慣れているようだった。
 胸襟をあっさりと開いているようだが、笑顔の下でしっかりと自衛している。
 心開いているようで、隙がない。
 物腰と口調に騙されてはいけない相手だと、思った。


+++++++
 「混迷の瞳」4へ続く
Date: 2005/10/07(金) No.4


「混迷の瞳」2

 グラスランド城下から馬の脚で約半日の距離。
 草原に囲まれた地に存在する小さな村。
 放牧や採取、それに伴う各種によって生計を成り立たせている、ほんのささやかな営み。
 とにかくまずは、最寄の人里へと二人が向かった先が、この村だった。
 休息は勿論、これから生きていく為に必要な物資の調達が目的だったが、後者は満足にはいかないだろう。何せ自分たちが生きていくだけで精一杯の村内で、旅人向けの売買など盛んとは思えなかったからだ。
 所持金も荷物と呼べるものは少ないが、二人は曲がりなりにも城で暮らしていた身分である。身に着けているものを売り払えば、そこそこ金にはなるはずだ。
 ただし、それが可能なのは、交換可能な金がある相手に限るわけで。
 この村では、叶いそうにない。
 最低限、食料だな。
 それくらいの小銭ならある―――アーノルドは考えつつ、階段を降りた。

 玄関口はそこそこ広さを持ったホール状で、ここと二階の客室で、宿の全てらしい。
 ちょうど奥のドアから出てきた女将に声をかける。
 「お連れさんは大丈夫そう?」
 「ええ、疲れているだけだと思います。すみません、遅くなりましたが記帳を」
 「ああ、はいはい。ここにサインね」
 宿帳は分厚いが、頻繁には使われないらしく、開かれたページはまだ最初の方の上、ちらと最後の日付を見ると大分間があった。
 流暢な筆記に女将は「へえ」と呟き、しばらくサインを眺めていた。その間に、前払いの宿代をテーブルに置いた。

 年季の入ったソファテーブルを薦められ、アーノルドはゆっくりと腰を下ろした。馬の背と違って、揺れない。そんな当たり前の事を感じ、内心で笑う。
 ポットにお茶を淹れてきた女将が、興味深そうにアーノルドの前に座る。お茶は、香草茶のようだった。鼻を抜ける清涼感があった。
 「あの、お聞きしたいことがあるのですが」
 「なんだい、随分丁寧なんだねえ。この村でそんな口聞くのは、やっぱりアンタみたいに旅人だけだね。いや、旅人だってそんなに丁寧な人間は珍しいよ」
 可笑しそうに茶を啜る女将。
 「アンタ―――ま、いっか。詮索しないのがいいね。で、何を聞きたいんだい」
 「ええ、この村で、食料などを調達できる店はありますか?」
 「そうだね、一応売ってくれるトコはあるけど。ただ、みんな商売よりも今日のご飯を心配するような生活だからさ」
 「あぁ…」
 予想通りだったが、つい顔を暗くするアーノルドを見ていた女将が、不意に手の平を広げた。
 「厳しいなら、ウチで分けてあげるよ。多くはないけど」
 「本当ですか」
 「ああ、袖振り合うも他生の縁ってね。どうせ長居はしないんだろ?次の目的地まで足りるかどうか分かんないけどさ」
 「ありがとうございます、助かります。あの、ついでと言っては何なんですが…連れに、消化の良い食事をいただけませんか」
 「そんなのならお安いご用さ。ウチの…母屋の夕飯と一緒になるけど、後で持ってきてあげる」
 とにかく当座はしのげた―――アーノルドは安堵の余り、ソファに沈み込んだ。どうも、気負いすぎているらしい。分かってはいるが、しかし今しばらくは気が抜けない。己とて世慣れているとは言えないが、ジャッキーを庇う為には骨を折る覚悟だった。
 「アンタも疲れてるみたいだね。あ、そうだそうだ。アンタは食事どうするんだい?言っとくけど、店なんかないよ。―――つまり、大概アタシが作ったご飯を一緒に食べる以外にないんだけど」
 女将の物言いが多少面白く、アーノルドは微笑みながら頷いた。
 「申し訳ありません、二人分お願いします」
 一家の主婦も兼ねているであろう女将が、頼もしく了承した時。
 バタンと玄関が開き、先ほどの少年が入ってきた。
 「母ちゃん、終わったよ」
 「ご苦労さん。夕飯まで奥にいな」
 「うん。―――あ、お客さん、馬はちゃんと裏につないどいたから」
 「ありがとう」
 「いい馬だな、いい具合に太ってるし、脚強そうだし、毛並みも艶々だし」
 少年らしい無邪気な感動を露に、彼はまくし立てた。アーノルドの曖昧な相槌を物ともせず、ベラベラと喋り続けるので、遂に女将―――母親に一喝された。
 「ごめんなさいねえ、物怖じしないっちゃあいいんだけど、どうも口から先に生まれたみたいで」


 女将が食事作りの為に母屋に戻り、ホールに一人残ったアーノルドは手持ち無沙汰に窓から外を眺めた。
 すっかり太陽は沈み、宵闇が徐々に濃くなってくる。最初の内は見えていた人間が、何時の間にか影になっている。家々に灯りが増え、往来が静かになる。
 部屋に戻ってジャッキーの様子を見ようかと思う頃、母屋に繋がるドアが開き、少年が危なっかしく大きなトレイを持ってやってきた。
 「これ、お連れサンにって」
 「ありがとう、俺が持っていくよ」
 受け取ると、二つ三つの皿から湯気と薄い香辛料の匂いが立ち上っている。
 「アンタの分は、もうちょっと待ってくれって。病人優先だってさ」
 「あぁ、分かった」
 少年は用件を済ますと回れ右をした。

 耳障りな音を立てる階段を上り、二つある内の一つの扉をくぐる。
 カーテンを閉め忘れていたので、暗いが何とか室内が見える。
 テーブルの上にトレイを一旦置き、ランプに灯を燈し、カーテンを閉める。
 「―――王子、」
 そっと呼びかけ、丸くなって眠るジャッキーの肩に手をやる。
 余程疲れていたのか―――起きる気配はない。
 寝顔を見つめていたアーノルドは、やがて手を離した。
 一度テーブルを見遣り、そのままホールへ戻ろうとした。
 「ん…あ、にぃ?」
 開きかけたドアそのままに振り返ったアーノルドは、薄っすらと目を開けているジャッキーに気付き、またドアを閉めた。
 「すみません、起こしてしまいましたか」
 「うん…」
 「食事を持ってきたのですが、食べられますか?スープと穀物の粥のようですが」
 問いに、ジャッキーは弱々しく首を振った。
 「テーブルの上にありますから、後で構いませんが…食べてください。食べなくては、明日から動けません」
 「明日…明日、は。…どうするの?」
 「次の場所はまだ、思案中ですが…今晩中に考えておきます。いずれにせよ、移動はしますから」
 「そう…。―――アーニィ」
 「何ですか?」
 「ごめんね、任せっきりで」
 「何を仰います。当然のことですよ。今の貴方は、体調を戻す事が最優先です」
 うん、と微かな応えは、吐息に混じって聞こえた。
 「ごめん、食べるよ」
 「王子、」
 無理する必要はない、と言いかけたアーノルドを目で制し、ジャッキーはふらつきながらも身を起こした。
 「食べたい食べたくないんじゃなくって…食べなくちゃ、いけないんだろう。…アーニィは?もう、食べたの?」
 「いえ、王子の分だけ先に―――」
 その時、ドアがノックされた。
 開けると、少年がまたしてもトレイを抱えていた。
 部屋に持ってきてくれた事に礼を言い、アーノルドはつもりを変更して、ジャッキーの隣で食事をすることにした。 

 質素ではあったが、味は悪くない。食欲はなさそうだが、ジャッキーも何とかスープを口に運んでいる。
 「なかなか、腕が良いですね」
 「うん、案外食べれる…元気だったら、もっと美味しいんだろうなあ」
 言葉通り、粥にも手をつけ出したジャッキーを見守りつつ、アーノルドは女将の料理上手に礼を思った。実際、材料さえ違えばもっと光るに違いない、と思わせる腕だった。こんな事を言えば、城の見習いコックだったパルが頬を膨らますかもしれない―――。
 感傷に浸りかけた己を急いで引き戻し、アーノルドは空になった皿を重ね、トレイの上に一まとめにした。
 「今度こそ朝までゆっくり寝てください」
 「うん、お休みアーノルド」
 「お休みなさいませ―――あ、」
 「?どうかした?」
 「大事な事を忘れていました」
 トレイを脇に置き、アーノルドが向き直る。
 「呼び方、のことなんですが」
 「呼び方?」
 「ええ。王子が私をアーノルドと呼ばれるのは問題ありませんが…その、私が王子をお呼びするのに、」
 意図が掴めないのか黙ったままのジャッキー。
 「有体に言って、身分がバレては不味い、ということです。国のこともありますが、何より…これから先、一旅人を装う必要があります。ですから、」
 「あぁ、…そう、だね。でもだったら、アーニィも俺を名前で呼べばいいでしょう?」
 難しい事などないとばかりにジャッキーは言ったが、アーノルドは中途半端に口を開いて固まってしまった。
 「…アーノルド?」
 「なっ―――な、名前で、など!」
 畏れ多いとか、何とか…言おうとしたのか。
 ジャッキーは口を曲げて、アーノルドを見つめた。
 「別に、俺怒ったりしないよ?ていうか…あ、ううん。でも、名前が嫌なら…アーニィ、好きに考えてね」
 「わ、分かりました」
 一転難しい顔をして、アーノルドは部屋を出ていった。

 ベッドに上半身を起こしたまま、ジャッキーは弱いランプの明かりをぼんやりと見た。
 掛け布で立てた膝を覆い、そこに顔を乗せる。
 「名前…。いっつも、ずっと―――」
 呼ぶのは、己だけだった。
 彼は自分を身分だとか肩書きだとかでしか呼ばない。
 幼い頃は名を呼ばれた事もあったかもしれないが、記憶は定かでない。
 城が落ちたりなどせず、変わらぬ生活が続いていたら。
 ―――きっと、ずっと、名は呼ばれなかっただろう。
 あの青年が、自分の名前を呼ぶ。
 一体どんな顔をするだろう。
 想像しようとしたが、何だか恥ずかしくなって、やめた。
 「…明日から、何て呼んでくれるのかな」
 夜は、静かに更けていく。



+++++++
 「混迷の瞳」3へ続く
Date: 2005/10/07(金) No.3


「混迷の瞳」1

 家々が見えた時に一瞬、少し明るい顔を見せたジャッキーだったが、いざ村の領域に入った時は、様子は変わらなかった。
 午後の遅い時間、外に人影は多い。
 境界入り口傍を通りがかった人物に声をかけ、宿泊施設の有無を問うと、村に一軒だけ有るという答えが返って来た。
 「ただし、期待されちゃあ困るよ。一応、外の人間が来た時に泊まる場所を作ってあるだけだから」
 アーノルドが礼を言うと、村人は微妙な顔をして立ち去った。肩に担いでいる籠には、大量の野草が詰まれていた。


 教えられた建物を目指す間、二人は好奇の視線に晒されることになった。
 小さな村内では、外の人間はすぐに分かる。
 アーノルドはその視線の意味を考えながら、先ほどから無言のままのジャッキーを気にした。
 「王子…」
 「・・・・・」
 白馬を引きつつ、緩慢な足取りだった彼は、傍目にも顔色が悪い。
 「ここ―――か?あぁ、すまない。泊まりたいのだが、厩はどこだろうか」
 軒先で水を巻いていた少年は顔を上げた。
 「え、お客サン?二人?」
 「そうだ。部屋は空いてるだろうか」
 「空いてるも何も!お客サンが今日の第一号さ」
 手に持った柄杓を振り回し、少年は大きな目を何度も瞬き、そばかすのある頬を紅潮させた。
 戸惑うアーノルドをよそに、何故だか一人で興奮している。
 「お、おい」
 「あっごめん!どうぞ入って!馬?馬は…オイラが預かるよ、裏に繋いどくから」
 面食らいつつ、アーノルドは少年に手綱を手渡し、ジャッキーにも促そうとした。
 王子、と呼びかけそうになり、辛うじて言葉を飲み込む。
 ついでに、目的も見失った。
 ぼんやりとしているジャッキーに焦れたのか、少年が彼の手から手綱を自発的に受け取ったと思ったら、そのままジャッキーが倒れこんだのだ。
 「うわっお客サン大丈夫!?」
 「・・・・っ」
 アーノルドが抱き留め、顔を覗き込む。
 「…ごめん、何か…フラフラ、して」
 「…すぐに休めますから。もう少しだけ、我慢してください」
 「えっとね、そこ、ドアね。んで、入るとすぐ母ちゃんがいるはずだから、声かけて」
 「ありがとう。馬を頼む」


 宿屋、というには、余りに一般家庭すぎる、建物だった。おそらく、普通の家に無理矢理建て増しをして、そこを客相手の宿泊施設にしているのだろう。
 少年の言葉通り、扉を開けるとその正面に女性がいた。
 彼女もまた少年と同じ様なリアクションで、目を丸くした。
 それでも、アーノルドが担ぐようにして支えているジャッキーの様子を見ると、すぐに部屋へ通してくれた。客室と言っても、一般家庭の部屋に毛が生えた程度の飾り気だった。
 「受け付けは後でいいよ、先に休ませてあげな。落ち着いたら、アンタ、下へ来ておくれよ」
 「分かりました、すみません」
 「いいよ、困った時はお互い様さ」
 女将は不器用なウインクを残し、軋んだ音を立ててドアを閉めた。

 「王子、大丈夫ですか?」
 「……頭がグルグルする…」
 ベッドに倒れ込んだジャッキーは、真っ青な顔で目を閉じている。
 「疲れが出たのでしょう、走り通しでしたから。ゆっくり休んでください。後で何か食事を持ってきます」
 「食べたくないよ…」
 「…とにかく、今は休んでください」
 「アーニィは…?」
 精神的にも体力的にも低下しているジャッキーは、不安そうな面持ちで傍らのアーノルドを見上げた。それに微笑んでみせて、
 「その間に、今後の仕度を整えて参ります」
 「休まなくていいの?」
 「無理はしませんから」
 「そう…」
 額に触れる手の平に、ジャッキーはほう、と溜息をついた。

 寝息を立て始めたジャッキーに一応の安堵を覚え、アーノルドは静かに部屋を出た。




+++++++
 「混迷の瞳」2に続く
Date: 2005/10/07(金) No.2


浮遊大陸編 予告
 優しいはしばみ色は、どこか似ていた。
 森の愚者は、カードの逆転で存在意義を変える。
 
 「ミネルバへ行きたいと?」
 笑みを絶やさない美貌は、声の冷たさに比例して冴え渡る。

 厳しい叱咤は愛するが故なのか。
 暖かい火の囲む宿は、彼女がいるからこそ。


 人間は、カードの様なもの。
 状況が移ろえば、それに伴って役割も性格も変化する。
 出来うる限り、手持ちの札を増やすべし。
 そう告げる預言者の氷の微笑は―――祝福か、呪いか。

 運命は交差する。
 あたかも、切る手から零れたカードの如く。
 ひらひら、くるくる。
 鋭く、緩慢に、重なり、つながる。



 空に浮かぶは、伝説をまとった城塞。
 確かに目に映るのに、蜃気楼のように掴めない。
 「けれど、行かなくっちゃならないんだ」
 見上げる天に、その城は巨大な影を作って、静かに在る。


 出遭いは唐突に。
 偶然か必然か、そんな事は人の知るものではない。
 「これでもれっきとした、」
 彗星の如く降って沸いた少女は、闊達に赤い髪を振りまわす。
 「また落ちたら、拾ってやらんぞ」
 麗人とは彼のような者を指すのか…少年と青年の狭間、中性的な容貌が、静かに二人を見つめる。

 空を舞う白い翼は、蒼穹を翔ける白馬。





 浮遊大陸編 coming soon.

++++++++
 アーサー&タリア、ギルバート…ミネルバの面々のおはなし。それからナタル。
Date: 2005/07/19(火) No.1


現行ログ/ [1]
キーワードスペースで区切って複数指定可能 OR  AND

**BACK**
[TOP] [LIST]
shiromuku(pl)DIARY version 2.70