「どうしてアンタはいっつもそうなのよ!?ジャッキー!」
聞き覚えのある女性の怒声と共に、何かが割れる音と『うわっちゃあっ!!!』という男の悲鳴がチャンドラの耳に届いたのは、ちょうど食堂の前を通りかかったときであった。
…何もないはずがない。
チャンドラが騒ぎの起こっている食堂を覗こうとした瞬間、その女性が飛び出してきてぶつかりそうになる。
「・伍長?」
チャンドラが彼女の名前を呼ぶと、は大きな目に涙を溜めて彼を見上げた。その顔にぎょっとして口ごもるチャンドラに『失礼しましたっ!』と言うと、再び彼女は俯いて通路を走って去っていった。
の背中を見送って、チャンドラが改めて食堂を覗くと、そこには一人座ってうなだれ、頭から見事にコーヒーを被った同僚・ジャッキー・トノムラの姿があった。
猟奇的な彼女
ああ、もう。かっこ悪い!絶対チャンドラ軍曹にヘンに思われた!…それもこれも悪いのはジャッキーのせいよ!!コーヒーぶっ掛けたくらいじゃ気が済まない!
アークエンジェル・居住区の長い廊下を全力疾走しながら、私は拳を握り締めた。涙が横に流れていく。
「ジャッキーのバカぁ!!」
通路のど真ん中に立ち止まって思い切り叫んだ。全然スッキリしない。くそう、もう一声いっちゃえ…
「ジャッキーのろくで…むぐっ!」
「一体何事だ…!」
「ナタル…!?」
私の渾身の叫びは背後から手のひらで口をふさがれたせいで、途中で消えた。私を止めたのは怒りと呆れの混じった顔で私を見下ろしている、ナタル・バジルール。このアークエンジェルの副長、私の上官…そして私の姉のような存在の人。上官としては厳しい人だけど、2つ年下の私を妹のように可愛がってくれる。
「このような場所で仁王立ちになって、絶叫するなど…軍人というより人としてどうなんだ、一体…」
「…失礼しました、バジルール中尉」
彼女の眉根に皺が刻まれるのに、私はぐすりと鼻をすすりながら敬礼の形をとる。
「そんな顔では格好がつかないな、伍長。…いいから。一体どうしたんだ??まったく、相変わらず子供のようだな…。」
「ナタルぅ〜…!」
呆れ顔で『姉』の顔になったナタルに私は抱き付いた。
「で、一体何があったのさ?トノムラ?」
割れたカップと床にぶちまけられたコーヒーをチャンドラが片付けている間に、シャワーを浴びたトノムラが部屋に戻ってくると、チャンドラはこの惨事について尋ねた。
「…何って…怒ったにコーヒーぶっかけられて、軽い火傷した、それだけだよ」
「それだけ…ってこたぁねえだろ!ちゃん、泣いてたぞ!何で怒らせたんだよ…コーヒーぶっかけられるなんて、相当だろう?」
「あいつ、感情の沸点低いから…怒るとスグ手がでるんだよ。すぐ泣くし。」
割と日常茶飯事。…あ、でもコーヒーは初めてだなぁ…。
そう言ってへらり、と力なく笑うトノムラに、チャンドラは心底気の毒さを覚えた。
そして話題の人・・伍長の顔を思い出す。
小柄だけどいつも明るく元気で、どちらかと言えば『キレイ』というより『可愛い』タイプ。愛想もよく、意外としっかりもので、あのバジルール中尉にも可愛がられている(確か幼馴染のようなものだと言っていた)。
―――ジャッキー・トノムラの恋人。
「ちゃんって、そんなに怒りっぽい子だったっけ?」
少なくともチャンドラの前ではそんなことはない。彼の中での『・』のイメージと、恋人にコーヒーをぶっかけるという行為がどうにも結びつかないのだった。
「怒りっぽいというか…忙しいやつなんだよな、泣いたり笑ったり怒ったり。オレの前ではいっつもそう。」
火傷して赤くなった額をさすりながらトノムラが呟く。その様子にチャンドラはため息をついた。
「それってさぁ…お前イイ訳?それで。」
「何が」
「だってお前、ちゃんに振り回されてるように見えるけど?」
「…それは惚れた弱みってヤツ。」
「うわ、言っちゃったよコイツ」
苦笑いするチャンドラに、トノムラも苦笑いを返す。
「んじゃ、俺まだ仕事だから」
「おう、悪かった」
ひらひらと手を振り、チャンドラが部屋を出て行くと、トノムラはベッドに腰を下ろした。
『いつもそう』
の言葉が蘇る。
小さなため息が知らず、漏れた。
「でも」
『そうかもしれない』という呟きが狭い部屋に消えた。
ナタル個人に割り当てられている士官室に通された私は、勧められた椅子にぺたりと腰を下ろした。しばらくしてナタルが紅茶を淹れて持ってくる。本当なら上官にお茶を入れさせるなんてとんでもないことなのだけど…今のナタルは上官じゃない。2人向かい合って座り、湯気の立つ紅茶を啜る。
「おいしい!」
紅茶の味に思わず笑顔になる私を見て、ナタルの紫色の瞳が細まった。
「少しは落ち着いたか?」
その優しい声に、こくりと頷くと「よかった」という声が返ってきた。
「…で、ジャッキー・トノムラ軍曹がどうしたと?」
その問いかけに私は盛大にため息をつく。そして拳を握りしめて怒鳴った。
「ジャッキー!んもう!腹立つ〜!!」
「ああ、もう、頼むから落ち着け!」
何があったか、落ち着いて!話してくれ…立ち上がらんばかりの勢いだった私を止めるように、ナタルが私の肩に手を伸ばした。
一通り私の話を黙って聞いていたナタルが頭を抱えて俯いた。
「…それは…お前の方が悪いのではないか?…」
「ええっ…?…そうかなぁ…そうかも…?」
「哀れだな…トノムラ軍曹」
ジャッキーに心底同情する、といった様子のナタルを見ていると、自分が間違っている気がして不安に駆られる。
「どうしよう、私が悪いのかな?でもジャッキーだって…」
「それが嫌なら別れてしまえばいいだろう?」
「え…」
予想しなかったナタルの言葉に動揺する。
「大体、そんなしっかりしてないような男に、を任せられるか。女にコーヒーを頭から掛けられて黙っているだなんて情けない。」
大体ヤツはそんな情けないことだから、普段のミスも多いし…。
厳しい上司なナタルが部下であるジャッキーの欠点を容赦なく指摘していく。
「ブリッジクルーの中でも一番抜けているというか…下手をすると学生より悪いぞ、アイツは…まったく…。、やはり他の男性を探したほうがいいんじゃないか?」
「やめて…」
「うん?」
「ジャッキーのこと悪く言って良いのは私だけなんだからぁ!!!」
勢いよく立ち上がって私が叫ぶと、ナタルが目を見開いて私を見上げている。
「、」
「そうよ、ジャッキーは情けないヤツだけど!でもイイやつだもん!だから私っ…」
そう言って、顔が火照るのが自分で分かった。ナタルが苦笑いして立ち上がると、私の頭をゆっくり撫でる。
「言っておいで。」
ナタルのその言葉に黙って頷くと、私は部屋を後にした。
あの時の、私は。
「でね!フラガ少佐派とノイマン少尉派と、あとは…少数だけどマードック曹長?」
「何だよ、それは…」
「だからぁ!付き合うなら誰がいいかって話よ!あ、ちなみにマードック曹長は『結婚したい』って意見だったり〜…だってあのぶっきらぼうさの中に優しさがありそうじゃない?イザというとき頼れそうだし!フラガ少佐は付き合ったらいつも楽しませてくれそう、ノイマン少尉はクールでカッコイイんだけど、すっごく恋人のこと大事にしてくれそう!」
「ふうん…」
「ちょっと、ちゃんと聞いてよ!」
「聞いてるよ…で、は何派なのさ」
「あ、知りたい?」
「いや、別に」
「…気にならないの?私がどんなタイプが好みなのか。」
「別に〜…ふぁ〜あ…眠ぃ。」
「…っ!何でっ…」
「?」
「どうしてアンタはいっつもそうなのよ!?ジャッキー!!」
そして気がついたら私はコーヒーカップを投げていた。
どうして上手くいかないんだろう。
他の人には上手く笑える、些細なことで怒ったりしないのに。
あたし…ジャッキーの前では我侭で駄々こねる子供みたい。
…『いつもそう』なのは私の方。
何故、その優しさが情けなく、頼りなく見えてしまうの。
まだ休憩時間の俺はとりあえず眠ろうかとベッドに転がった。するとさっきのチャンドラの言葉が蘇る。
『お前、ちゃんに振り回されてるように見えるけど』
…恋人としてのは、俺の1コ下なだけだってのに子供っぽくてどうしようもない。
怒りっぽくて、すぐ泣いて、些細なことで大笑いして…俺の生活を潤してくれる、恋人。
しかし軍人としての仕事はきちんとこなす有能な女性である。下手をすると俺を通り越して昇進してしまうかもしれない…しっかりものの彼女はバジルール中尉のお気に入り、逆に俺は中尉には叱られてばかりだ…。
そんなことを考えながら、寝返りをうつ。シーツに先ほどの火傷が擦れて、少し痛い。その時、シュン、という音がして部屋のドアが開いたのが分かった。大方、チャンドラが何か取りに戻ってきたのだろう…
「ジャッキー…寝てるの?」
「?」
予想に反して、そこに立っていたのはだった。ベッドから上半身を起こして彼女の方を見ると、まだ怒っている様子である。怒りをこらえるように、彼女は口をひらいた。
「どうして…気にしてくれないの?」
彼女が怒ったときには、同時に目に涙が溜まる。その涙が溢れて床にこぼれた。
「、」
「ジャッキーはいっつもそう!ぼーっとしてて、あたしに怒られて、でもあたしのことは怒ったりしなくて…っ!」
「、俺は…」
「あたしが他の男の話して悔しくないの!?あたしに頭からコーヒー掛けられて悔しくないの!?」
「!!」
びくり、と彼女の体が震える。それを見て、ああ、彼女に対して声を荒げたのは初めてだったなと頭の片隅で思う。女性には優しく、ってのがトノムラ家家訓なのになぁ…。思わず苦笑いすると、が眉を顰めた。
「なんで笑ってるのよ…」
「だって俺が怒ったって、は笑ってくれないだろう?」
「…ジャッキー、くさいよ…」
涙が滲んだまま、そう言ってが笑った。笑うことないだろ、あのなぁ…
「お前がいつもそうやって茶化すから、俺はカッコイイことできないの。お前に振り回される、情けない男になっちゃうのはお前のせいだよ、。」
「ううっ…やっぱり…?」
途端に肩を落とすの手を取って引き寄せる。そのまま抱き寄せると小さな体が俺の両腕に納まった。
「ジャッキー?」
「コーヒー、熱かったなぁ…」
「…ごめん」
赤くなった額に気がついたが、そっと指を伸ばしてきた。
「イテッ」
触れられた箇所に走った微かな痛みに俺が眉を顰めると、慌てて手を引っ込めるが可愛い。「たいしたことないから」と言っても、心配そうに俺の額を見ている。
「あんまり見るなよ〜、俺、デコ広いの気にしてんだから。」
「気にしてるんだ」
クスクスとが笑う。
ああ、やっぱり。
彼女の笑顔を見るといつも思うのだ。
いくら振り回されたって、凶暴だって、子供っぽくたって。俺の大事な人。
「俺はフラガ少佐みたいに器用にお前を楽しませてやれないし、ノイマン少尉みたいにクールでカッコイイ訳でもないし、マードック曹長みたいにイザというとき頼れないかもしんないけど」
「ジャッキー…それは」
「でも」
「俺の、だから。」
回した腕に少しだけ力を込めて。
そうしてしばらく彼女を抱きしめていて、その肩が震えているのに気がつき俺は慌てて体を離した。
「ジャッキー…ふぇ〜ん…!」
「うわっ、お前何泣いてるんだよ!?もしかして痛かったのか?ゴメン、俺…」
思わず謝ると、ベソかき顔のままのが「違う〜!」と首を横に振る。
「ジャッキーが格好いいこと言うと変〜…」
「またそういう風に言う…お前なぁ…」
自分の恋人が格好いいとヘン、なんていう女もそうそう居ないだろう。『どうせ俺は格好悪くて情けない男ですよ〜』ふくれっつらで口を尖らせる自分は、やっぱり俺以外にはなれなくて。天井を仰いでため息をつくと、今度はが俺の体に腕を絡ませてきた。
「あたしには、ジャッキーがちょうどいいみたい」
そう言ったの腕が俺を抱きしめる。
「やっと気がついてくれた?」
彼女と俺の視線が絡む。俺を見上げるの姿に目を細めて笑うと、彼女の指が俺の頬に触れて、
「痛ぇっ!」
「調子乗らないの、ジャッキーのくせにっ!」
「つねるなよ!お前、そのすぐ乱暴するクセどうにかしろ!」
額に引き続き、つねられて赤くなった頬をさする俺から体を離して立ち上がるが悪戯っぽく笑って、俺に敬礼をした。
「以後気をつけま〜す、トノムラ軍曹!」
「頼むよ…伍長」
出口扉の前に立って、こちらに満面の笑顔を向けるに、力なく答えると俺は再びベッドに転がり布団を被る。瞼を閉じたら、すぐに眠りに落ちそうだ。
「あっ!」
何か思い出したようにが戻って来ると、ベッドの傍で体を屈めた。
「おやすみ、ジャッキー」
額に落とされた柔らかい唇の感触が、一瞬で離れる。ぱたぱた、と軽い音がしてが部屋を出て行くと俺はベッドの上を一人、左右に転がった。
―――振り回されずにはいられない、俺の大切な彼女。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
その日の俺の目覚めは至極爽やかで、思わず微笑みなんか浮かべながらブリッジに入った。俺と交代でチャンドラがCICを出て行くと、バジルール中尉が俺の方を見ているのに気がつく。
…ヤバイ、顔がにやけてるのが彼女の気に障ったか…?そして中尉の口が開き、俺は反射的に背筋を伸ばして真面目な顔を作った。
「トノムラ軍曹、」
「はっ、スミマセン!」
「まだ何も言ってないだろう…まったく貴様ときたら」
「は、失礼致しました」
怒りというより呆れた様子で俺を見ているバジルール中尉が次に放った一言は、ブリッジ内にしばらく波紋を呼んだ。
「…自分の恋人の手綱くらい取れないようでは、男として情けないと思わないかトノムラ軍曹?」
「…はあっ!!?何で中尉がそれを…!?」
本当にどこまでも、俺を振り回してくれる彼女だ…。
額の火傷と頬のつねられた痕をさすりながら、俺はがっくりと肩を落とした。
終
小悪魔系ヒロイン&ヘタレトノムラで行こうと思ったら、思ったほどヘタレませんでしたジャッキー(笑)…え、十分ヘタレてますか?