風の回廊・序章(1)
秋も終わりに近づいていた。
王宮の中庭でも、木々は葉を落とし、空に向かって伸びる枝は、どこか寂しげな様相を呈している。
その一角。秋色の落ち葉に彩られた石畳の小道に、朝の光を受けながら、二人の人影がゆっくりと進んでいた。
朝陽を受け、煙るような黄金色の髪をした小柄な少女、オリオーラ・グレルヴェルと、背の高い黒髪の青年はゴーディ・ラグラス。
オリオーラの額には、王位継承者の証である冠が慎ましやかに輝いている。
「ラグラス様が、この国に来てから、もう8年も経つのですね」
愛らしい唇から、小さくその名が告げられる。それは、ゴーディではなく、彼の父親であるデューグエス・ラグラス摂政を指していた。
そっとオリオーラは瞳を閉じた。
正統王国歴558年の晩秋。
オリオーラの父、コートン国王の元に、腹違いの弟、十八歳になったばかりのウェーナー・グレルヴェルから一通の書状が届けられた。
王位をかけた決闘状。
その内容もさる事ながら、それを持参した決闘の代理人を名乗る者も王城内を驚愕させるものだった。
それがデューグエス・ラグラスだった。
謁見の間に通じる扉の影から、オリオーラと姉のカーディアルはその姿を見ていた。
「黒い、闇のような人」それが、彼に対する印象だった。
落ち着き払った態度。長身にほっそりとした体付き、整った顔立ち。しかし、その肌は闇と同じ漆黒。人と明らかに違う尖った耳。冴えた金の瞳。右頬を被う火傷の跡も手伝い、それは異形の魔物そのものだった。
「あれが、黒い精霊なの?」
小さく囁いたカーディアルの声が震えていた。
邪神の眷属。魔の力を操る邪悪な存在。伝説の中でしか、存在しないとばかり思っていたもの。
その姿を見て、父王もあからさまな嫌悪の色を浮かべていた。
7年以上過ぎた今でも、その時の情景は色鮮やかに思い出すことができる。
「あの日から、本当に、色々な事がありましたね」
小さくオリオーラは微笑んだ。
決闘の結果。勝者はデューグエス・ラグラス。
ウェーナーは王となったが、その統治は半年も続かない内に彼の死によって終わった。
王位についていた間に新王が行った事は己の血族の抹消。
コートンの幼い娘、8歳のオリオーラと12歳のカーディアルにもその命は下った。コートン王の死後、軟禁状態にあった二人だったが、姉姫のカーディアルは逃亡に成功し、妹姫のオリオーラは逃亡に失敗したものの、その処遇が決まる前にウェーナーの死によって命が救われた。
王位はウェーナーの遺言により、宰相のデューグエス・ラグラスへと預けられ、摂政時代へと移っていた。それから7年が過ぎ、当時8歳だったオリオーラは、15歳の成人の日を二ヶ月後に迎えるまでに成長していた。
「7年間。ラグラス様の指導者としての働きは、賞賛に値するものであると思います」
ゆっくりと、しかし、はっきりとオリオーラは告げた。
「それでも、王が必要なのでしょうか?」
問い掛ける瞳は、どこか縋るような切なさが見える。
「私が、王位を継承したとしても、実質の権限は、彼らの手に委ねられたままでしょう?それなのに、やはり、『国王』が、必要なのですか?」
真剣な眼差しに、ゴーディは微かに苦笑を浮かべた。
「敬意を持てる心の支えとして、必要なのでしょう」
その言葉に、オリオーラの細い眉が微かにひそむ。
「『心の支え』ですか?」
「はい」
俯いたオリオーラの口元が、悔しそうにきゅっと結ばれる。
「ラグラス様が、『人間』であったら、皆は敬意を持って接していたのでしょうね」
小さく呟かれた言葉に、ゴーディの表情が微かに曇る。
「それは、在り得るかもしれませんが・・・・彼らの絶対的な指導力は、非賛同者の排除によるものです。私は、そのやり方が本当に善い事なのか、疑問を持っております」
「法に則って行われたことでしょう?」
静かに告げるゴーディに対し、オリオーラは怒ったように声を強めた。
「大半は。しかし・・・・・混濁とした部分も多くあります」
否定できない言葉。
実際、7年の間に国政に携わっていた者の死亡率は、激増していた。それは、病死や事故死というものであったが、ほぼ全員、現国政に異を唱えた者と言う共通点が見出せていた。
「それに、彼らには民の支えになろうとする、献身的な志など、持ち合わせていないと思うのです」
ゴーディは風に乱れた前髪を軽くかきあげた。
「この国にとって、新しい王は、必要だと、思います」
小さく微笑む。
「ただ・・・・新しい王が誕生したならば、今の体制は必要無いのですけれど・・・」
微笑の中に、小さな違和感を感じ取り、オリオーラは小首をかしげた。
「ゴーディ様?」
「私に、もっと力があれば、良かったのですが・・・・」
自嘲の笑みを浮かべるゴーディに、オリオーラは小さく微笑み、かぶりを振った。
「私にとっては、ゴーディ様は力強い存在です」
風が、オリオーラのやわらかな髪を優しく揺らめかせる。
白いたおやかな指が、そっと髪を押さえた。
「・・・でも、ちょっと、悔しいですよね」
空を仰ぎ見たオリオーラの瞳は、微かに涙が滲んでいた。
王都よりやや北に位置するクレス村でも、大地は枯れ葉に覆われ、冬の訪れを待っていた。
カーディアル・グレルヴェルは大地に腰を下ろし、澄み切った青空を仰ぎ見ていた。
男物の服をまとったその姿は、女性にしては高い背と、雰囲気の凛々しさ、中性的な整った顔立ちのため、一目見ただけでは女性とは思えないものである。
鮮やかな赤の髪は赤茶色に染められ、無造作に首の後ろで一つにまとめられている。意志の強そうな赤茶色の瞳は、何処か憂いを含み、端正な顔つきと、隠しきれない品格が人目を引いた。
その隣には、金色の波打つ髪に、淡い褐色の肌をした少女が心配そうな顔つきで立っている。
「分断時代、武王コートン、狂王ウェーナー・・・」
小さく、カーディアルが呟いた。
「新しい王は何と呼ばれるのだろう・・・」
「王ではございません。聖女王オリオーラ、もしくは、賢女王カーディアル」
カーディアルの呟きに、ウォルナは真顔で答えた。
「賢?」
「私が決めました」
大きな金茶色の瞳が、まっすぐにカーディアルを見詰める。
「逃亡女王が良いところだろう?」
小さく微笑む。赤茶の髪が白い頬に影を落とす。
「そんな事、言わせません。それに、仕方ないです。逃げなければ、殺されていた。それは、みんながわかっていることです」
ウォルナの言葉を聞きながら、カーディアルは自分の右手を見た。切り傷の痕が残る手。それは、剣の訓練で出来たものだった。
己の保身の為に逃亡を図ってから七年。
その間に、進むべき道は決めていた。
「今度は、逃げる訳には、いかないな」
そっと、カーディアルは手を握りしめた。
「しかし・・・・正直に言って、本当にこうすることが良いことなのか迷いがある。私の我が侭のために皆を、巻き込んでいるのではないかと思うことがある・・・」
赤茶色の瞳はじっと、足元を見つめている。
「何言ってるんですか。私たちみんな、自分のやりたいことをしているだけです。誰に命じられたわけでもなく、自分達が勝手に貴女について行くだけなんですから」
返事はすぐに返ってきた。
「迷う事などありません」
ウォルナの言葉にも迷いはなかった。
開け放たれた窓から、涼やかな風が流れ込む。
王城の北のはずれに位置する石造りの塔からは、王都が一望できた。高台に立つ王城の、さらに小高い丘の上にそれはあった。
ヴァルは窓際に座って、若草色の瞳を王都の街並みに向けていた。黒く長い髪に白い肌、少女と見まごう可憐な外見をしていたが、その中身は年齢不詳の魔術師だった。取り柄の無い馬鹿息子ゴーディの世話係。そう呼ぶ者も多々あったが、本人は隠遁魔術師を決めていた。
窓際の机には数冊の本が乗せられ、侍女のレアナが真剣な眼差しで一冊の本を読んでいた。幼いながらも利発そうな顔立ちで、意思の強そうな目をしている。
「王位って、そんなに欲しいものなんですか?」
不思議そうにレアナの声が上がる。手元の本は子供向けの歴史書だった。
「欲しい人には、欲しいものなのでしょうね」
窓の外に目を向けながらヴァルが呟く。
王都の街並みより奥には、秋色に色づいた畑が広がっている。
「でも、人を殺してまで欲しいものなんですか?・・・・・何百人って単位で殺されてますよ。しかも、元を辿れば同じ一族なのに・・・・」
レアナの視線は手元の本に落とされていた。歴代の王族の一覧表。それは503年から530年まで三人が並べられている。三人の国王が王位を主張する分断時代。それは正式な継承者を定めぬまま死去したエラン国王の後継者争いから始まった。
再び、統一したのはオリオーラとカーディアルの祖父、剣王フェリス。
王国の混乱を招いたとし、王族と称していた一族は断罪され、その血を残す者は一掃されていた。
「同じ一族だからこそ、脅威となるのでしょうね」
囁く声が、微かに曇る。
「そう言うものなんですか?」
「そう言うものです」
言いきり、ヴァルは小さくため息をついた。
「オリオーラ様や、ゴーディ様を見ていると、王族なんて、大変なだけに思えます。お二人とも、辛そうですよね」
幼さを残すそばかすの浮いた顔の、大きな茶色の瞳が心持ち沈む。
「仕方ないですよ。お二人とも、自分の力では何も変えられないのですから」
冷たく言い切られ、レアナは心持ち眉を寄せた。
「でも・・・」
「オリオーラ様は、王族としてしか生きられない、ゴーディ様も、一人では何も出来ない」
きっぱりと言い切られ、レアナは一瞬言葉に詰まったが、すぐに不満げな顔をした。
「だって、ゴーディ様に協力してくれる方はいないじゃないですか!黒い精霊の子供だからって、みんな近寄らないじゃないですか!」
風が柔らかく吹き込む。
「ゴーディ様は、本当は、すんごく、優しい人なのに・・・」
大きく見開かれた瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「・・レアナ・・・済みません。貴方を泣かすつもりで言った訳ではないのです」
そっと、ヴァルはレアナの肩を抱いた。腕の中で、小さな肩が小刻みに震える。
「わかっています・・・でも・・・悔しいな」
ポロポロと大粒の涙がこぼれる。
「私も、何もできない一人なんですよね・・・・」
囁くレアナの髪をヴァルは優しく撫でた。
「・・・私も、そうです」
小さな囁きに、レアナはその細い腕をヴァルの背へまわし、ぎゅっと、抱きしめた。
「ねえ、ヴァル様。ゴーディ様は、いつも、外に出るとき、前髪で右眼を隠すんですよ。知ってます?」
ヴァルの胸に顔をうずめながら、レアナは小さく告げた。
「・・・左眼は母親と同じ茶色の瞳だけれども、右眼は・・・父親と同じ金色の瞳だからですね」
こくんと、レアナが頷く。
「『黒い精霊』って、本当に、邪悪な生き物なのでしょうか・・・・・」
縋るようにレアナは顔を上げ、ヴァルを見つめた。
「ゴーディ様は、半分はその血が混じっていますけど・・・・・とても、優しい方ですよね」
真摯な瞳。
「そう思ってくださる方がいらっしゃるのは、嬉しいですね」
小さくヴァルは微笑んだ。
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始まってしまったシリアス(?)長編。男装の麗人&憂いをひめた青年&美少女(?)剣士&影のある魔法使い&おやじ達・・・・・やりたい事てんこもり。趣味一筋。
<次回>「運命の風」
巡り始める運命の風。逆らう事が出来なくても、足掻いて見せる。
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