その12 グウィネス・パルトロウ GWYNETH PALTROW

 

     ブラピの新しい恋人が『セブン』('95年)で奥さんやってた人って聞いた時には、「ふーん。」以外の感想が出てこなかった。今度はえらく地味な人にしたもんだのう、まあがんばってくれや、と。
  たまたまこないだ読み返した95年頃の雑誌に、ブラピの彼女として騒がれ出した頃のグウィネスが載っていたんだが、「この顔も名前も見たことも聞いたこともないぞ」とか「出演作聞いても全然覚えてない」みたいなことが書かれており、「コイツ、誰?」オーラがビシバシ伝わってきていて笑った。
でも最初グゥイネスがいろんなとこに出始めた頃ってみんなこんな認識だったと思うんだよね、「ふーん…これがねぇ…ブラピどうしちゃったんだろう、マユなしでちょっとオバ顔だし…カエルに似てるし…(ボソ)」と。
  だいたいその頃の私のグゥイネスの認識としては、シシー・スペイセクとどう違うのかよくわからないという程度であった。まんま『キャリー』('76年)に主演してても何の違和感もないな、と。


     ところがその後このニセシシー・スペイセク(←言いすぎ)はやたらめったらあちこちに登場するようになり、しかもグレース・ケリーの再来」とか言われてもてはやされるようになった。いや、グレース・ケリー、これ聞いてたらあの世から慌てて待ったをかけてくるに違いないと思ったりしたもんだが、あちらではともかく、日本のマスコミも右へならえでグウィネスを絶世の美女扱いし始めたのにはなんだかな〜と思わずにはいられなかった、あのう、ホントにそう思ってる?って。
  なんにしろ、ブラピのあげ○○ぶりはすごかったらしく、彼女はあれよあれよという間にスターダムをのしあがってゆき、ついには『恋に落ちたシェイクスピア』('98年)でアカデミー主演女優賞まで獲ってしまう。この年は『エリザベス』('98年)のケート・ブランシェット他、そうそうたる主演女優賞候補がしのぎを削っていたこともあって、私もいくらなんでもアカデミー主演女優賞はやりすぎだ、自慢のピンクドレスは胸ガバガバだしなー(関係ない)、と思わずにはいられなかったわさ。


     でも、私はグウィネス、嫌いかというとそんなことはないのだ。いや、実は本人のことは嫌いだ(笑)。
  「ブラッド一緒にいるとファンがうるさいの(当たり前。)しつこいなあって思うわ」とブラピファンに爆殺されそうなこと言ってみたり(でも別れた後は自分がしつこかったぞ)、バカンス先で「私のまわり半径5キロは立入禁止にしてくれ」ってアホアホ発言をかましてみたり、アカデミー女優のクセに『愛しのローズマリー』('01年)で共演したジャック・ブラックと抱き合うのがイヤで代役を立てたりと、数々のビッチぶりをさらしてくれる女王様気取りはなかなかイテテテ、という感じだ。
  だけど、映画の中のグウィネスは好きなんだよね。
絶世の美女っていうのには「?」と思ってしまうんだが、『恋に落ちた…』でのグウィネスは本当に綺麗だったし、かのカルバン・クラインに「完璧なスタイル」と言わしめた細身長身ボディは、ロングで全身が映ると惚れ惚れとするくらい絵になり、チビで純日本人体型の私なんかにとっては憧れの体型だったりする。


     だけど、美人とかそういうことじゃなくって、なんか優しげでホッとするようなオーラが出てるんだよね、映画の中の彼女って。『大いなる遺産』('98年)や『リプリー』('99年)でやってたみたいな高嶺の花みたいな役よりか、『セブン』のおとなしそうな奥さんとか、『スライディング・ドア』('98年)のちょっとドン臭いOLとか、『偶然の恋人』('00年)の未亡人とかの、ちょっとなんていうか、貧乏クジ引きっぱなし、やられっぱなしな役が似合うと思うのは私だけだろうか?いや、誉めてるんだけど。
グウィネスって、実のところ「癒し系」なんじゃないかと思うのだ。絶世の美女だとは全然思わないし、そんな寂しいマユなし顔でビッチぶられても…とか思ってしまうんだが、私は映画の中のグウィネスにはいつもなんとなく癒される。家に帰って、彼女が待っててくれるといいな〜なんていう感じかな。


     それと、この人は作品選びがちょっと面白いと思うので(『恋に落ちた…』の役はウィノナ・ライダーを出し抜いたともっぱらの評判だけど)、グウィネスの出演作はとりあえずチェックしておきたいと思う。最近は『愛しのローズマリー』『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』('02年)なんかにも出ていて、お笑い系にも出るぞというのをアピールし始めているようでこの先が楽しみだ。でも、これもキャメロン・ディアスに対抗してるだけかもな〜と思ったりするけどね、ワハハハ。