その4 口ごもっちゃう邦題
洋画には邦題が付く。外国語でつくられているのだからそれは当たり前だ。 この邦題いいなと思うものはたくさんある。 『さよなら夏のリセ』(原題:SURPRISE PARTY)('83年)、『告発の行方』(THEACCUSED)('88年)、『太陽と月に背いて』(TOTAL ECLIPSE)('95年)などは、日 本語としての響きも良くて、好きな邦題である。 フランス映画など、原題を読んでも意味がわからないようなものは、それが直訳なのかアレンジした邦題なのかが私には判断出来ないのだが、気のせいかヨーロッパ映画にはなかなか的を射た、詩的な邦題がつけられているような気がする。 アメリカ映画は、なぜか人名がそのままタイトルになったものがとても多いので、(『黙秘』(DOLORES CLAIBORNE)('95年)、『ザ・エージェント』(JERRY MAGUIRE)('96年)など)内容をよくあらわした邦題が必要だ。だって、日本語でいきなり、『鈴木マタキチ』なんていう題名の映画があっても絶対観に行く人いないし。 そのへん、アメリカ人の映画のタイトルに関する入れ込み具合というのはどうなんだろうとよく思ったりする。 しかし、邦題というやつはなかなかに恥ずかしいというか、誰がつけたの??というものがけっこうたくさんある。 それはそれはたくさんあるのだが、一番私が困ってしまうのは、なにを隠そう(別に隠してない)「うっとりした邦題」なのである。 「愛と○○の」シリーズは、よく言われるうっとり系邦題で、これについてはもう諦めている。どれがどの映画だったかということを、真剣に考えないようにして、とりあえずリチャード・ギアかメリル・ストリープが悶々しているような映画だと判断しておけばオッケーだ。 邦題は『モンタナの風に抱かれて』。 映画紹介を観ていると、石川三千花さん言うところの「100年同じ髪型」ロバート・レッドフォードの顔のアップになるたび、シワ隠しのためなのか、キリンレモンのコマーシャルかと思うようなソフトフォーカス入りまくり、もう画面からしてうっとりなオーラがバシバシ伝わってくるのである。 観ていないのでなんとも言えないが、映画自体はとても良い出来なのかもしれない。しかし、モンタナの風に抱かれて、はないんじゃないだろうか。 お客さんの9割が女の子で占められた「レディースセット」を出しているようなお店のメニューによくあるではないか。 「森の妖精たちのきのこサラダ★」とぷるんぷるんした字で書かれたメニューが。私はこれを注文する場合、恥ずかしいので口では言えずにメニューを指さし、「これ下さい」と言うか、「この、むにゅむにゅ…の、きのこサラダ」という具合に、妙にくちごもってしまう。 うっとり系の邦題もこれに通ずるものがあるのだ。言わずにすむものならすませたい。どうしても言えと言われても、「モンタナむにゅむにゅ」とそそくさと口に出してムニャムヤとごまかしてしまおう、と、そう思ってしまう。 うっとり系邦題。この先も衰えることなくつけられてゆくんだろうが、もうちょっと、なんとかしてくれないかなあ… |