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澳門回帰 |
| 1999年11月8日(月)掲載 |
| マカオ出身の4年生の李君は、「私は中国人でもありますが、マカオ人です。」と言う。大阪弁に近い伊賀弁を話し、薄口醤油と昆布出汁のうどんが好きな私は「関西人」と言えるだろうが、「日本人でもありますが、関西人です」とはふつう言わない。日本人と関西人のことばとしての関係が対等でないからだ。李君にとってそんなマカオが12月20日、中国のものとなる。 今、広州市内では至る所に「回帰澳門(澳門はマカオ)まで後○○秒」の電光掲示板がある。大学内に小型のものが一つある。「秒」で表すところもすごいが、この何台もの電光掲示板の設置にかかる費用もすごいのではないかと思ってしまう。しかし、それほど「回帰澳門」は大きなイベントでもあるし、意義深いこととしなければならないのだろう。 電光掲示板だけでなく、どこもかしこも「回帰澳門」の旗や看板が取り付けられ、商店では「澳門フェアー」が大流行だ。新聞も「広州市民みんなで澳門回帰を祝おう!」と毎日のようにかき立てるし、テレビも毎日どこかの局で澳門の特集をしている。 一番下の娘が通う曁南大学付属幼稚園でも、親子で「慶祝回帰澳門」の絵を描いてくるのが宿題となっている。 そんな「熱烈慶祝」ムードの中で、李君は「それほどうれしくない」と言う。香港と同じ一国二制度で、今までとそれほど生活が変わるわけではないが、「今のままであってほしかった」と言う。彼にとって澳門は列強に屈服した残念な中国の歴史の象徴ではなく、自分の中では大きなアイデンティティとなっているのだ。 曁南大学は中国全土で2校、本科生として華僑を受け入れている大学の一つで、特に香港・マカオ・朝鮮からの学生が多い。例えば4年生20人中マカオからは1人、香港からは3人、北朝鮮からは7人、3年生同30人中、4人、2人、7人。2年生27人中、同5人、3人、5人だ。 その中で香港・マカオの学生はリッチだ。寮も普通は6人部屋だが、香港・マカオの学生の多くは特別料金を払って、設備のいい、一人か二人部屋に住む。食事も安価な大学の食堂より少し高級な店によく行く。携帯電話を持っているのもほとんどが香港・マカオの学生。外国に行ったことのある人が皆無に近い大陸の学生と違い、海外旅行や海外留学を経験しているものも多い。そこで父親が教師だという香港の学生に訊いてみると、彼女の父親の給料は私よりずっと多かった。経済的な意味でもその他の意味でも、香港・マカオは「進んでいる」のだ。 よくも悪くもそれが現実で、その現実が李君をして「私はマカオ人」と言わせているのだ。 大陸の学生は、「回帰澳門」は大変意義深い、うれしいことだという。他国のものになっていた自分たちの国の領土が帰ってくるのだから、うれしいのは当然だ。しかし、それ以上ではない。 香港もそうだが、マカオが中国に返還されても大陸の人々は簡単にマカオに行けるわけではない。私たちは物価が安くてのんびりしているマカオにもう4度行った。そのことを広州の人に言うとうらやましがられる。マカオが帰ってきても、大陸の人は今までと同様、外国に行くのと同じ大変面倒で難しい手続きが必要である。またカジノと観光以外はこれといった産業もないマカオであるから、経済的な効果も少ない。マカオにとても近い広州の人でも、一人一人の生活は何も変わらない。マカオ返還は「国家としては大変意義深く、喜ばしいことだが、個人としては・・・・」という感じなのだ。 とりあえず学生には20日、学校が休みになることが一番個人的には嬉しいことかもしれない。(20日は全国的に休日となる) 曁南大学からは、毎週金曜日の午後、マカオ行きの直通豪華バスが出ている。50元の料金で2時間半。これでマカオに入れる。マカオ住民なら税関も非常に簡単だ。だから多くの学生は月に何度か帰省する。毎週、帰っている学生もいるそうだ。李君は、18日の金曜日にこのバスでマカオに帰り、20日は家族と一緒に迎えると言う。「家族でどんな話しをするの?」と私が訊くと、「その時になってみなければわかりません。」と李君はうつむいた。 |

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