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広州大学期末考査模様 |
| 2000年1月掲載 |
| 中国の大学は2学期制で、9月から2月までが前期、3月から8月が後期とり、2月初めから期末試験となる。そして、1月の中旬から、校内には「努力してよい成績をあげよう」などという赤い横断幕が教室棟に掲げられる。しかし、その中には「カンニングは学位取り消し」というのもある。これは曁南大学に限ったことではないが、広州の大学ではカンニング対策は非常に厳重なのである。 必修科目と選択科目はシステムがだいぶ違うが、厳格な方の必修では、問題を1教科につき「A考試」「B考試」と2種類作る。試験場で隣同士になる学生の問題を変えるためだ。私は今学期5つの科目を担当しているから、10種類の問題を作成しなければならなかった。しかも「文学院」と呼ばれる事務室からは2時間の考査を時間いっぱい頑張らせるため、できるだけたくさんの問題を考えるように言われている。だから、このテスト作成はかなり大変だ。 そして、少なくとも1週間前までに試験問題の原稿を事務室に提出。問題は事務室で印刷、保管される。問題作成者であっても、その印刷された問題原稿と問題用紙は持ち帰ることを許されない。 試験当日、教員は試験開始20分前に教室に行き、座席を指定する。事務所の人や党の書記さんなどはその前に教室のチェックを済まし、教員が来るのを待っている。教員は試験開始直前に問題用紙を事務の人から受け取り、2人で配布。監督も2人でやる。途中、党の人が入れ替わり立ち替わりやってきて、チェックをする。学長や5人いる副学長も試験会場を回る。席順や問題の内容について注意されることも多いそうだ。 カンニング行為をなくするために、このようなシステムになっているのだが、学生のこの問題に対する意識は、日本の学生とはだいぶ違う。 学生にカンニングについて意見を聞くと、カンニングは不正行為だと認めらがらも、心の中には「どうしていけないのだろう」という声があるらしい。カンニングは「助け合うことなのに」と彼らは言うのだ。「奨学金を取るくらいの成績をカンニングでとるのは確かにいけないが、落第をしない程度の成績ならば少しくらいかまわないのではないだろうか。」(成績は100点法で出されるが、曁南大学では60点以下は容赦なく単位が認められない。成績上位者には、その成績に応じ奨学金が出され、90点以上の成績をいくつか取った学生には、最高3400元の年間学費を超える奨学金が支給される。)「みんなで頑張って勉強しているのだから、試験もみんなで合格したい。」「テスト中であっても尋ねられたら答えないわけなどいかない。」「友達が間違っている答えを書いているのを見てしまうと、正しい答えを教えないわけにはいかなくなる。」などと言う。 確かに、クラスメート間はよく助け合いをする。ノートの貸し借りはむろん、香港に行くことのできない大陸の学生のために、香港・マカオの学生は日本語の本などを買ってきてやることも多い。普段の成績が芳しくない学生のために班長(委員長)や、学習係などを担当する学生が教師の所へ相談に来ることもあるし、よく理解している子が不十分な子に、夜を徹して教えているということもある。また教室や時間の変更などクラス全員への連絡も、たとえ土・日であっても、至極簡単に済んでしまう。クラスメートの関係は日本の高校より緊密であるし、同じクラスであるという連帯感は非常に強い。 対して、日本の高等学校では年々クラスの連帯感が薄くなってきてしまっている。学年の終わり頃になってもクラスメイトの名前を知らない、知ろうとしない生徒もいるし、クラス全体が力を出し合う文化祭や体育祭などは教師にとって、大変な労力がいる行事となってしまった。中には私たちの頃は高校時代の最大の思い作りの機会であった修学旅行さえ、クラスメイトと関わるのが面倒だからとか、バスの中でする事がなく退屈だなどと言う理由で参加しない生徒もいるようだ。時代の流れと言えばそうなのだが、少し古いタイプの教師である私にとっては悲しいことだ。 こんな事がカンニングに対する意識の差に現れるのだろうか。クラスメイトとの関係がカンニングに対する意識に影響するならば、カンニングをしない日本の高校生を誉めてばかりもいられない気がしてきた。 曁南大学の期末試験はこんな様子であるが、私の妻の通う大学の留学生クラス(中国語を学ぶ外国人のための講座)では、なんと試験中、監督の先生が教室を出ていってしまうという。どうも、監督のいない間に「助け合い」をして、みんなでいい成績を取りなさいという「配慮」が恒例であるそうだ。これもよき伝統なのだろうか。 |

| カバンやノート類は教室の前に置き、問題の到着を待つが、まだ粘っている学生もいる |