バスの中のベルカント |
毎日3時半になると私は、華僑医院(曁南大学付属第1病院)前から1元(15円)バスに乗って日本人学校まで明之と侑香を迎えに行きます。 今日もバスの中からぼーっと街の看板を眺めていた時、あるバス停でギターを抱えた2人とその仲間と見られる1人が乗ってきました。 ギターは裸で、ギーターおじさんの1人は、昔、井上陽水がやっていたように肩にハーモニカを付けています。 そしてバスが発車。 するとこの3人の内の1人が大きな声で何か言いました。 その声がなかなかよく響くのです。「おっ」と思った瞬間この3人は、歌を歌い出したのです。 ギターとハーモニカ、そして二人の歌。これがかなりうまいのです。 改めてこの3人組を見ると、3人とも普通以下の格好です。かなりボロイ。 しかし、その歌声は、高校時代、音楽の時間に恩師菅生先生から教えてもらったけれどモノにできなかった、あのベルカント唱法ではありませんか。 「ボロは着てても声はベルカント!」 朗らかで、甘くなめらかな歌声。その歌声で中国伝統のような 「今は苦しいけど、僕たちにはきっと明るい未来が待っている」という感じの歌を歌います。 中国のバスはかなりうるさいのですが、一瞬にして車内は歌声喫茶になってしまいました。乗客の中にはつられて小さな声で歌い出す人もいます。となりのお兄さんは手でリズムを取り始めます。 しかし、ここは公共バスの中、いいのでしょうか。車中唯一の服務員である運転手も時々、3人のいる後ろを振り返りますが、表情は明るい。彼も明るい未来を信じているようです。 「すばらしいものを見せてもらった。きっと私も明日から明るく生きられる。」と感動していると、なんと二人の歌担当おじさんのパートは2つに別れ、アミン(昔、活躍した女性デュオ))も驚くきれいなハーモニーになります。 「これはただ者ではない」と思いました。「こんなきれいなベルカントで、完璧にハモれるおじさん3人組です。カラオケとギターとハーモニカが好きで、家で歌っていると妻や子にしかられるし、公園で歌うとみんな近寄らないので、観客の逃げる恐れの少ないバスの中で歌ってやろうと、勇気を出しただけでははない。」と私は直感しました。 「おそらく、どこかの音楽大学でかなりいい成績の3人だったのですが、理由はわからないけれど不幸な現実が彼らを襲い、こんな苦境に立たせているのだ。だから『明日があるさ』。の歌を歌うのだ。」と私は考えていました。 なかなか感動しました。あのピンカラトリオ(昔いた男性漫才?演歌トリオ)も、ギターを抱えた3人組でしたが、ことばの通じぬ異邦人を感動させることはできないのではないでしょうか。(1人は口ひげを生やしリーダーのあの人にちょっと似ていて、3人とも小太りだったので、唐突にピンカラトリオを思い出したのです。) そうするうち、ギターを持っていない人が、歌の途中で何か言い、愛想を振りまきながらバスの中を回り始めました。なんとチップをもらっているのです。 私は中学校の時、温厚だった父から怒られたことがあります。どこか、都会の駅で「物もらいの人」が寄ってきた事がありました。傷痍軍人の人だったと思います。かわいそうに思い、持っていた小銭をだそうとすると、父が「アホなことするな!」と珍しく厳しい声を出しました。 父は「ほんまにかわいそうやと思うんやったら、かわいそうな人がいやんようになるように仕事をするのがほんまや。なんでもええ、みんなが一生懸命仕事して、真面目に生きて、ええ世の中になったらこんな人はかわいそうな人はいやんようになる。今、お金だけやるのはええ事と違う。偽善で自分を満足させてるだけや。」と言いました。 そんな理由で、中国へ来てから、毎日たくさんの「物もらいの人」に出会いますが、一度もお金は渡していませんし、子どもにも父と同じ話をしました。 しかし、この超ピンカラおじさん達は「物もらいの人」ではないと私は考えました。5分くらいでしたが、超ピンカラおじさんの音楽に私は感動したのです。 そこで、「ええい、日本人の金持ちさを見せてやる」とばかり1元札を渡しました。おじさんは「太(とても)謝謝」と言ってくれましたが、手の中には5元札が何枚もありました。 超ピンカラおじさんは、広州の繁華街の一つ、天河城で降りていきました。 私は「今度、乗り合わせたら5元、奮発するぞ。」と思いました。 |
広州のバス、どこまで乗っても1元、2階建てもあります |