広州だより 澳門回帰                          1999.12.21

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  今回は何と言っても「マカオ返還」のこと。初め盛り上がりに欠けていたのですが、前日から何となく「おう、マカオ返還か」という感じになり20日には、少なくとも私の中ではお祭り気分でした。

 19日、街は大変にぎやかなのですが、これはミレニアムを迎えるためなのか、クリスマスで盛り上がっているのか、マカオ返還のためなのか、20日が休日になったので、みんな浮かれているのかよくわからない感じです。

しかし、広州市の中心、天河では「慶祝澳門回帰」の大段幕が至るところで掲げられ、20日午前0時に向かってカウントダウンする大掲示板の前では写真を撮る人でにぎわっています。

 大学内はひっそり。18日からの3連休のために学生が帰省してしまったからです。残っているのは遠くから来ている学生だけ。それでも新しく建てられた科学館の前では澳門回帰記念夜会のために準備が進められていました。

 日本語学科の学生には会うたび、「澳門返還どう思う?」と訊いていたのですが、「嬉しいことですけど、特に私には関係ありません」というのが一般的。先生方もそんな感じでした。しかし、党員となっている学生や、生き方がまじめな学生は、「これで中国の屈辱的な歴史の一つが終わった。祖国統一に向けての最後のステップだ。」と張り切っています。


 19日夜には記念夜会に子どもたちが出演。いつもの「ソーラン節」と「だんご三兄弟」、そして一輪車の演技を披露しました。しかし、この日は観客がいっぱい。1000人は越えていたと思います。

この夜会、計画はとても遅かったのですが、職員や学生の心の中では何か燃えあがるものがあったのでしょう、急に盛大なものとなり、中国の国旗と澳門の旗を振ってのの熱烈な会になりました。

 そして、テレビ局も何社か来ていました。まず、準備をしていると商工電視台のおじさんが取材させてくれとのこと。通訳の学生が私の名前と身分を答えて、私に感想を求められたところで、子ども達の出演の時間。「すみません」という感じで逃げました。

 感想と言われても、困るのです。みんな「めでたい」と言ってますが、広州の人、個人にとっては何にも関係ないことなのです。澳門が返還されても一般の人は、香港と同じように自由に行き来できません。ギャンブルしか産業のない澳門では経済効果があるとは思えません。

 4年生の澳門からの学生、李君なんか、「このまま、ポルトガル領でいたかった。全然嬉しいことはない。」と言ってますし、「政府の台湾統一政策に利用されたお祭り」と同僚(中国人)の先生が言うとおりだと思うからです。
 でも、テレビでそんなことを言うのは、いくら外国人でもちょっと怖い。そうかといって、「大変喜ばしいことです」とも言えないし・・・。そういうわけでインタビューはちょっと遠慮したいのです。

 子どもたちの演技をビデオに撮っていると、珠江電視台のかわいいおねえさんと目が合ってしまいました。案の定、レポーターのおねえさんはテレビカメラと照明を引き連れ近づいてきました。

「先生(この場合は、「あなた」の意味)はあの子どもたちのお父さんですね。」
「あ、はい。」
「日本人ですね。」
「あ、はい。」
「中国語はできますか?」
「いいえ、できません。(あっ、中国語で答えてしまった!)」
「お上手ですね。では、澳門返還についてどう思いますか。」
「すいません、本当に中国語は話せないのです。 今、ビデオを撮らなければ行けませんので・・・・」と、言っているうちに、心配した通訳の学生があわててやって来ました。
 「だいじょうぶ、来なくていいから。(日本語)」と言ったのに来てしまって、それを見つけたテレビ局のスタッフは、学生に話をしています。そして、テレビに映るのが好きな学生は、喜んで引き受けてしまいました。

 場所を変えて家族全員をとらえ、通訳の学生を挟んで
レポーター:日本人の外国人教師、中山さんにマカオ返還についてご意見を伺います。
       先生、澳門返還についてどうお考えですか。
私:学生が、大変な慶祝の様子なので驚いています。
レポーター:先生自身のお気持ちは?
私:中国がさらに発展する意味で大変意義深いことと思います。私の大好きな中国がこのように意義ある一歩を踏み出す瞬間をみなさんとともにお祝いできて嬉しいです。(全然、そんなこと思ってないのに〜)

 広州にしては大変寒い夜だったので、部屋に戻り、テレビで式典の様子を見て、橋本龍太郎の姿を探し、11時50分にはカウントダウンの会場に行きました。大学校内にもマカオ返還までの残り時間(秒!)を示す電光掲示板があるので、そこで学生たちがカウントダウンをするのです。

 学生は寒がりなのに100人は集まっています。残りは食堂でマカオに中国の旗の揚がる瞬間を見守っているのです。 「5・4・3・2(2はなぜが長い)・1!、澳門回帰!」 「わぁ〜」という歓声とともに学生は電光掲示板に駆けつけ、記念写真を撮り、テレビのある食堂に向かって走っていきました。
 私は、専家楼に戻ったのですが、門限が11時30分なので、入ることができず寒い風を受けながら門番のおじさんの名前を叫ばなければなりませんでした。

 翌、20日は「広州地区各界慶祝澳門回帰祖国大会」に招待されたので行って来ました。8時30分からなのですが、VIPが来る前に行っていなければならないとのことで7時20分に出発。30分に到着。しかし入場は8時までだめということで30分以上も外で待たされました。最低気温が急に5度に下がった朝だったので大変厳しい時間でした。

 なんとこの日の招待状には、スーツか正式な民族衣装を着用、バックやカメラの携帯は禁止と書かれていました。しかし、招待状は中国語なので、白人の中にはジーパンとジャンパーで来ている者もいます。入り口でなんか言われてましたが、入ることができたようです。

 厳重なボディーチェックの後、入場。約3000人くらい集まっています。すでに解放軍、赤いヘルメットをかぶった消防隊員、公安関係者が着席してました。この人たちは、式の間中、キチッと座っていて、全く動きません。これはすごいです。

 私たちは外国人ばかり集められた席に着席。省長・市長・各国領事など偉い人が到着し、始まりました。アナウンスで「静粛にしてほしい、写真撮影はできない。携帯電話などは電源を切るように。」という案内が入り、警備の公安が各列ごとに監視につきます。ものものしい雰囲気です。

 しかし、外国人席の外国人は写真撮りまくり・しゃべりまくり・ガム噛みまくり。警備の公安が注意しますが、「英語で言え!」「何を言っているか分からない!」と言い返し、結局、公安は諦めてしまいました。中には席を立って写真を撮っている白人男性もいます。中国人は片っ端から注意を受け、カメラを取り上げられたりしている中で、「中国語を話せないのは強いな」と思いました。

 この慶祝会は大変すばらしいものでした。挨拶は「これが祖国統一の重要な最後のステップだ。」「香港・澳門、次は台湾を統一し、中国をさらに発展させよう。」「澳門とともに新しい世紀の中国を築こう」と言う内容。(喋ったことの要約が電光掲示板で示されていました)

 そして、全省から集められた一流の歌手・漫才師(?)・演劇団・舞踊団・体育学院の学生たち、解放軍の人たち、総勢1500人による大演技会。フラッシュ・レーザー光線、スモークも使った迫力満点の演出でした。会場となった体育館のフロアーいっぱいに出演者が全員集まりフィナーレ。極彩色の花畑が揺れ動いているようで、13億人の中国の力を見ました。

 あまりのすばらしさに思わず、デジカメを出して、内緒でコソコソ撮っていると、後ろから肩をたたく人がいます。振り返ると警備の公安が二人もいて、「写真はダメだ。続けるなら取り上げる。」と言います。

 (お前ら、西洋人には何にも言わんといて、なんで東洋人にはでかい態度なんや。ほら、あそこの西洋人、ビデオまで撮ってるやないか!立ち上がって撮ってるヤツもいるやないか!あいつらはほっとくのか。!!)とキレれた中学生のようなことを心の中で叫びましたが、拳銃を持っている警備員なので「すみません」と言ってカメラをしまいました。

 帰りのバスの中、同じ大学のポルトガル人アメリゴに「どう思う?」と聞くと、彼は「450年前のポルトガルと中国の約束が履行されたのに過ぎない。ただそれだけなのだ。どうして、こんなに大騒ぎするんだ。ポルトガル人を悪者のように言っているようだ。」と、一生懸命喋ってくれました。残念ながら一生懸命すぎて、ほとんど聞き取れませんでした。

 こんな感じで、マカオ返還は私にとってエキサイティングに終わったのでした。


カウントダウンの学生

命がけで撮った慶祝会の模様

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