23 広州のサッカー青年 2000.4.8 |
最近、日本人の若者によく会う。留学生が中心だが、バックパッカーの事もある。私のHPを見て連絡をとってくれた人もいた。そんな中の二人の話。 日曜日、姚君から電話があった。 「先生、姚です。今、日本人と一緒です。その日本人は先生の助けがあると嬉しいと言っています。」 「今、どこ?」 「天河の本屋です。今から行っていいですか?」 「いや、ごめんね。これから出かけるところがあるんだ。また、今度にしてください。」 ちょっと、冷たい気がしたが、今まで同じ専家楼に住んでいた私立華聯大学の江差先生が大学の都合で華景新城というマンションに引っ越されて、おじゃまする予定だったのだ。 今、広州ではマンションバブルだ。金利がどんどん下がり、利殖を考えている人は銀行からお金をおろし、マンションを買って人に貸す。それだけ広州の人口が増えてきている証拠なのだが、マンションなどの値段はかなり上がってきているそうだ。はっきりとはわからないが、私の住む専家楼は月5000元もするそうで、華聯大学ではマンションを独自に買い、江差先生にもそこに移って貰うことになったのだ。 さて、江差先生の広くて新しいマンションから戻ってくる帰り道、偶然、姚君に出会った。彼の後ろには2人のブランドジャージ姿の髪の毛を染めた、一見して日本人とわかる青年が2人。姚君は「今、先生の部屋に行って来ました」と言う。 日本人の二人はU君とI君。U君は須磨出身、I君は福岡。彼らは滋賀県にあるサッカー専門学校の学生で、広州のサッカー実業団「太陽神」の外国人枠。この1月下旬に専門学校から広州にやってきた。 彼らの知っている中国語は3つ。「ニイハオ!」「シェイシェイ」「プーミンパイ(不明白)」。「プーミンパイ」は「わからない」の意味だが、彼らの場合は「ティンプートン(聞き取れない)」が正解。彼らは何を言われても「プーミンパイ」と言っていたと言うし、その発音も姚君には聞き取れない。 姚君に言わせると「プーミンパイ」の連発は頭脳の能力を疑われるらしい。何を訊いても「わかんな〜い。」「わかりましぇ〜ん」と言っているのだから。 実は彼らこの3つのことばだけで中国で約2ヶ月生きてきたのだ。実は姚君から教えてもらうまで、自分の所属チーム名の漢字さえ知らなかったという。 彼らは日本で偶然「太陽神」の監督と出会い、スカウトされて、なぜか150万円を払って、留学生として広州にやってきた。しかし、彼らのビザは観光ビザなのだが・・・・。 やってきたのはいいが、来たのがちょうど春節の時期、実業団の監督さんも故郷に帰ってしまったらしく広州の隣町パンユウで2週間過ごしたという。中国語のできない彼らを2週間も田舎町にほったらかしておく監督さんも監督さんだが、彼らは帰るすべもなく、電話をかけるすべもなく、毎日階下の食堂に行って(食堂には監督さんが前払いしてくれてあり、タダだったそうだ)、初めのうちは何かわからないような食事を食べて、寝て、水のシャワーを浴びて、小さなテレビもない部屋で2人、生きていたのだという。 「日本に帰ろう」と何度も思ったそうだが、中国元も持っておらず、電話もかけられない(中国では市外電話をかけるのが少しやっかいだ)彼らは、どうしようもなく、「監禁生活」を続けたのだという。 「まあ、猿岩石よりましだったよな。」と言う彼らの顔は猿岩石より野性的だ。 「練習の時、意志疎通とかどうしているの?」と訊くと「ボディラングーンですよ。」と踊りを踊る。「ボディランゲッジのこと?」と聞き直すと、「そうそう、それ。ジョークですよ、ジョーク」と言っていたが、ラングーンの意味を彼らは知らないと私は見て取った。 さて、彼らを連れて私の部屋へ。なぜかとても嬉しそうな彼らを見て、私はなぜか少し不安になる。彼らの悩みは試合で使ってくれないこと。 2人ともサッカーのキャリアはかなりあり、I君はインターハイ常連校のレギュラーだったという。しかし、日本ではJFLにも入れそうにないので、中国でキャリアを積むためにやってきたらしい。彼らに比べて、中国の選手は技術的にまだまだだという。「どう考えても、俺達の方がうまいのに、なんで使ってくれへんねやろ。」と彼らは関西弁で言う。 しかし、何を言っても「わかりましぇ〜ん」。叱っても「ありがとう」と言っている彼らを使うのは監督としても勇気の要ることだろうと私は思う。 それでも、彼らの仲間はとても親切でいいと言う。彼らがギャグをやるととても笑ってくれるらしい。そうなのだ。中国の若者はおもしろいことにあまり免疫がないのだ。 水曜日と木曜日の夜、課外授業として日本の映画やビデオを見せているが、学生達はとてもよく笑う。転けただけで笑う。「そこは笑う場面じゃないだろ!」と怒りがこみ上げる時がある。 外事処の李さんは大学院卒、英語ペラペラのエリートだが、暗い部屋の中、テレビでポパイを見て手をたたきながら笑い転げているのを女房は見たことがあるらしい。不気味な感じがしたと言う。恐らく、吉本興業が本格的に中国に進出したら、笑い死にする中国人が続出すること間違いない。考えただけで、恐ろしい。 初対面の私にもギャグをかましてくれる彼らは恐らく笑い免疫のない中国の若者には人気者だろう。でも、できればサッカーの方で人気者になってほしい。 もう、遅くなったので姚君も一緒に飲茶に行った。二人とも「先生、うまいっす」と連発する。大学内の飲茶だからそんなに高級でもないが、喜んでもらえて嬉しかった。二人ともよく食べた。「中国へ来てこんなうまい物、初めてです」と言う。まんざらお世辞でもないようで、今までどんな物を食べさせてもらったのかと、少し心配だ。 辞書はおろか、中国語の教科書を1冊も持たない彼らにCD付『2週間でバッチリ!話せる中国語』を貸してあげた。こういう本が欲しくて「Book Center」の看板のある店に行ったが広すぎて困っているうち、日本語らしき本を持っていた姚君に助けを求めたのだという。 好青年を絵に描いたような姚君は、彼らに週1回中国語を教えてあげることになったが、前途多難だろう。別れ際、彼らの連絡先を訊いたが、「プーミンパイ」と答えた。 そう「プーミンパイ」はこういうときに使うのだ。 |
上は汕頭の製陶所に置いてあった「笑仏」。布袋様です。 |
下は北京の北海公園でみつけたボール当て人形。 |