広州だより 学生の成績   1999.7.24

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  今、私は成績の提出も終わり、あとは一時帰国を待つばかり。
この成績ですが、なかなか重みのあるものです。
 平均は80点を見当につけます。しかし、90点以上は1割以下に押さえなければなりません。そして、できるだけ60点以下の不合格も1割程度出すように言われています。

 また、100点は事実上でない。100点の定義は、教える教師以上の力を持っている者ということ。評価は出題をした教師の実力との相関関係でもあるわけです。

 ですから今回、日本概況で日本の都道府県名とその県庁所在地、そして特産物や主な山や川の名前をすべて暗記し、150問の問題で全問正解した学生も98点。主任の先生に確認すると普通はそんな高得点はつけないのですが・・・・・・と言うことでした。

 実はチェックがかなり厳しいのです。学生の成績を文学院事務局の先生(私の場合は黄先生)がチェック、コンピュータ入力し、日本語学科主任、文学部長を経て、最終的に文学部の党書記へ。ここでのチェックが厳しいらしいのです。

 保苅先生は何度か党の人から、「点数が甘すぎる、不合格者がいないはずはない。」と注文と、ひどい時には訂正を求められたそうです。

 まあ、中国人の先生は生活がかかってますし、教師との相対関係にある成績でもありますから、かなり厳しい点数をつけますが、外国人教師はどうも比較的点数が甘くなるようです。あの学生の恐るべき暗記能力に驚くのかも知れませんが・・・

 そして、この成績、すべて張り出しです。来学期、文学院の学生が授業を受ける教学大楼の1階には、先学期の成績がズラーッと張り出されます。それまで一部を除き学生には成績がわりませんので、ここで一喜一憂するわけです。

 では、一部の学生はどこで成績が解るのか、それは親元に送られる成績書です。成績の悪い学生の親元にはこの書類が届き、親とともに驚くということになるわけです。しかし、この成績書の宛先ですが、学生は兄とか親戚とかの名前にしている者もいるようですが・・・

 逆に成績のよい者には特典もあります。90点以上の科目が一定上貯まると、「優秀学生」となり奨学金が出ます。また、これは党に入党したり、就職したりする時に非常に有利です。そこで、同僚の先生から89点はつけないようにとアドバイスを受けました。残念すぎるので87点くらいにするようにと。

 これは大学だけではなく、小・中・高も同じ。小学校も期末テストがあり、その点数で評価が100点満点で決まります。(100点満点は曁南大学の付属小学校だけかも知れません。)そしてなんと、このテストでよい成績を上げたクラスの先生も、評価をされます。よい評価の先生は、重点小学校・重点中学校と続く、重点学校に移動があるわけです。生徒の学力がないのは先生の教え方が悪いとなっていくのです。この重点中学校は、教育庁が決めた進学校。ここに入るため、親は必死になり、先生を家庭教師に雇うのです。(前も書きましたが、先生のアルバイトが推奨されているので、学校で自分の教えている生徒の家庭教師になることがよくあるとのことです。)

 かなり厳しい競争原理が教育に導入されています。お子さんを持つ同僚の先生の話や、学生の体験を聞くと、日本の「お受験」なんて、足下にも及ばないくらい大変なようです。

 ある先生のお家のお話ですが、奥さん(先生)が忙しかったので宿題のチェックをご主人に任せたそうです。しかし、ご主人はテレビを観ていて、いい加減にサインをして、子どもはそれを持って学校へ。ところがいつもは決してないはずの間違いがあったそうで、子どもは泣くは、担任の先生からは「親の責任として宿題のチェックはきちんとして下さい。」と電話があるは、で大変だったそうです。

 この宿題も、半端でなく、比較的優秀な児童の集まる曁南大学付属小学校では、小学校低学年でも11時頃までかからないとできない宿題がしばしば出ると、複数の先生が話してくれました。そして、親はちゃんとできたかどうかチェックしなければいけない・・・

 我が曁南大学も重点大学、当然のごとく華僑以外の学生、国内生は聞いた範囲では全部重点小から重点高校の出身者でした。みんな受験勉強は大変苦しかったと異口同音に話してくれました。

 話を戻し、保苅先生や前任の先生、同僚の先生の話を総合すると、今回、私の成績にはチェックが入る確率は非常に高い。今回はみんなよく頑張ったと、日本式教育的配慮で不合格者を一人も出しませんでしたから。
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