2006/2/1
中川博司県連合幹事長
日本において機会の平等は保障されるのか?
社会民主主義の理念として、市場経済を認めたうえで「社会的公正」を目指すということは、今日の社民主義の基本的理念であることには間違いはないし、「機会の平等」が担保されたうえで、経済的活力を生み出すエネルギーとして「公正な配分」が必要であることは言うまでもない。
新自由主義が世界を闊歩する中で、勝ち組と負け組の格差が広がる社会となっていることは統計的な事実であろう。だがしかし、働くものの誰一人として「負け組」になろうとしているものはいない。家族のため、生きていくため、必死に働いているからこそ「せめて自分の努力は、正当(公正)に評価して欲しい」という労働者の思いは強い。ところが、世界的な市場競争が強まる中で、労働現場では絶え間ない効率化が求められ、正規労働者は非正規労働者に置き換えられる、産業ごと国外に出て行く、もうからない産業は公共性があっても潰す、もうかる公共は民間へ、国の財政は、国際競争に勝つための金融支援・企業支援には何10兆円と支出するが、福祉・医療・年金など社会保障費は削減し続けている。教育は、この競争に勝ち抜くことができる子どもを育てようとしている。結果の格差は、機会の平等を奪っている。労働者の必死の努力さえ踏みにじられているのが、今の日本の現実である。
社民党の再生に向けた課題は、「公正か平等か」を議論することではなく、私たちが基盤とする労働者のこの必死の思いに、どれだけ応えることができるのかということに尽きる。国の政治は自民党も民主党も構造改革路線を突き進み、今の流れを明日にも変えるということは困難かもしれない。しかし、「何とかして欲しい」という具体的な要求を、地方政治をまさしく最後のセーフティーネットして機能させることは社民党長野県連合の存在価値であるし、中央においても最低賃金制のように、地方の取り組みの余地をこじ開けておくことは可能ではないか。
したがって社会民主主義の理念として普遍的な概念を表すとすれば、最初に述べたように「公正」であろうが、日本においては自民党も民主党も「公正」の名において構造改革を進めているということ、そして、この宣言は「社会民主主義についての説明ではなく、社会民主主義を掲げる政党としてどのような社会を目指すのかについて整理する」(全国連合企画委員会)という理由から「社会民主主義宣言」ではなく、「社会民主党宣言」としたと理解している。
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