2006/2/1
県議会議員 田口哲男(県連合政審会長)
公正か平等か
社民党県連合の「社民宣言」学習会が長野市で開催され参加した。日本社会党から社会民主党に党名を変更して10年、この間さまざまの出来事があった。
村山自民・社民の連立内閣の誕生、阪神淡路大震災、自衛隊容認、歴代首相始めての戦争謝罪談話(村山談話)小選挙区制度の導入、土井氏の党首復帰、社民衰退、福島党首誕生などである。そして、社民党の衰退は国会で公然たる「憲法改正」論議を生み出すまでになってしまった。社会党から10年、社民党は今後どのような道をたどってどのような政党へと成長するのか、はたまたこの日本から姿を消していくのかわからないほどの岐路に立っている。そうした中で「社会民主党宣言」を発し、国民の関心を引きつけようとする取り組みは意義あることであろう。
その宣言(マニュフェスト)はスローガンは「自由・平等・連帯」(注:最終案では「平和・自由・平等・共生」となった‥中川)である。私はこの平等に対して意義があり、コーディネーターに来ていた党本部職員に質問した。平等を「公正」に書き改めるべきと。なぜか?ご存知の通り、社会民主主義はヨーロッパ近代思想から派生した社会主義の理念であり、その根底にはキリスト教博愛主義がある。したがって計画経済を基盤とする社会主義とは明確なスタンスを置いている思想でもある。
生産手段の私的所有を基本に市場経済原理を基盤に置きながら社会的公正さをめざすのが社会民主主義である。ルールある競争原理(市場主義)を保障し、「公正の中の不平等」は社会保障制度や種種の法律でカバーすればよい、と言うのが私の主張である。自由と言っておきながら平等と言うのは言葉の矛盾である。
今、問題となっているライブドアやヒューザーの企業倫理は平等の思想では解明できない、公正の思想のみが解明できるのである。「平等主義は停滞を招き、不平等な社会を容認する」「公正な社会は能力が正当に評価され活力ある社会を生み出す」と私は確信する。党本部よ一考あれ。
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