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 2010年4月8日  吉田ただとも氏(参院比例・長野県重点予定候補)、県内入り

48日、社民党参議院選挙比例区へ出馬予定の「吉田ただとも」さんが、長野県内入りした。
 「吉田ただとも」さんは、1956年大分県臼杵市に生まれました。父親は、サントリー臼杵工場で働くかたわら大工や農業、退職後は船大工として、母親は農業をし、ニットウ工場へ働きに出て、子どもたちを育てあげた。「一生懸命働く父親や母親の姿を見て育ったことが、後に労働運動へ入ることになった」と振り返る。
自身も小学校4年から6年まで新聞配達、中学生のときは3年間牛乳配達をしてきた。陸上で中・高と活躍をしていましたが、成長期に無理をしすぎて右足中指に軟骨ができ、監督から「マネージャーをやらんか」と言われ、すっぱり競技生活を断念、進学をめざすことに。現役では入れず、福岡の予備校で朝日新聞の奨学生として仕事をしながら勉学し、九州大学の農学部に入学した。「朝刊を配り、予備校へ行き、帰ってきて夕刊を配る。勉強する時間がない。朝、朝刊を配達する前の時間に集中して勉強した。眠くてしょうがなかった。つらくて、やめようかとも思ったこともあるが、自分で決めたことはやり抜かなければと、がんばった」と笑いながら苦労話をする。大学の4年間も新聞配達や家庭教師をしながら学費や生活費を稼ぎながら卒業した苦労人。

その後大分県庁へ、主に農業関係の仕事や地域振興の仕事をしてきた。仕事上モットーとしてきたことは、地域の要望にしっかり耳を傾けること、そして前任者の仕事を一歩でも前に「つっぺり、こっぺり」進めること。「つっぺり、こっぺり」は大分県の方言で、「あらゆる手段を講じてでも何とかする」こと。世話好きを買われて労働組合の役員を引き受ける。県職労の運動だけではなく、地域の運動にも関わってきた。地元の青年団活動にも参加し、本人いわく「車1台分は飲んだ」勢いを買われ青年団長もつとめる。「よそ者で青年団長をしたのはあんたがはじめてだ」といわれるほど入れ込んでいた。

44歳で、当時村山富市衆議院議員(元総理大臣)の後継で県議から重野安正さん(現社民党幹事長)が当選し、重野さんの後継で県議に出馬、3期つとめる。社民党系の56人の自治体議員団の団長や県議会会派の幹事長をつとめるなど、地元でも信頼があつい。

 今回旧政権のもとで進められた構造改革で厳しい状況に置かれた労働者の雇用と暮らしを立て直すとともに、平和憲法を政治に実現するため参議院選挙への出馬を決意した。[労働者の政治闘争を否定する動きがあるが言語道断だ。働くものがその賃金労働条件を解決するため闘い、その政治的バッグボーンとなる政治闘争を戦うことは当然ことだ]と語を強める。
 
 阿部政権が国民投票法を強行採決したときは「郵政選挙で成立した内閣が、なぜ憲法改悪をすすめるのか」と悔し涙を流した熱血漢でもある。あらためて、今の子どもたちは憲法をいつ学ぶのか調べてみると、小学校では6年生、中学では3年生、高校では選択科目となっていることを知る。「自民党は憲法を学ばせないようにしてきた」と憤る。「憲法が染み渡るような教育が必要だ」と豊富を述べる。43日は、沖縄へ行き、普天間基地移転問題で、沖縄県民のすさまじい怒りを感じてきた。「全国が沖縄県民の思いをいかに共有できるのかが肝心だ」と述べる。

 長野県内で行き会った全ての人が吉田さんを評して「実直な人だ」と語る。

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