2005/5/23
社民党長野県連合幹事長 中川博司

沖縄平和行進・普天間基地を包囲

■本土から1000人が参加
戦後60年、本土復帰33年を迎える今年、28回目を迎える沖縄平和行進に参加しました。長野県からは、27名が参加。私は、平和行進に参加することはもちろんのこと、沖縄へ行くことも初めてでした。昨年8月の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故の報告を東門美津子衆議院議員から聞き、できるだけ早いうちに沖縄へ行きたいと思っていたところ、県護憲連合の事務局として参加する幸運に恵まれました。
 沖縄はすでに梅雨入りしていましたが、全国結団式が開かれた那覇市・県立武道館には全国からの参加者約1000名が参加、その後、長野県が参加する東コースと西コースの約700名が名護市役所へ移動し、「辺野古に基地はいらない!全国集会」に参加。翌13日から15日まで、辺野古をスタートし普天間基地までの約45qの行進に出発。途中キャンプハンセンやキャンプシュワブ、キャンプコートニー、嘉手納基地で抗議集会をしながら普天間基地をめざしました。2日目はあいにくの雨模様となりましたが、元気に行進を行うことができました。

■辺野古の海を守れ
長野県からは、毎年20名以上が参加していることから、今年は東コースの本土代表団の団長を私が受けることになりました。出発式や到着式、抗議集会で本土を代表して挨拶をそのたび行うことになり、余り勉強をしないで行ったので、その場その場で感じたことを中心に挨拶をせざるを得ませんでした。
 普天間基地の移転先候補地としてあがっている名護市の辺野古では、基地移転に反対しジュゴンが生息する海を守る地元の皆さんの迫力ある挨拶があり、私も「皆さん、辺野古の風を思いっきり吸い込み、この目の前に広がるきれいな海を守るためがんばりましょう」と挨拶しました。歩く先、歩く先、あるのは基地ばかり、護憲の運動が戦争体験の風化とともに消えてなくなるなんてことは、ここ沖縄では考えられません。沖縄からベトナム戦争へ、そしてイラクへと米軍は出撃をしていきました。目の前で日常的に砲撃訓練や飛行訓練が行われている沖縄にとって戦争状態は続いていると言っても過言ではないでしょう。地元の社民党や社大党をはじめとする反基地闘争を担っている皆さんの迫力には圧倒されっぱなしでした。

2万3千人の人間の鎖
最終日、普天間基地の包囲行動に参加しましたが、周囲11.5キロメートルで、23千人余で手をつないでいるので、自分としては本当に包囲できているのかさえ全く分からないほど普天間基地は広いのです。基地の周りにへばりつくように住宅や学校が並んでいます。宜野湾市の中央部4分の1、約500haが基地なのです。
普天間基地は、アメリカのラムズフェルト国防長官も「危険だ、そして老朽化している」と指摘し、95年の少女暴行事件を契機に「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)で、7年以内に変換することが決められていましたが、それは県内移設を前提とし、辺野古にヘリ基地をつくろうとしてきました。また、昨年813日には大型ヘリコプターが、沖縄国際大学に墜落し、幸いなことに負傷者は出ませんでしたが、現場が住宅地の中であることから一歩間違えれば大惨事となっていました。普天間基地の即時返還、県内移設を許さない戦いを本土にも広げていかなければなりません。

■基地の無い沖縄を取り戻そう!
たまたま乗り合わせたタクシーの運転手さんからは「本土にもっと沖縄の現実を広げて欲しい。行進に参加してくれてありがとう」と言われました。他の運転手さんは「もう戦争はないですよ。誰も戦争はしたくありませんよ」とも言っていました。居酒屋の主人は静かに「平和行進に参加している人達を応援している。自分は泡盛の甕を守らなければいけない」など、様々な表現で基地の無い沖縄を望む皆さんの声を聞くことができました。もちろん日常の中では、明るく生活をしています。那覇市の公設市場では元気なおばちゃんたちが声をあげて、豚の顔そのままの肉を売っていたり、観光地として役場の職員は皆アロハシャツを着ていたりします。日曜日には米兵が家族と正装をして教会へ向かう姿にも接しました。彼らは何を祈っているのでしょうか。
 沖縄への行くには飛行機代が往復で5万円近くかかります。おいそれと行くわけには行きませんが、可能な限り沖縄へ足を運び、これからも、いろんな沖縄の皆さんの話を聞いていきたいと思います。