国宝「瑞龍寺」の 木樋(木管)

木樋1 木樋2

「瑞龍寺」大庫裏に展示 (高岡市水道局上関庁舎にも展示)


水道のあゆみと水道管

 太古の昔、人々は川のほとりなどの水の得やすいところに集落をつくり、生産手段 として「水」を活用し、農耕が盛んになるとともに川や沼などから水を引く技術が 発展してきました。
 日本で初めて飲用を主とする水道が布設されたのは、天正18年に徳川家康が江戸 入府にあたってつくった「神田上水」と言われています。 江戸期の水道は、市街の配水路に木樋や土管、石管などを使い、各戸へは木樋や 竹管を使って給水をしていました。 高岡においても、瑞龍寺近辺や市内の工事現場から江戸時代に使われていたものと 思われる木樋や竹管が発見されています。
 高岡の近代水道の創設は、昭和3年で、配水管には鋳鉄管、給水管には鉛管が 使われていました。 戦後、水道をいち早く普及させるために、配水管にはコスト面から石綿管が多く 使われていましたが、その後、技術の向上と品質の改良により、腐食、衝撃に 強いダクタイル鋳鉄管が使われるようになりました。 また、給水管においても鉛管から、塩化ビニール管やステンレス管などの、 安全性や耐久性に優れた材質のものへと変わってきています。

木樋3 木樋4

瑞龍寺出土の上水木樋

 瑞龍寺から出土した水道木樋は、長さ3.615m、樹皮を剥いだだけのまっすぐな くさまきの自然木を用いています。 一方の端に近い所の上下には、幅18cm、長さ70〜80cmの平坦面が造られ、座りを よくしてあります。 木材は真中で縦に両断され、平面にそれぞれ径6cmと5.6cmの半円をえぐり貫くと ともに、半円の両端に幅1cm内外の細い溝を彫り、パッキング材をはめこみ、 両半材を接合するようになっています。 木材の両端は径15〜16cmまで、いくぶん角ばった形でせばめられ、その先端に 径12.5cm、長さ6.5cmのほぞをつけ、継手へはめこみやすくしてあります。
 このように、驚くほど手のこんだ精巧な木樋は、加賀3代藩主前田利常が 敬慕した2代藩主利長の菩提寺用なればこそ造られたものと考えられます。

 【引用文献】 「高岡市水道史」「水道局広報紙うるおい」


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