私とホンダ、何故ここまでホンダを好きになったのか? 自分でも不思議で時々考えます。 私が現在気に掛かるホンダたちに共通している事を一つ一つ考えてみます。 すると何故か昭和49年以前の製品に偏っています。 昔からホンダが好きだったかと言うと、特にそんな事もありません。 それでは、いつから? こんなホンダにこだわり始めたのは、初めてクルマを購入したボロボロの昭和の初代ライフが旧車のスタートでしょうか。しかし、それ以前も何故か持っているバイクなども意識したわけではないですが、みんなホンダ製。 それから集まってくるホンダたちは、どれも昭和49年の製造車です。 私の中で時間が止まったように、昭和49年までのホンダたちに惹かれます。 これってただの偶然でしょうか? ホンダ製品を好きになると、当然ホンダの資料や創業者の本田さんの記事を調べ始めますが、本田さんが活躍していた頃は、どの製品も生き生きと活気に満ち溢れ、元気印といった感じでしょうか。 本田さん・藤沢さんがホンダ技研から去ったのが昭和48年。 その時期と同じくしてホンダは現在の確固たる四輪メーカーとして基盤を築いていきますが、その地位と名声にホンダのホンダらしさのゆえんの元気印もいつしか封印されていったのではないかと・・・。 その頃からのホンダは、少しずつ一般との視線が離れていったような感じさえします。 ホンダを愛する人の為・ホンダ製品を使ってくれる人の為から、世界のホンダを強く意識して、目線が高くなってしまったような。自然と熱狂的なホンダマニアたちは、本田さんの現役の時代のホンダ製品を追い求めていったのではないでしょうか。 それが昭和48・49年頃が別れ道だったので、私もその年代までのホンダたちに惹かれるのかなと最近まで思っていました。 しかし、自分の過去を更に振り返って考えてみると、意外な事実が・・・。 私が生まれた実家、その場所は時々通りますが、立ち寄ると遠い記憶が蘇ってくるように思い出されます。我が家の2軒隣の角には、ホンダの二輪&四輪の販売店がありました。 当然道沿いのショールームにはホンダのバイク&クルマたちが並んでいます。 その脇の奥では毎日白の作業服を着てホンダたちを直しています。 生まれた時から自然とホンダたちが記憶の中に刷り込まれていたのでしょう。 あまりに自然で、かつ当たり前の風景で、自分では意識していませんでしたが、ホンダたちが脳裏の1ページ1ページに刻まれていったのでしょう・・・。 毎日通ってホンダたちを横目で見て、時には中に入って店のオジさんと話しながら。 しかし、そんな記憶を封印する日がやってきました。 昭和48年、本田さんの社長職引退と時同じくして、我が家が引っ越す事に。 新しい我が家に手を加えながら、少しずつ荷物を運び、完全にその家を引っ越したのは昭和49年の事でした。 それまでは会社の営業車に使っていたのは近所のお付き合いもあって全てホンダで、ライフバンやカブなどが、私の記憶に残っています。 引越ししてからは、会社の営業車は日産・三菱・鈴木とホンダから遠ざかっていきました。 カブも知らぬ間にスズキ・ヤマハのメイトに・・・。 私の記憶の中で、引越しをした昭和49年を境にホンダがいつしか消えてしまいました。 きっと、その記憶と共に私のホンダは昭和49年までと壁を作っていたのかもしれません。 昭和49年以降、初代ライフを手にしてイジる楽しさを覚えるまでは、ずっと封印されていたのでしょう。 しかし、その封印が溶けてからは、昔探しのモンキーの冒険や、ステップバンでの全国解体屋さん巡り、ホンダの歴史をさかのぼるコレクションの旅と、私の人生を180度変えるホンダ人生が待っていました。 不思議な事に、ホンダたちを求めて全国を歩くと、そこで知り合った方は皆、昔から知り合いのように自然と溶け込んでいきます。 ホンダと言うキーワードで、みんなの心が繋がっていくように・・・。 おかげさまで、この趣味を通して、多くのホンダ仲間が出来ました。 そして多くの事を学ばせていただきました。 良い事も悪い事も、みんな合わせて人生の良い勉強になっています。 ホンダに出会えて幸せと感じる今日この頃、たまたまそこにホンダがあったと思っていましたが、生まれた時からホンダに出会って、そしてホンダと共に歩んできたのではと・・・。 偶然のような必然のような、今までも、そしてこれからもホンダなのだろうなと思います(笑) 私の記憶をさかのぼる旅のお話でした・・・ ノンキー |