準備はOK?
ちょっと重い課題ですが・・
こんな重たい話、イヤなら読まないで下さい(でも、読まないと何が書いてあるか分からないか・・・)。
- 老後の準備
皆さんのご両親は健在でしょうか?
私の両親は、父親が数年前に83才で亡くなり、母親は病気療養中です。
父親は亡くなる数年前に脳血栓で倒れ、命は助かったものの半身不随になり、リハビリに励んでいましたが、だんだん寝たきりの状態になり、その後病院のベットで亡くなってしまいました。
看病に当たっていた母親も、最初の内は元気だったのですが、看病疲れもあったのか、体調を崩し、また高齢であるため徐々に老人性痴呆症の症状が出てきて身の回りのことが出来なくなり、現在施設に入院中です。
自分の親が長生きで、いつまでも健在でいてくれることは喜ばしいことです。しかし、いつまで健在でいられるかは誰にもわかりません。他人の世話にならなければ生きて行かれないような身体の状態や、精神面に支障をきたしてまで生き続けるのが良いかは疑問です。必要以上の延命治療に対する批判が高まりつつありますが、私自身も機械につながれてチューブだらけになってまで生きていたいとは思いません。
しかし、老人介護の問題は一つの方程式で解けるような問題ではなく、それぞれの家族がそれぞれの問題を持ち続けながら苦闘しているのが現実です。私の母親は近くに嫁いでいる姉が主として見てくれていますが、本当に頭が下がります。
自分の両親のこうした老後の姿を目の当たりにして、私も自分の老後のことを考えずにはいられません。数年前ですが、京都府京北町で末期癌患者を「安楽死」させ病院長がいて、当時大きな社会問題となりました。末期癌患者を抱えた家族も大変と思いますが、老人性痴呆症の親を抱えて生活するのも大変なことです。
こうした問題は高齢化が進む日本社会にあっては今後ますます増加してくる問題です。他人のこととして捉えるのではなく、自分自身の老後の生活設計の問題としてできるだけ早くからその取り組みをしておくことが必要です。
国防や官僚の飲食には借しげなく予算を投入しても、福祉は平気で切り捨てる国に老後のめんどうを見てもらおうと思っても、それは淡い期待でしかありません。自分の老後は自分が若いときから60才、70才、80才になった自分を思い浮かべながら設計しておくことが必要だと実感しています。
皆さんは自分の老後の準備はOKですか?
- 死の準備
数年前ですが、「病原性大腸菌O-157」という、それまでは聞いたこともなかった細菌が猛威を振るい、各地で犠牲者がでたこともあります。「エイズ」、「エポラ出血熱」など治療が非常に困難な伝染病の脅威もあり、地球環境を破壊してきた愚かな人類に対する自然の復讐かと思えるほどです。
伝染病だけでなく、私達の周囲には、交通事故や癌、心臓発作等いつ命が奪われるかも知れない脅威もたくさんあります。兼好法師が説いたように、私達の命はまさに「流れに浮かぶ、うたかた」なのかも知れません。今日元気だからと言って明日も元気だという保証はどこにもありません。自分がいつ死ぬことになるかも知れない訳ですが、日常的にはあまりそのことは考えずに過ごしているのが普通です。しかし考える考えないに係わらず、死は必ずやってきます。問題はいつそれが訪れるかですが、それを知っている人はいません。
死が自分の現実となって近づいてきた時に、あわてふためくことなく自然にそれを受け入れることができるだけの心の準備をいつかはしておかないと、「その時」が来たときに死を受け入れることができず、狼狽することになってしまいます。
平穏無事に日常生活をしている中で、「死を受け入れるための心の準備」をするなどということは場違いなこと、そんな縁起でもないことは考えるべきでないこと、と思ってしまいがちですが、よく考えて見ればそうでもないように思います。
どんなに忌み嫌っても全ての人に死は訪れるわけで、問題はその時期がいつかということだけです。いつかは必ずやってくる死ですから、その時のために自分の心の中で死に対する整理をしておくことにより、現在の生き方に対しても見方が変わってくるのではないかと思います。
そうはいわれても私達凡人はそれほど簡単に自分の死を受け入れることができないのが普通です。また死にも色々あり、納得できる死というものがあるのかどうかわかりませんが、事故や災害等による理不尽な突然の死までも受け入れるのは聖人君子でも難しいことでしょう。しかし、なんと言ってみたところで碓実に死はいつかは訪れるわけで、私達は好むと好まざるとに係わらずいつかは死を受け入れなければならないのです。その時期は明日かも知れません。
人間としての尊厳を保った死に方をしたい、死を目前にして前後不覚になり、狼狽することのないように心の整理をしておきたいと思っています。
ドイツの哲学者マルチン・ハイデッカーの「人間は死への存在である」という言葉を拝借するまでもなく、生まれた瞬間から死は避けられない現実なのです。
死を自分の現実と捉えるところから、その死に向かっていかに生きるかが真剣味を持ってきます。死を考えることはまさに現在の生き方を考えることなのだと思います。
「臨死体験」というのをご存じの方も多いと思いますが、臨死体験をした人はその後の死生感が全く変わってしまい、ほとんどの人が死を恐れなくなり、生きることにも積極的になり、仕事や友人付合いなども前向きに行動するようになるそうです。死があることを意識するからこそ、今生きることに一生懸命になるのではないでしょうか。
皆さんは自分の「死」に対する心の準備はOKですか?
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