運転感覚
運転免許を取る際の苦労は人によって様々です。
自動車教習所で長年初心運転者の指導をしていると、『運転感覚』にはかなり個人差が大きいことを実感します。こうした運転感覚の違いがどこから来るものかはかなり複雑な要素があるように思いますが、概略次のようなことではないかと思います。しかし、以下はあくまでも私個人の私見であり、専門の研究者から見れば見当違いの点があるかも知れないことを承知の上でご覧下さい。
- 頭での理解
運転を覚える課程では、まずこれから習得しようとしている課題の理解が必要ですが、同じように説明しても『10を言えば5くらい理解してくれる方』がいる反面、『10を言っても1くらいしか理解してくれない方』もいます。この時点での理解力はその方のこれまで育ってきた環境により大きく変化します。車の運転に興味があり、他の人の運転動作をよく観察している人はすでに運転の素地が出来上がっていますから『10を言えば9くらい理解してくれる方』になります。一方、これまではそれ程運転に興味を持っていなかった方が免許を取りに来た場合は素地がありませんから、全てが新しいことの連続でなかなか理解が追いつきません。指導する方も、もちろんこうした方はわかりますので、それなりにかみ砕いてていねいに説明しますが、十分理解してもらうには時間を要します。
この段階では年齢や性差はあまり関係なく、年齢の高い方でも、女性でも、運転に興味を持っていた方は理解が早く、いわゆる『教えやすい人』になります。その逆に、若い男性であっても、運転に興味のなかった方はどうしても理解に時間がかかります。
また、こうした観点とは違い、基本的な理解度の善し悪しも関係し、運転適性検査での理解度が極端に低く判定された方は興味があっても理解には時間を要する場合があります。
- 身体での理解
頭で理解できても身体がその通り動いてくれるかどうかは別問題です。自転車の乗り方を初めて習う人が、バランスの取り方を説明されただけですぐ乗れるかというとそう簡単には行きません。繰り返し身体でバランスの取り方を練習しないとなかなか難しいものです。自動車の運転も同じで、繰り返し練習することで身体で覚えて行く必要があります。
運動神経の善し悪しが影響しそうに思いますが、経験的には運動神経がいい方が必ずしも運転練習での上達が速いとは言えないように思います。全国大会で優秀な成績を修めている運動選手などでもなかなか上達しない方もおられますし、運動が苦手な方でも上達が速い方もおられます。
車の運転技術の習得には『空間認識能力』の優劣が強く影響するのではないかと思います。『空間認識能力』とは違った表現をすれば『自車の未来位置を前方道路上に3次元で想像する力』と言っても良いでしょう。前方道路上のどの位置に自車を誘導すればよいかという目標設定をすることができなければその後の誘導もうまくできません。まず目標を設定し、その目標に自車を誘導するためにはどうすればよいかを現在の動きから判断し操作していくのがハンドルでの誘導です。これにプラス速度調節があり、どのような速度で誘導するのが妥当なのかを判断し適切な速度に調節できなければなりません。この速度調節というのは言い替えれば空間内の移動に要する時間を計算し、適切な移動時間に調節する能力です。『時間的空間認識能力』と言ってもよいかも知れません。
こうした『空間認識能力』はそれまでにその人が育ってきた環境の中で長い時間かかって培われてきたものであり、一朝一夕に高めることができないものであると思います。
もちろん訓練によって高めることはでき、それを行うのが運転練習なのですが、その習得速度に差が出るのはこうした潜在的な『空間認識能力』の差があるのではないかと思います。
『勘』というのは、この空間認識能力と同義語ではないかと思います。
- 性差
一時話題になった本に『話を聞かない男、地図が読めない女』(アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ著)という本がありましたが、『男性と女性は違う生きものだ』との過激な説もあり、一般的に言って女性は男性よりも空間認識能力においては劣るという考え方があります。我が家の奥方様も部屋の中を上手に片付けられない典型的な女性ですが、これも空間認識能力が劣るため?と私もなかばあきらめております・・・?
この本の中で著者は『男は3次元で地図を見る。女は2次元でしか地図を読めない』『男は右脳の方が発達し空間認識能力が高く、女は左右両方の脳のバランスがよく感情表現に敏感である』等と述べていますが真偽の程は私も分かりません。当たっている部分もあるように思いますが、女性の中にも空間認識能力に優れた方もおられますので、一概に決めつけることはできないと思います。
しかし、方向変換や縦列駐車など後退を苦手とする女性が多いのは事実で、単なる練習不足だけではない性差が感じられますが確固たるデータがありませんので確定的なことは言えません。
- 年齢差
日本は急速な勢いで超高齢化社会への道を突き進んでいますが、それに伴い、60歳以上の高齢者の方が初めて免許取得に挑戦する事例が多くなってきました。一般的には高齢者は若者に比べて運転技能の習得には時間がかかるように思われますが、こうした『意欲的な高齢者』は免許を取りたいという意識が強く、これまでも運転に興味を持って他人の運転を観察している方が多いため、若者と大差ない時間数で免許取得をする方がたくさんおられます。
私が勤めている教習所を一昨年卒業された50歳以上の方22名の教習時限数を見ると、平均補習時限数は1.5時限で、22名中12名の方は補習0時限で卒業しています。同時期の若者も含めた全体の補修時限数は0.6時限ですからやや時限数が多いことは否めませんが大差ない数値と言っても差し支えないと思います。
中には年齢の数ほど練習しないと免許が取れない方もおられますが、そうした方はあまり免許取得に前向きの姿勢ではなく、『暇つぶしに免許でも取ろうかしら・・』という方はどうしても時間がかかります。そんな人が本当にいるのか?と思われるかも知れませんがお金持ちの奥様の中にはそんな方も実際にいるのです。上記の平均補修時限数1.5時限はそうした方も含めた数値です。
中高年になってから免許取得をする方の中には、学生時代に友人達が免許取得に興味を持つ時代にはあまりそうしたことに興味を持たなかった方が多いように思います。つまり、もともと運転に対する関心があまり高くない方が中高年になってから仕事等で免許が必要になり、免許取得に挑戦しますがそれまでの素地ができていませんからどうしても時間がかかってしまう結果となります。年齢に教習時間が比例するのではなく、運転に対する興味の深さに教習時間が反比例するのではないかと思います。
一般的には若者に比べて年齢の高い方は技能の習得に時間がかかるといわれていますが、上記のような背景を無視して結果だけを見て論ずるとあたかも年齢に教習時間が比例するように見えますが、真の原因は年齢にあるのではなく、年齢があがるにつれて運転に対する興味が薄くなりがちな方が多いため、結果として習得に時間がかかっているだけではないかと思います。現実に、年輩者であっても運転に対する興味の強い方は若者と大差ない教習時間で免許取得が可能です。
また教える側である教習指導員に『思いこみ』があると教習効果が上がりません。最初から『この人は高齢者だから時間がかかっても仕方ない・・』等と思って指導していたのでは効果的な教習はできません。意欲的な高齢者には若者と同じペースで指導しても十分それを消化する能力があることをわきまえて指導に当たる必要があります。
- 柔軟性
新しい知識や技術を身につけようとする時、その習得速度は『頭の柔軟性』がかなり影響すると思います。
自分の固定観念が強く、他人のいうことを聞き入れようとしない方はどうしても習得に時間がかかります。『秀才ほど運転は下手だ』という雑言がありますが、これは秀才と言われるような人は『自分が絶対』との意識を持っているため他人の言うことを聞き入れようとしない傾向が強いことからこうした雑言が出てきたものと思われます。
人は年齢の上昇とともに固定観念が強くなり、他人の言葉をあまり素直に受け入れなくなりがちです。年齢の高い方の中にはこうした固定観念が障壁となって新しい知識の習得に時間がかかる方もおられますが、これも個人差が大きく、年齢の高い方全てが一概にそうだとは言い切れません。
若い方の中にも教習所へ入所するまでに家族や友人から運転に関する情報をしっかり仕入れている方がおられます。それが正しい知識であれば大変結構なことなのですが、誤った知識を持っている場合はその修正にかえって時間がかかってしまう場合もあります。
柔軟性とは多少違いますが、猜疑心の強い方もこちらの言うことを素直に受け入れてくれないため運転の習得には時間がかかりがちです。
神経衰弱というトランプゲームがありますが、このゲームを子供と大人ですると圧倒的大差で大人が負けます。子供の脳はこうした単純な記憶を楽にこなしますが大人の脳はこうした点で柔軟性に欠けるため全く歯が立たないのかも知れません。
- 慣れと省略
初心運転者の事故発生時期を見ていると運転免許取得直後よりも取得後半年間程度経過した時の方が事故率が高まる傾向にあります。これは免許取得直後は運転者も不安があり慎重に走行しますが、段々慣れてくると人間は横着になり確認を省略したり、速度にも慣れてくるため制限速度を平気でオーバーしたりするため事故率が高まるのではないかと推測しています。
運転に慣れるというのは、違う言い方をすると『勘や感覚』が養われてきたとも言えるでしょう。勘や感覚が養われるのは決して悪いことではなく、車の運転には欠かすことのできないものです。しかし、それにより速度を落とさずにすれすれで側方通過をしたり、狭いところでも速度を落とさずに通過するというのは本末転倒です。昔から『弘法も筆の誤り』とか『猿も木から落ちる』など、こうした慣れを戒める諺はたくさんあります。
勘はあくまでも勘であり、絶対的なものではないことを知っておくべきですし、交通というのは相手があり、こちらの勘が冴えていても相手は不注意に出てくるかも知れないので自分の勘だけで危険な走行をしたのではそのうち事故を起こしてしまいます。
本当に運転が上手な人の運転は、一般人から見るとむしろ慎重すぎるように見えてしまい『もっとさっさとしたらいいのに・・・』等と思ってしまうことがあるものです。それくらい一つ一つの手順を省略することなく正確に実行できることが『確実性』につながるのであり、少し慣れてきたからといって手順を省略したり、速度を落とすべき場面で速度を落とさないのは自らの行動を『不確実』な行動に近づけていることを知るべきです。そうした人はまだまだ修行が足りない・・ということではないでしょうか。
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