A7V戦車(ドイツ製)

神内くん、これは・・・・なにかなぁ? 

天宮、これでも立派な戦車さ、A7Vという戦車で1917年生まれのドイツの記念すべき初の国産戦車なんだ。

えっ、これも戦車なの?  わたしはてっきりAPC(装甲車)なのかなあ・・・・って思っちゃった。だって全然74式戦車とか90式戦車と見た感じがちがうんだもん。 うーん、ちょっと戦車にはみえないよぅ・・・・・。   

確かに74式戦車や90式戦車を見慣れた目には違和感があっても当然だな。でも戦車は最初から90式戦車のような『常識的』な格好をしていたわけじゃないからなぁ。・・・・・特にこの第一次世界大戦時の戦車はなぁ・・・・・

そんなにすごかったの? わたしのイメージだと戦車は車体の上に砲塔をつんでいるものだけど? 違ったの? 神内くん?

一言で言うなら『お国変われば品かわる』ってところかな。 まさにオレ流戦車を競い合っているかのような感じまでするよ。 まあ初の戦車だからな、いきなり成功作が生まれるわけもないはずだし。

わっ! 神内くん、すごいよこの戦車、機関銃が6丁もあるんだね。 この前からちょこんと突き出しているのが戦車砲なのかな。

このころの戦車は普通科隊員の支援が主な任務だったから、機関銃が多いほうが良いと設計者は考えたんだろうな。 もっとも戦車戦なんか全然考えられていなかっただろうからな。 その戦車砲はたしか57mmだったかな?

90式戦車の120mm滑空砲とは大人と子供くらいの差があるね。

まあ、73年間も後に生まれた戦車と誕生したての戦車を比べたら仕方ないさ。比べるほうが酷だよ。 戦車砲だけじゃなくて最大速度だって13kmぐらいだったらしいし。

90式戦車の5分の一くらいしか速度がでなかったんだね。 13kmっていうと駐屯地のなかを移動する時とおんなじくらいの速さじゃないかなぁ・・・・・ 遅かったんだね。

あと、この車体の低さを見てみなよ。 今にも腹をすってしまいそうだぞ、きっと操縦手は本当に慎重に移動しなければならなかっただろう。当時の操縦手の苦労は90式戦車に乗っている俺や相馬の比じゃなかっただろうな。

むかしの操縦手の人はみんなすごかったんだね。  でも神内くんだってとっても操縦上手だよ。 ぜったい絶対に昔の人にだって負けてないよ!

そ、そうか。 でもありがとう天宮に誉められると俺はさらに頑張れるよ。 そうだ天宮、さっきAPCみたいだと言ったな? この戦車はな現在のAPCよりも乗員が乗っていたんだ。 なんと18人だぞ!

えっ!! じゅ、18人も乗ってたの!?  あの中に90式戦車6両分の人が乗っていたの? で、でもそんなに乗っていたら一番下の人はきっと大変だったね。お茶とか演習に行くときとってもたくさん持っていかないといけなかったんだろうね。

ま、まぁ確かに・・・・・下の人間は色々な意味で大変だっただろうな。 あと車長も当時は車内通話の装置などなかったから大声で怒鳴りまくっていたんだろうなぁ・・・・・ (神保一曹は逆に装置があっても常に怒鳴りまくっているけどなぁ・・・・・・)

でも神内くん、きっと昔の人たちのいろんな苦労があったから今のわたし達は90式戦車という、とっても凄い戦車に乗ることができているんだね。

そうだな・・・・・ 彼らに感謝しないとな。 じゃあ、天宮今日はそろそろ帰ろうか。 悪かったなぁ、つき合せて楽しかったか?

うん! 勉強になったし・・・・・・それに・・・・

それに?

それに・・・・・神内くんといっしょならどこにいたって楽しいもん。

それは俺もだよ。 そうだ、また新しい物が展示されたら二人でこような。

うんっ!