地球帝国の興亡
      
   
    戦教隊出動す


    1

 神内は頭上を見上げた、自分の今の気持ちを反映しているかのように空をどこまでも暗雲が覆っている、見るだけで憂鬱な気分にもなってくる、あれから二ヶ月近くが経った、思えばあの日以来、耳を疑うようなニュースがなかった日などあっただろうか?
 真珠湾が炎上した翌日には、北大西洋で衛星軌道から観測できるほどの巨大な渦潮が突然発生しあまりの規模に北欧神話からメイルストロームと名づけられた、いまだに収まる気配すらない。
 そして、それから一週間も経つと海難事故のニュースがひっきりなしに舞い込んでくるようになった、巨大タンカーから漁船まで大小問わず何かに襲われたかのように消えていく、海が人間に牙を剥いたかのようだ。
 航空機の事故も相次いだ、今では国外への民間機の飛行は自殺行為以外の何物でもない、今ではもう大空も大海原も人間が自由に活動できる領域じゃなくなってしまった・・・すべてあいつらのせいで・・・


    2
    
 「おい神内、ぼさっとしてる暇はねえぞ、体を動かせ!」
 神保の怒鳴り声で神内は我に返った、いまさらこんな事を考えてもどうしようもないじゃないか。
 「はい、すみません!」
 神内は両手にエンジンオイルが入った20l入りの携行缶を持って戦車に走った。
 車体後部の上に立っている神保に携行缶を渡しながら中隊パークを見渡した、全員慌しく走り回っている、しかしそれは急いでいるだけではなく押し寄せる得体の知れない不安を一時でも忘れようとしているためのように神内には感じた。
 神保に携行缶を渡すと神内は工具箱とコネクタ等の予備部品を取りに休憩所へ走った、しかしもう予備部品の棚には履帯の予備部品はほとんど残ってなかった、操縦手達は各個で持てるだけ持ってってしまったのだろう。
 部品庫がカラになるなんて、引越しでもある時以外ないかと思っていたのにな、仕方がないので神内は各車をまわって少しずつコネクタ類を分けてもらった。
 相馬に分けてもらったコネクタを土嚢袋に詰めながら、普段なら一言、いや三言くらいは付け加える相馬がただ一言のみ。
 「ああもってけ」
 そう言ったきりなにも言わず黙々と車両準備を続ける姿を見て、神内はさらに重い気分になった。


    3

 その後、アメリカ西海岸沖で米機動艦隊がついにその正体を確認した、全世界に流れたであろうその映像には、護衛艦のファランクスの猛射を受けながらも海面高度を突っ込んでくる禍々しき鳥、いや違う、鳥のような何かの群れの姿がはっきりと映っていた。
 結果としては、機動艦隊は半数以上の艦が沈没又は大破するのを見てもはや戦闘続行は不可能と判断し作戦海域から撤退した。世界最強と呼ばれた大艦隊が真珠湾に引き続き無残な敗北を喫した。
 そして北海海域ではNATOの護衛艦が『攻撃を受ける、海面下に全長200m以上の高速移動物体を目視で確認』との報告を最後に消息を絶ち、その近海を潜航していた攻撃型原子力潜水艦も僚艦の後を追った。
 その一週間後ついに日本近海でも同様の事態が起きた、タンカーのSOSを受け発信海域に向かった巡視船の運命を、上空を飛行していた海保の航空機が捉えていた。
 タンカーの中央部はまるで巨大な万力によって渾身の力で上下から締めつけられたかのように無残に圧壊して船首と船尾は斜め上方を向いてしまっている、一体どのような力が加わればあのような状態になるのだろうか?
 しかしその疑問は数秒後に実にあっけなく解けた、巡視船の下方に巨大な影が映った瞬間、それは50mはある巡視船を踊り食いをするかのように一飲みにしタンカーの中心部に喰らいつくと、現れた時同様、一瞬にして深淵に消えていった。
 襲撃時間はわずか四秒程度だった、おそらく、巡視船の人間は苦しむどころか気づく間もなかっただろう、これも神が与えた慈悲と言えるのかもしれない。
 だが、あんなものを創造した神はどこか気が触れてしまったに違いない、そうでなければ二日酔い、いやアルコール中毒になったのだろうか。
 ・・・そして、いまやこの地上すら人間にとって安全な場所では無くなり始めた。


    4

 「エンジン始動!」
神内は大声で周囲に警告してエンジン始動スイッチを押した、順調に回転数が上がりエンジンは問題なく始動した。
 神内は操縦席から出ると、背嚢と衣嚢をバスケットに積載している神保にエンジンの調子を報告した。
 「いや神保一曹、あれだけぐずつき気味だったエンジンが見事に一発でかかってくれましたよ」
 「ああこれは間違いなく野整備部隊のお陰だな、感謝しないとな」
 神保は神内の報告を聞くと嬉しそうに言いいながら、野整備部隊の整備工場を見た。
 防衛出動待機命令が出た瞬間から、全整備部隊は、車両の故障排除にかかった、車両稼働率を100パーセントに持っていけを合言葉に彼らは昼夜を分かたず各部隊を走り回り続けた。
 夜間でも、インパクトや車両のエンジン音が聞こえない日はなかった、もちろん昼は乗員達も総力で車両整備に取り掛かっていた。
 しかし夜も整備を行なおうとした乗員達は逆に整備部隊の断固とした反対により止められた。
 『その時になって乗員が戦えなかったらもうどうしようもない、今はなんとしても乗員は自分の体力と判断力を維持してくれ、戦車の戦闘力は俺達が絶対に回復させてやる!』
 神保はこの野整備部隊に所属している新隊員時代の同期が俺達に言った言葉を決して忘れまいと誓った。
 今、あの工場の中では今度は車両から交換した不良部品を直せる限り修復させている。
 細かい部品を直している時間が無かったために故障部位を丸ごと新品に交換したためもう予備部品が底をつきそうな状況らしい。
 彼らは一つでも多くの予備部品を確保するために、あの整備工場で戦っている。これから先は最重要部であるエンジン関係は部品が有り余るという状況には決してならないだろう、なにせ以前からその傾向があったくらいなのだから。
 最悪の場合、中隊の車両稼働率が0パーセントという状況になる日が近い将来、本当に訪れるのではないか?、神保はふとそんな悪夢の予感にとらわれた。


    5

 そして五大陸すべてにおいて、魔獣(いつしかそう呼ばれた)の発生が確認された、大は90式戦車よりもふた周りほど巨大な奴から、小は2メートルほどの対人戦闘に突出したものまで、地球は魔獣の大見本市と化した。
 殺戮の嵐が瞬く間に広がった、その嵐は歴史上類はなく、結果、奴らの最優先目標が次第にわかってきた。
 種としての人間の抹殺、恐らく魔獣達は人間という存在を地球に『いる』から『いた』と形容したいのだろう。
 それは人間を殺すことが己の存在意義だとでも言うかのようだった。
 もちろん、人間も手をこまねいていたわけではなく、各国はまさに自らの生存を守る為に戦った、しかしアメリカやNATO諸国のように犠牲を出しつつもなんとか戦線を安定させることに成功した国はわずかだった。
 人類は、冷戦の終結によって後先考えず『小回りのきく軍隊』や『平和維持のための軍隊』はては『スリム化』などといった合言葉のもとに軍備を削減したことを今になって後悔した。
 しかし、もはや後悔する時間も暇も残されてはいなかった、人類全てを焼き尽くそうとする猛火は瞬く間に世界に燃え広がっていった。
 そして、遂にユーラシア大陸の東に浮かぶ島国、日本の上空に死を告げる魔鳥が東京上空に飛来し、航空自衛隊のF―15J戦闘機が迎撃、交戦した。
 今までの侵攻パターンから判断するとまず上空偵察を行なうかのように魔鳥が飛来すると魔獣が侵攻してきた、今や日本は侵攻目標となったのだ。
 そして、自衛隊創隊以来、初となる防衛出動命令が遂に下された。
 速すぎる、あまりにも速すぎる、わずか2ヶ月の間に世界は激変していく、実は俺はあの前日から夢をみているんじゃないのか、いまだにベットの中にいるんじゃないのだろうか?
 ・・・そんなわけあるものか、あまりに愚かすぎる自分の考えに神内は苦笑まじりに笑った。


    6

 30分後に中隊は出発する事になった、90式戦車を有する第二中隊と第五中隊を先頭に移動することになっていた、東名高速を突っ走り東京まで移動するらしい。
 神内は休憩所の側のコンクリートの上に腰掛けて上高達がつくってくれたコーヒーを啜りながら、今の気持ちは小さい時の予防接種の順番待ちをしている時にどこか似ているなと思った。
 最初、二十人くらい前に並んでいたと思ったら、一人減り、五人減り少しずつ自分の番が近づいてくる、ふと新隊員の時から愛用しているGショックの腕時計を見るとすでに五分が経過してしまっている。
 今日は時がたつのが速く感じた、神内は一気にコーヒーを口に流し込むとコップをパークの端にある水道で洗い休憩所内の茶器棚に返した。
 ・・・・・空気が重い、こんなに重苦しい休憩所の雰囲気は今まであっただろうか?
 神保はタバコをくわえ何か考えている、しかし見ると神保の世代、四〇才以上の人間は平然としているように、いやこの日が来ることを予想していたようにさえ感じる。
 そんな神内の視線に気づいた神保はタバコを消すと神内を連れ自車の側に歩いた。
 「神内よ、お前今もの凄く不景気な雰囲気を出してるぞ」
 神内自身はそう見えないように気をつけていたつもりだったのに神保の目はやはり誤魔化せなかった。
 「すみません」
 神保は仕方の無いことだと言い自分の今の気持ちを語った
 「俺達の世代はな、今じゃ死語にも等しいが冷戦華やかなりし時に入隊したのさ」神内は黙って聞いていた。
 「当時は、一朝事あらばソ連の機械化師団の群れが日本海を渡りなだれ込んでくるという状況だった、俺はそう考えていた」
 神保は続けた。
 「でもそんな状況の割には世間の目はやたら冷たくてな、まるで俺達は臭いもののような扱いだった、二一の時に女房と籍を入れたんだが相手親には反対されっぱなしでな、式を挙げることも出来なかった」
 「で、気づいたら冷戦は終結だ、戦車はもう不要とまで御偉い先生方には言われる始末だ、十八の時に入隊して以来、怒鳴られどつかれやって来た事はなんだったのかと思った時もあった」
 「だが、四五になってついにその時が来た、さすがにあんな化物どもと戦うとは思わんかったがな、不謹慎だがこの時が来るのを待ちわびていたという方が正しいかもしれんな・・・神内よお前は俺を危ない奴と思うかもしれんが、いや思っても構わん、俺は今、自分の血が今にも沸騰しそうなのを感じるほど気持ちが燃え上がっている」
 神保はそう真剣な顔で言った。
 「例えるとするとどの位です?」
 神内は聞いた、神保はにやりと笑うと言った。
 「二十の時に女房相手に処女奪ってさらに童貞を捨てた時と同じくらいだな」
 神内は、久し振りに自分が本当におかしくて笑ったことに気がついた、神保は力強く神内の背中をどんと叩いた。
 「まあ、お前はそんな気持ちにはなれんだろうが、俺達のことを税金の無駄遣いだとか言ってやがった連中に目にもの見せてやろうぜ、俺達に金を払いすぎてはいなかったことを証明してやる」
 神保は不敵な笑みを浮かべながら神内に言った。
 「はい!操縦は自分に任せてくださいっ!90式戦車の底力を化物どもに思い知らせてやりましょう、神保一曹!」
 神内は神保にまけじと気合をこめて言った。
 「おうし!神内その意気だ!しけたツラじゃなくなったな、ところで神内、天宮が来てるのに気づいていなかったのか?」
 神保が顔を向けた方向を見ると確かに天宮がいた。
 神保曰く天宮は一〇分ほど前から来ていたという。天宮はパークから出て行こうとしている、神内は時計を見た、もう出発まで一五分を切っている。
 「すいません!自分、天宮のところに行きます!」
 そういうが速いか神内は天宮のもとに走った。


    7

 「天宮!」
 神内がその名を呼ぶと天宮は後ろを振り向いた
 「神内くんっ!」
 天宮は神内のもとに駆け寄ってきた。
 「すまない、俺天宮に気づかなかった」
 神内が誤ると天宮は首をふった。
 「ううん、いいの神内くん、どうしても渡したい物があったの」
 そう言うと天宮は戦闘服のポケットから小さなハチマキを取り出し神内に手渡した。
 神内はその左右の端に糸で字が縫われていることに気がついた、右端には神内と、左端には『非理法権天』の文字が縫ってあった、(楠木正成がその旗に記したという語だが神内はその意味を自分なりの解釈にしている)それは神内の座右の銘とでもいうべき言葉だった。
 「天宮、知ってたのか、俺がこの言葉を大好きなことを」
 神内は驚いた、なにか恥ずかしいので人にはほとんど言った覚えがない、天宮にも教えた覚えはないのに。
 「神内くん、二年前にいっしょにお酒を飲んだ時に言ったよ、たとえ法も権力もそして神だろうが道理に背くことは絶対許されないって、非理法権天って言葉の意味を俺はそうとらえているって」
 俺は全く覚えていないのに、天宮はそんな酒の席での事を覚えていてくれたのか。
 「非理法権天か・・・なにか今の私達の状況にぴったりだね・・・」
 神内を見ながら天宮が言った。
 「ああ、たとえ天が俺達人間を滅ぼそうと思っても、はいそうですかと誰が従ってやるもんか、奴らが諦めるまで抵抗してやる」
 神内は鼻息も荒く言った。
 天宮がハチマキを見ながら言った。
 「ほんとはね、それにあともう一つの意味があってね・・・むかし出動する兵士に女の人が糸を縫いつけた布を送ったんだって、それを持ってると幸運に恵まれるんだって・・・えっと」
 「それは千人針のことだな」
 神内は助け舟を出した。
 「うん、でも私一人ぶんだけだし、それに千回も縫ってないし・・・神内くんが無事でありますようにってお祈りしながら縫ったんだけど・・・」
 照れながら天宮は申し訳なさそうに神内につぶやいた。
 「そんな事はないっ、ありがとう天宮、ちょっと待て、今着けるから」
 神内はピンと引っ張って一気にハチマキを結んだ、気合が入る。
 「うん、似合うよ神内くん」
 天宮は笑顔で言った。神内は皆が休憩所から出てくるのに気づき時計を見た、あと五分だった。
 「・・・天宮そろそろ時間だ、俺もう行くよ・・・本当にありがとう天宮」
 神内は天宮にそう言った。
 「神内くんっ・・・」
 天宮は神内に抱きつき神内の胸に顔をうずめ今まで言えなかった本音を言った。
 「ほんとうは、どこにも行って欲しくない、そばにいて欲しい、もう二度と会えないんじゃないかとふと思うことがあるの、それがすごく怖いの」
 いつしか天宮の声は涙声に変わっていた。
 「天宮・・・俺のことをそこまで思って・・・でもすまない俺は・・・」
 神内は静かに言った。
 「でもわかってるの、神内くんはなにがあっても前へと進んじゃう人だって、自分だけ安全な道を選ぶことは出来ない人なんだって」
 天宮は振り絞るように言った。
 神内はもう何も言わず思い切り天宮を抱きしめた、今は人目もなにも気にならなかった、そして天宮のぬくもりを感じた。
 時間にしてそれは数秒、長くても十秒くらいだっただろうが、神内と天宮の二人には数分にも感じた、そして二人はお互いの力を緩めそっと体を離した。
 「神内くん、頑張ってね、帰ってくるのを待ってるから、ずっと待ってるから」
 「ああ、帰ってくる、俺は何があっても必ず帰ってくるからな」
 天宮はとびきりの笑顔で言うと、神内に背を向け走って去っていった、今にも溢れ出しそうになる涙を堪えながら天宮は走っていった。
 「天宮・・・・・」
 「神内時間だ、乗れっ!」
 その時、神保一曹の声が神内の耳に響いた、神内は走り去っていく天宮の背を一瞥すると、未練を断ち切るかのように一気に背を向け戦車のもとに走った。


    8

 神内は輪留めを転輪と転輪の間から引き抜き砲塔後部のバスケットに押し込み操縦席に乗り込むと装甲車帽を被り神保に報告した。 「操縦手、準備よし!」
 神内のその声にはもはや迷いはなかった。
 「神内、もう思い残すことはないようだな」
 神内ははっきりと神保に答えた。
 「はい、もうありません、最高のお守りをもらいましたから」
 いいぞその意気だと神保は思った。そして神保は神楽坂にも同じ事を聞いた。
 「別に何もありません」
 全く以前と変わらなかった、これから初の実戦を迎えるというのに、神楽坂はまるで訓練にでも行くかのようだ。
 まあ、神楽坂が神内と同じようなことを言ったら、それはそれで逆に何事かと思うことは確実だろうが、まあいつもどおりでよろしい、神保はそう思った。
 神内は神保が小隊長に準備良しの報告をするのを聞きながら、パークを見回した、中隊の全ての90式戦車のエンジンが猛々しき咆哮をあげている。
 戦いのためだけに進化しつづけた120mmの牙が獲物を撃ち貫く時がついに来たのだ、神内には戦車達が狂喜に打ち震えているようにすら感じた。
 隣の戦車を見ると、相馬と視線があった、すると相馬は真面目な顔だがどこか愉快な表情で操縦席から右手を突き出し、親指を立てた、神内も左手の親指を立ててそれに答えた。
 右の車両の操縦席には上高が乗っていた、神内が上高の名を2度呼ぶとこちらに気がついた、神内は相馬と同じように上高にむかって親指を立てた。
 神高は一瞬迷ったように見えたが、少し恥ずかしそうに笑いながら神内に向かって同じように親指を立て叫んだ。
 「神内士長!」
 神内はもう一度、上高に向かって力強く親指を立てた。
 時計を見た、すでに一分を切っている、さあいよいよだぞ、神内は戦車ゴーグルの位置を装甲車帽の中心に合わせなおし、皮手袋をもう一度はめ直した、あと三十秒。
 中隊長が手を挙げるのが見えた、各小隊長が一斉に手を挙げて答えると、今度は各車の車長が小隊長に向かって同じように答えた、神内からは見えないが神保一曹も同じように合図していることだろう。
 「前進順序及び経路は先ほど示したとおり、中隊前進用意」
 中隊長の声が聞こえる。神内は駐車ブレーキを解除し、ブレーキを踏みながら変速レバーをニュートラルから一速の位置に入れた、ギアが繋がったことを示す軽い振動が体に伝わった。
 「前へ!」
 中隊長が命令すると同時に各小隊長が一斉に前へと復唱した、一小隊から出発していく、そしてとなりの相馬の戦車が出発した。
 「操縦手前進用意」
 ヘッドセットから神保の声が聞こえた。
 そして前車が充分に前へ出たことを確認すると神保は命令した。
 「前へ!」
 神内は静かにブレーキを解放した、90式戦車がゆっくりと動き始めた。


    9

 神保は、戦車がパークをでて演習場へ繋がる戦車門ではなく正門へと向かう道へ右折していく光景を見ながら、自分がこの道を左折はしても右折はしたことが無いことに気がついた、そして思った。
 俺は二五年間、何千回となくこのパークをでて左折し戦車門へ向かったが、一度も戦車で坂を下って表門へ向かったことはなかったのだ、そして今日始めて演習場ではなく表門へ向かうのか。
 神保はとなりに立っている神楽坂に言った。 「良く見ておこうこのパークの姿を、俺達はまた必ず帰ってくるからな」
 そして神楽坂と共に休憩所を振り返った。
 俺が入隊する以前から立っていた休憩所、台風やら大雪がくるたびにどこか補修をする羽目になる休憩所、また必ず帰ってくるぞ、神保は心の中で誓った。
 通り過ぎるパークを見ると出動準備を完了してあとは出発するだけとなっている戦車、装甲車、自走砲、装輪車が出発を待ちきれぬかのようにエンジン音を轟かしていた。
 「不思議なものだと思わないか」
 神保は車内通話で神楽坂と神内に言った。
 「なんども歩きなれた道なのに戦車に乗って見るとまったく違う場所のようにも思えてくる」
 神保は感慨深げにそう言った。
 確かにそのとうりだと神内は思った。マラソンする時に食堂や売店に行く時、外出する時に幾度となく歩いた道なのに、操縦席から見る風景はどこか新鮮だった。
 表門が見えてきた、門のそばには人だかりができていた、見送る人々がさかんに手を振っている、そして今、先頭車が表門をくぐった、大きな歓声が沸き起こった。
 まさにこれは出陣なんだ、訓練じゃない、神内はその光景を見ながら、正門に近づくと速度を落とし自分達を見送ってくれる人達に頭を軽く下げ感謝した。
 神保は見送りの人達に敬礼をしながら、その中に家族の姿を見つけると怒鳴り声とも思えるほどの大声で言った。
 「雪子、悪いがしばらく留守を頼むぞ!」 二四年間連れ添いつづけた神保雪子は微笑みながら静かに頭を下げ夫の姿を見送った。
 「親父ぃ!」「父さん!」
 神保の息子と娘で普教連所属三等陸曹・神保忠雪(ただゆき)と高校生の神保霙(みぞれ)が母の傍で父にも負けない大声で呼んだ。
 「親父、俺もこの左腕が治り次第すぐに後から行くからなぁ!」
 彼は無念にも左腕の骨折の為、待機する事になってしまったのだった。
 「ああ!とっととこいよ、おう霙!」
 手をメガホン代わりにして彼女は精一杯の声で父に言った。
 「お願いだから父さん、あんまり無茶しないでね!」
 神保は兄とは違い母親に似た娘に大声で言った。
 「そりゃわーっとる!お前は母さんを困らすなよ!」
 そして神保は家族に向けて非のうちどころのない完璧な敬礼を行ないながら、まるでパチンコでも行くかのような気軽な言葉で叫んだ。
 「じゃあ、俺ちょっといってくるからなーっ!」


 「神楽坂三曹ーっ!」
 神楽坂が声の方を向くとそこには自分の営内班の班員の天宮達や同期のWACの姿があった。
 「班長ーっ、頑張ってくださーい!」
 「どうか、あの化物どもに弄ばれた女性達の無念を晴らしてください!」
 それは彼女達の心の底からの叫びだった。


 実は戦教隊から女性で陸士・陸曹の中から今回出動するのは神楽坂ただ一人だった、隊長の判断で見送られたのだった。
 それは、あの化物どもの戦慄すべき性質のためだった。
 五大陸の全てにおいて、魔獣群が出現し世界中で人間に対する攻撃、いや虐殺というべき行動を始めた、戦闘員・非戦闘員の区別はもはや全く無かった。
 しかし、戦闘を続ける人間はふと気づいた、男は老人・子供問わず殺戮の対象となっているのに、女性の遺体は驚くほど少なかった、そう特に妊娠可能な世代はまるで、何処かに連れ去られてしまったかのようだった。
 そしてその理由が明らかになった、米軍の部隊が魔獣の勢力下にあった都市を奪還したところ地下鉄内で女性達が魔獣が繁殖するため母体として使用されている光景を目撃したのだった。
 以外なことではあるが、彼女らは外傷もほとんどなく、地下に恐らく一ヶ月間近くは拘束されていたであろうにも関わらず、衰弱等も全くと言ってよいほど見られなかった、ただぼろぼろにされた心を除けばだが。
 調査の結果、犠牲者が囲むようにしていた「大樹」最初そのように見えたらしい、がその内部から湧き出す樹液(のような)は人間が生きていくのに必要な栄養分に満たされたスープのような物だった。
 それは、大樹から伸びる蔦のようなものを通じて犠牲者の口内を通じて栄養を送り込んでいたのだった。
 そして、助けられた女性達の証言によると魔獣は人間の男がする事と同じ事を女性に行いその種を子宮内に植え付ける。
 その後、母体には定期的に大樹の蔦から樹液が送られ魔獣の幼体の成長と母体の生存に必要な栄養分が与えられる。
 そして約一ヶ月後、充分に成長した幼体は人間の子と同じように出産される、その時母体への負担を軽減させる為に大樹は麻酔効果を持つ液体を分泌するらしい。
 その後、疲労から回復した女性は再び魔獣によって無理やり忌まわしき幼体をその胎内に宿される、これがなにかの理由で母体が使用不可能になるまで無限に繰り返されると言う。
 人類は戦慄した、拒否することも死ぬことも許されずにただ醜い魔獣の仔を宿す為だけに使用される肉体、捕われた女性の中で狂うことができた者は幸運と言えるのかもしれない、惨いことに救助された人間の中には十三歳の少女もいたという。
 そして、その事を知る隊長は女性は完全に後方での任務につかせることにしたのだった、男ならば殺されるだけですむ、しかし女だったら・・・そう思うと前線勤務を女性に命ずることが彼にはできなかった。
 その事を知った神楽坂は自ら隊長室へ赴き自分を外さないでもらえるように嘆願した、自分は戦教隊において射撃に関して決して人に負けない自信がある、それにここで外されたら神楽坂家の人間として生まれた自分の存在意義がなんなのかわからなくなると言うのだった。
 隊長は、死ぬよりも辛い目にあうかも知れないのだと述べ、さらに後方での支援も前線勤務と変わらない重要な任務なのだと神楽坂を説得した、しかし神楽坂の決意は揺るがなかった。
 「もし、そのような状況になった時は悩むことなく死を選びましょう」
 神楽坂は一片も迷わずそう言った、そしてその強固な意思はついに隊長の考えを翻意させた。
 今、神楽坂は残ることになった同僚に向かい神保に勝るとも劣らない完璧な敬礼で彼女達の心からの声援に答えたのだった。


 神内は子供達が正門の外にいる事に気がついた、神内へと一際大きな声援が送られた、こんな声援を受けたことは自分の今までの人生では一度もなかったことに気がついた。こういう形で受けることになるとは思いもよらなかったが。
 天宮と外出して外で顔を合わせるたび、冷やかされ、からかわれ、遊ばれて、飯をおごる羽目になったりと色んな目にあわされてきたが、今こうして大声で応援してくれている。
 子供達の後ろに天宮が来たことに気がついた、子供達はそのことに気づき、天宮のために道を開けた、最前列に進み出ると何も言わず静かに神内に対し敬礼を行なった。
 神内は呼大声でびかけたくなる気持ちを歯を食いしばりなんとか堪えた、その代わりに万感の思いをこめて天宮の敬礼に答礼した、言葉に出さなくとも二人の間でなにかが通じ合ったのを神内と天宮は感じた。
 「よしいいぞ神内、速度増せ!」
 その時神保から命令が発せられた、神内は一気に右手を下ろすと、変速レバーを三速に入れ開いてしまった前車との間隔を詰めるために、アクセルを踏み加速した。
 『神内くん、いってらっしゃい』天宮は敬礼の手を降ろし、走り去っていく90式戦車の姿を見送りながら心の中で神内に伝えた。


    10

 しばらく駐屯地ともお別れか、神保は振り返り正門を一瞥するとその表情を一変させ二人に指示を出した
 「警戒方向を示す、砲手!」
 「砲手」
 神楽坂はすぐに復唱した
 「左側方及び上空警戒!」
 神保が素早く警戒方向を示した。
 「左側方及び上空警戒、了解」
 神楽坂は素早く淡々と答えた。
 「操縦手!」
 神保は実際には不必要なほど大きな声で神内に気合をいれるかのように呼びかけた。
 「はい操縦手!」
 神内は神保に負けじと大声で復唱した。
 「前方及び路上警戒!」
 「前方及び路上警戒、了解!」
 神内の返答を聞いた後、神保は重機関銃を天に向け対空警戒の体勢をとると、空に立ち込める暗雲を吹き飛ばすかのような鋭い目つきで前方を見つめた。
 
 
 神保一曹のように、この日を待ち望んでいたわけでもなく、神内のように守りたいなにかがあるわけでもない。
 名誉の為でもない、私はただ神楽坂の人間に流れる血の掟に従うのみ、ただこの日の為だけに今まで人生はあったのだから。
 軍人として生きる、そのためのみに物心ついた時から育てられたのだから、そしてその生き方に疑問を挟んだ事は一度としてなかった。
 しかし、はたしてそれは正しいことだったのだろうか?神内と天宮の二人を見ると迷いとも言える思いを抱く事がある自分への問いとも言えた。
 だがそれは、これから明らかになるだろう。
 神楽坂は、二五年間の人生の成果と己の存在意義を確認する決意を胸に秘めながら、暗雲立ち込める空を静かに見つめた。


 『必ず帰ってくる』神内はその思いを敬礼に託して天宮に送った、そして天宮の思いも確かに受け取った。
 神内がさらにアクセルを踏み込むと戦車のギアが四速に入り、一瞬戦車が身震いするかのように振動し加速した。
 神内の装甲車帽の後ろから伸びているハチマキに縫われた『非理法権天』の字が風に煽られ大きくたなびいていた。


    つづく


    あとがき


 今回の話は少し長くなりました、ちなみに『非理法権天』の本当の意味は非道は道理に勝てず、道理は法には勝てず、法は権力に勝てず、そして権力といえども天には勝てずというものです。
 次は東京への前進中の話になります、そして上空から、襲いくる魔鳥、火を噴く重機関銃、遂に次で戦闘シーンがでる予定です。
 どうか、お楽しみに。