墨 蹟 常盤山文庫

馮子振墨蹟
国宝 馮子振墨蹟 画巻跋 
       紙本墨書 30.0×118.4 元時代 14世紀


馮子振は元時代の文人で、海粟道人と号した。
生年は南宋の寶祐五年(1257)、承事郎・集賢待制として出仕している。
彼は古林清茂や中峰明本など、当時の禅林を代表する禅僧達とも交流があり、その書は我国において禅僧の墨蹟と同様に扱われて大切にされてきた。
本墨蹟は北宋時代に活躍した画家易元吉が描いた草虫図に賦された跋文である。残念ながら画の部分は失われているが、馮子振の跋文によって画中に描かれたモチーフがいかにすばらしく描かれていたかと想像をめぐらすことができる。
またこれに付随する千利休の消息(手紙)には、「馮子振の書は見事である。よって大幅ではあるが切ってはならない。」とあり、大幅のまま今日まで大切に伝えられたことが伺える。
 

清拙正澄墨蹟
国宝 清拙正澄墨蹟 遺偈 
          紙本墨書 36.6×92.4  
          南北朝時代 暦応二年(1339年)


中国からの渡来僧、清拙正澄が残した最後の墨痕である。
遺偈とは禅僧がその生を了えるにあたり誌されたもので、本作品は暦応二年(1339)正月十七日、京都建仁寺禅居庵において清拙示寂の日に揮毫された。特に花押と日付の十七は書体が乱れ、墨色も二重になっており、最後の力を振り絞って筆をふるった様子が伝わってくるようである。
奇しくもこの日は清拙の尊崇する、『百丈清規』を著した百丈懐海の忌日にもあたる。享年六十六であった。

蘭渓道隆墨蹟
重要文化財 蘭渓道隆墨蹟 看経榜断簡 
     紙本墨書 32.4×94.3 鎌倉時代 13世紀


蘭渓道隆は寛元4(1246)年、中国から渡来し、時の執権北条時頼より建長寺の開山に迎えられた。日本に禅宗が根付く端緒を開いたその功績ははかりしれない。
蘭渓が来日してから起こった蒙古襲来の際、執権は北条時宗であった。文永の役が起こる以前からモンゴルは高麗に日本との交渉にあたらせ、その支配を広げようとしていた。当然時宗はこれらに対し、御家人を九州のその領地へ赴かせるなど対応している。文永の役、弘安の役と対外的にも困難な政局を運営した時宗にとって父時頼の代から親しんだ蘭渓の存在は非常に大きかったであろう。
こうした不安定な情勢の中で蘭渓が時宗のために書したものの断簡前半が本墨蹟である。蒙古襲来という不安の中、建長寺住持蘭渓が時宗のために僧衆とともに読み上げてその治世安寧を祈願するため、事前に諸僧の分担を決めた内容を掲示しておいたものといった見方がある。

無準師範墨蹟
重要文化財 無準師範墨蹟 二大字
     紙本墨書 71.7×36.5 南宋時代 13世紀 




無準師範という南宋時代の禅僧が書いたもの。
無準には、日本からも禅僧がその下に参じたが、その中に京都の東福寺を開いた円爾という人物がおり、この人が日本に帰国して新しく禅寺を建てる際に無準師範から贈られたときのものとして現在に伝わる。

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