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[写真展・時評3:〈私性〉もまた回収されるのか?/日本カメラ1991年3月号:126-127]


 端的に言ってみるなら、80年代の写真表現の言説空間とは、私と写真・私と世界といった二項対立における問いの円環からの離脱への努力において見出されるものだろう。〈私〉という自己意識にかかわる問いは、それを求めるか否かによらず、他方で自己言及的な問いを構造的に立ち上げる。ここでは表現は、内省と自己言及的な形式化の内に閉ざされずをえない。80年代の写真表現とは、これを意識的に退けることによって、見えるものとしての表現を開いていこうとする積極的な努力としてあったのだと、とりあえず考えることができるはずである。
 ところで、ここしばらくの写真状況のなかで際立ってきているのは、かつて〈私性〉というタームで語られたいわゆる70年代の写真家の動向と、今日なされるそれらへの調和的な評価である。むろん彼らは継続的に発表を続けてきたのであり、ここ半年ほどに彼らの写真展・写真集による発表が集中しているからといって、それ自体は何ら不思議なことではない。奇妙に思えるのは、そうした80年代の写真状況における言説空間をくぐった今日において、それらが何の異和もなく受け入れられ語られているように見えることである。これは例えば、19世紀の写真の読み直しなどとは決定的に意味を異にしている。つまり、これはあらゆる意味で現在的な出来事であり、再評価ではありえないのである。ついこのあいだまで私たちが80年代の言説空間において、例えば〈私性〉という言葉を目にしたときに感じたあの異和は、いまやどこかにかき消されつつあるものなのだろうか。
 荒木経惟のここ数年における発表が注目されるべきものであるのは、こうしたことと決して無縁なことではあるまい。つまり、70年代には〈私性〉というタームにおいて語られた、というより〈私性〉というタームを浮上させた重要な一人である彼もまた、70年代から今日に至るまで継続的に発表を行っているが、それがここ数年とくに目覚ましいものに見えるのは、彼の活動と浸透し合ったある種の言説空間の変容の顕在化にほかならないのではないだろうか。昨年の暮れに開かれた写真展『冬へ』を見たときに、改めてこのことを痛感しないわけにはいかなかった。
 このような関心から荒木経惟の写真とその言説的磁場について考えてみることは、70年代の写真表現における言説的実践の場面を今日において読み直すということであり、かつ、それを今日の言説的実践の場面との連続性において捉え直してみることにほかならないだろう。ここでは、70年代における〈私性〉というタームを、写真の独自性を求める運動性と密接に絡み合った〈私についての問い〉という自己言及的な構えの内で捉えつつ、同時に、そうした運動性と切り離しえない社会的・文化的地平における写真表現の価値の変容について考えてみたい。
 70年代における写真の独自性を見出そうとする努力が、それ以前の写真の自立への努力と区別されなければならないのは、それが内的過程において見出される必要があったことにおいてである。つまり、かつて伝達の透明性において見出されていた写真の役割が、そこでは内的な根拠をもって価値づけられなければならなかった。それは、手段的価値としてのみ見出されていた写真の洗い直しを意味する。ここで疑われるのは、伝達の透明性であり写真と言葉の秩序立った意味の配置である。したがって、写真の独自性の獲得は、写真の視覚的伝達の機能とそこでの意味形成の作用を従来的な文脈からずらしつつ、いかにそれを写真独自のものとして内的に価値づけうるかという問いと不可分であったはずである。70年代以降の写真表現の言説空間が、それ以前と質的に異なるのはここにおいてである。言説はたんに外的に写真の意味を規定するものでも写真を価値づけるものでもなく、写真に溶け込み、写真と言語の網の目を織り成す実践的な場面として機能しはじめる。つまり、こうした写真論的地平においては、作品も言葉も言説空間を織り成す批評的実践である。では、70年代には写真の視覚的伝達の機能と意味形成の作用への問いは、実質的にどのような言説空間を形作っていたのだろうか。
 ある写真がどのように意味づけられようとも、私たちは常にそこにそれ以外の意味を汲み取ってしまう。それは、写真がけっして人間化されえないものだからである。逆に言えば、決して人間化されえない写真を何らかの形で了解するためには、その外部に可能性としての意味・物語を必要とする。荒木経惟の作品にとどまらず〈私性〉というタームにおいて語られた70年代の写真から、写真の独自性を見出そうとする努力として共通していると思われるのは、こうした人間化されえない写真の身体(=反身体)を表現行為によって直接的に問うことである。ここでは写真の価値を内的に問うことが、価値を生産する最小限の単位としての私と写真の間で、私が撮る写真とは何か/写真を撮る私とは何かという形でなされる。そうした過程がもたらすのは、写真とは私が撮る写真であり、対象のうえで展開されるのは写真を撮る私であるという構造である。したがって、ここでの写真によって見出される対象=世界とは、アナロジカルに重ね合わされた私の表現行為そのものでもある。具体的に言うならば、写真を撮る対象=世界を〈日常〉に限定する私にとって、撮られた写真は全て私にとっての〈日常〉である、というふうに。ここでは、いっけん何も見る価値(意味)がないように見えるこの世界が、私にとっての意味(価値)であり、それらはむろん序列化されえない(=〈等価〉)ものである。言うまでもなく、世界(現実)とはア・プリオリな客観的実体として現前しているわけではいささかもなく、ある種の還元を経たうえで導かれる対象にほかならない。こうした〈等価性〉のもとで複合的に重ね合わされる写真(反身体)と写真家(身体)の関係にとっての写真表現とは、世界を還元的に対象化する行為であるというよりむしろ、表現行為そのものを表現の過程において還元的に構造としての対象に変容させる過程として見出されるだろう。
 このように考えるとするなら、〈私性〉というタームにおいて語られた70年代の写真とは、強烈な自己意識に裏付けられながら写真の外部に立ち上がる可能性としての意味・物語を、表現行為の過程において身体的に写真の内部に繰り込む試みとしてあったと捉えることができるだろう。自己言及によって立ち上がるメタレベル、すなわち写真と言語の関係の場を、自己意識によって形成しつつたえず同時に解体するこの運動性は、苛酷かつ危険である。この表現行為の反復は、けっして身体化されえない写真を、自らの身体へといわば埋め込んでいくことにほかならないのだから。荒木経惟が、あらゆる行為が写真であり、私が写真であることを、〈私=写真〉として鮮烈に展開しつづけているのは、この意味で何らレトリカルなものではない。
 写真の価値を内的に根拠づけようとする運動性は、その外部に可能性としての意味・物語を立ち上げる。それが「可能性としての」であるのは、じっさいには価値とはすぐれて社会的地平における交換の非対称性に依存するからである。内的な価値の獲得とは、意味・物語が交換される外部の生成と同時にしか生じえない。つまり、価値とは前もって内在するのではなく、交換の結果として事後的にしか与えられないものである。だが〈私=写真〉の表現論は、外部での交換の結果に依存するはずの価値としての写真の独自性をも、強引に表現の過程に繰り込む。この仮構表現論とでも呼ぶべき表現論を、交換における非対称性をも表現行為において内在化しようとする構えと考えるならば、それを〈私性〉というタームにおいて語られた写真に限らず、70年代の写真表現の言説空間において幅広く見出すことができるだろう。なぜなら、写真を撮る具体的な対象を〈日常〉に限定しようとするまいと、人間化されえない写真の身体(=反身体)を表現行為によって直接的に問う者は、不可避的にそうした構えに属することを構造的に余儀なくされるのだから。
 70年代の写真表現の言説空間が私たちに与える異和とは、写真に関わる者が、そうした構えにおいて表現の自己目的化を余儀なくされるという、まさにそのことが、自己言及的過程における表現の十全な自己目的化の不可能性をいわば体現してしまうことにある。繰り返しになるが、80年代の写真表現はこうした逆説的な問いの円環からの離脱への努力としてあったはずである。
 この間にある決定的な異和が、もしいまかき消されつつあるとすれば、それはいったい何を意味するのだろうか。80年代の写真表現の帰結として私たちが見たものは、容易に交換され承認されうる意味・物語を、写真の言説的実践の場として組織することで、社会的システムに写真表現を積極的に調和させることであった。そこでは、写真の意味形成の作用は極度に圧縮され、シンボリックなメタファー、強力な意味・物語として文化的地平で何の驚きもなく交換されている。もし70年代の写真表現がそうした磁場に回収されうるものだとしたら、それは自己目的的な表現の不可能性の苛酷な体現などではいささかもなく、外部の強力な物語を盲目的に信頼することで、自己目的化した表現を合理化する過程にすぎなかったことになるだろう。70年代に語られた〈私性〉とは自己言及的な過程で刻まれた交換不可能な固有性ではなかったのだろうか、あるいは、70年代から80年代にかけて語られた〈愛〉や〈性〉や〈死〉や〈旅〉や〈東京〉といったタームは、凡庸化された物語を円滑に語るためのたんなる装置にすぎなかったのであろうか。こうした問いがいま、今後の写真表現を大きく左右しうる今日的かつ実践的問いとして、私たちの前に横たわっているのではないだろうか。