texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[形式の革新に力を注いだ写真家:「アレクサンドル・ロドチェンコ展」/アサヒグラフ1993年11月12日号:93]


 二十世紀初頭に起こったロシア・アヴァンギャルドの運動の中で、絵画・造型・デザイン・写真など多岐に渡る試みを一時に押し進めた作家として知られているアレクサンドル・ロドチェンコの写真展が、先月、東京・渋谷のパルコギャラリーで開かれた。
 ロドチェンコが写真を使いはじめたのは、一九二〇年前後、コラージュやモンタージュのための素材としてである。やがて、時代によりふさわしい芸術は、伝統的なアトリエ芸術とは別の現代的表現手段から生み出されるという確信を持った彼は、二三年頃を境に本格的に写真を撮りはじめるようになった。
 「すでに受け入れられている自然な見方に慣らされている我々は、視覚的世界を開示しなければならない。我々は、視覚的論法に革命を起こさなければならない。へその位置を除くすべての視点から、それらがすべて受け入れられるまで写真を撮れ。今日もっとも興味深いのは、上から下へ、下から上への視点であり、そこであらわれる対角線である」。
 このようなスローガンをもとに、光と影を強調しつつ特異なアングルから撮られた彼の写真は、抽象的な写真の展開が促されたことがなかった当時のロシアにあって、「ロトチェンコ遠近法」や「ロトチェンコ短縮法」といった流行語が生まれるほどの波紋を投げかけ、賛否両論を呼んだ。
 彼にとって重要だったのは、「なにを撮るか」ではなく「いかに撮るか」だった。表現効果を発揮するためには手法や方法の複合体による形式が必要とされる、と考えるフォルマリスト達の思想と関わりを持ち、自身も形態の構築と構成の体系によって絵画を展開してきたロドチェンコは、写真もまた形式的な体系によって成り立っていることを充分に理解していた。形式の革命だけが革命的出来事であるという考えに基づき、彼はその革新に力を注いだ。
 ロドチェンコが着目した形式の問題は、写真表現はもとより、現代の私たちの様々な表現や生をも逃れ難く規定する条件というべきものになっている。今日例えば、形式とは無関係にプリミティブに対象に向かうことこそが写真の力だとしばしば語られるが、そこではそうした捉え方そのものが形式によって支えられた独特の錯覚であることが忘れられている。このような現在の写真状況において、彼の提起した問題はいっそうその重要性を増しているといえるだろう。形式の問題を忌避したところには、表現も生もありえない。ロドチェンコの写真は、このことを鮮明に照し出しているように思える。