三日目

ぼくは今、とてもまずい状況にいる。

つまり、キュウコンとジラーチの間に冷や汗をかいて突っ立っているのだ。

ぼくはこのキュウコンに面識は無い。

突然道の脇から躍り出て、いつでも飛びかかれるよう身構え、憎しみを持ってぼくらを睨みつけているのだ。

キュウコンは美しい毛並み――けれど真っ白だ――を持っていたけれど、随分と痩せていて、

少し、いやかなり老いているようだった。

けれどプレッシャーは物凄かった。

押しつぶされるような威圧感に、ぼくは金縛りをかけられたわけでもないのに動けなくなっていた。

そこでやっとヂラーチが口を開いた。

「何だ、ギン、お前まだ生きていやがったのか。」

「ぎ、銀?ま、真っ白なのに?」

これはぼくだ。

どうしても声がどもってしまう。

「こいつは壱千年前はキレェな銀色の狐だったのよ。」

せ、1000年前?

そんなに永く生きてるのか?

待てよ、ってことは…

「ヂラーチ、会ったことがあるの?」

ぼくが驚いて声を上げると、そこでやっとキュウコンは小さなヒトカゲに気付いたようだ。

牙も露わにグルルと唸っていた口をつ、と曲げ、初めて口を利いた。

「…君は?」

聞いてきたキュウコンと既知のジラーチ、他にはぼくしかいなかったので、ぼくは嫌だなァと思いつつ答えた。

「ぼ、ぼくはヒトカゲで…見れば分かるけど…い、今、ヂラーチと旅をしてて…」

「旅を?」

彼は目を見開いてぼくを見つめた。

そしてヂラーチに、静かだけれど気持ちが悪くなるほど強力な威嚇の力を込めた声で言った。

「馴れ合いは苦手ではなかったのか?

 ()た旅連れなどに甘んじるとは」

「また?」

ぼくが驚いて振り返ると、ヂラーチは面倒臭ェなァとか言いながら、

「だから、千年前はこいつと旅をしてたんだよ。」

と言った。

ぼくが更に驚いている間に、ギンが続きを次いだ。

「そしてこやつは私を裏切り、見殺しにしたのだ」

――え?

ぼくはまた振り向き、キュウコンの方を見た。

また戦闘体勢に入っている。

少し濁った目には怒りと憎しみ、そして悲しみが浮かんでいた。

ヂラーチの方は構えてもいないし無表情だ。

けれど全く隙など無かったのは、当時のぼくには分からなかったのだが。

そして、ふと目を伏せ、こうのたまった――

「よし、ヒトカゲ。お前が戦え。」



…はい?

「だから、あいつはヤル気満々だが、俺様はさっぱりだ。だからお前が戦え。」

待て待て待て!

なんちゅう勝手な理論だ!

あんた絶対友達少ないだろ!!

ぼくが必死に突っ込んでいると言うのに、ギンは静かに唸って、

「そうか、君が相手をするのか。では、――行くぞ!」

待て――――ッッ



白いキュウコンが迫ってくる。

ヂラーチはいつの間にか随分高いところまで飛び上がっている。

さっきまでぼくの隣にいたのに!

ある程度の距離のところでギンは止まり、足を踏み込み、

――嫌な予感。



高温の炎が空気を焼く。

熱風が唸り、一瞬何も聞こえなくなる。

間一髪のところでよけたけれど、炎に近づきすぎて皮膚がヒリヒリする。

炎ポケモンでよかった、身に炎を帯びて生まれてきた者でもなければ、今のはかなりの致命傷になっていただろう。

ギンは、と見ると、次の一撃を加える様子も無く立っている。

けれど口からは、発光してギンの毛ほどに真っ白な炎が溢れていて、まるで液体のように地面にぼとぼとと落ちていた。

離れて立っているのに、かなり熱い。

こんなのとどう戦えって言うんだよーっヂラーチ!

上空を見上げてももう彼の姿は見えない。

途端に焦るぼくを見て、ギンは目を細めた。

「…可哀相、だな。

 彼は君を助けなどしない」

「――そういえばさっき、『見殺しにされた』って…」

「そう、私は一千年の前、()のジラーチと出合った。

 私は彼の鋼の美しさを好いた。

 好きと言うより尊い物に惹かれる感情だな。

 そして旅連れになってくれるよう願い出、彼は暇つぶしにと承諾した。

 だが彼は私を好きにはならなかった。

 私の銀色を美しいと褒めてくれたけれど、私に『ギン』という名をくれたけれど。

 …彼は私に何の感情も持ってはいなかったのだ」

彼らの間に何があったのかぼくは知らない。

けれど、何だかとても――とても、悲しいことがあったのだ。

すると彼は、「さて、」と言って微笑んだ。

「実は彼は、私に既に『自分は裏切るだろう』と言っていたのだ。

 私が、裏切られるはずがないと思っていただけで。

 だから私は、彼を恨んでいると言うよりは口惜しいのだな。

 憎くて悲しくて、それをどうにも出来ないのが口惜しいのだ。

 だから別に、相手は誰でも構わない。

 小さなヒトカゲでもな」



……はい?

がッという音のすぐ後、ぼくは肩に酷い激痛を感じた。

慌てて身構えるが、ギンはひらりひらりと優雅に動く。

戦い慣れている…!

けれど次の素早い攻撃はなかなか来なかった。

ぼくはやっと気がついた、そうか、どれほど強くとも彼は無理は出来ないのだ。

彼は老いている。

生ぬるい液体が口の中にも入ってくる。

何度も舐めたことのある物だが、野ネズミや野鳥のと違ってやっぱり不味い。





ぴちゃり。



どっ。



ガッ




キュウコンの牙がヒトカゲの首にかかり、それはジラーチの腕に絡め取られ、

ヒトカゲの歯はキュウコンの足を(かす)め、その足にダメージを与えたのは目に見えない力。

ヂラーチが無造作に腕を振ると、ギンは吹き飛ばされた。

それでも彼が体勢を立て直して軽やかに着地するのと、ぼくが倒れ伏すのとは、ほとんど同時だった。

いきなり肩が痛み始める。

ぼくの位置からはヂラーチの顔は見えない。

けれどギンの顔はいやにはっきり見えた。

ぼくの前にヂラーチが立っていると言うのに、彼は真っ直ぐぼくを見ている。

ぼくは薄れゆく意識の中で、彼の静かな声を聞いた。

「…君にはまだ“絶望”という言葉は似合わない。

 君はまだ若い。

 君は君の旅を続けなさい。

 君にとって耐えがたい義務となる前に、それが終わることを願うよ」









熱い。

肩がズクズクする、けれど

それよりずっと熱い、体の芯から――



「ううっ」

あまりに熱いので目を覚ますと、自分の体がびくんびくんと痙攣しているのが見えた。

骨が、筋肉が、急激に成長していくのが分かる。

熱くてたまらないけれど、気分が妙に高揚して、気持ち悪くは無かった。

その不思議な衝動が収まってやっと、自分がどうなったのか分かった。

――進化したのだ。

ぼくはぼくが倒されたその場にいた。

そりゃあね、怪我してるからってあのヂラーチが何かしてくれるとは思ってなかったけどさ。

そう言えば、と見てみると、肩の怪我は随分良くなっていた。

触るとまだ痛いけれど、そっとしておけば大丈夫だ。

ただ、首から腕にまでかけて、大きな口で穿(うが)たれ(えぐ)られた上高熱で皮膚や肉がただれた(あと)が

右肩にどす黒く残っている。

これは一生消えないだろう。

右肩ばかり見ていてふと左を見てみると、無表情でヂラーチが立っていたので腰を抜かしそうになった。

「ヂ、ヂラーチ、いたなら声かけてよ」

「何で。」

何でって、ねえ…。

あ、でも、

「わ、ヂラーチ背低ドゲフ」

「てめェが勝手にでかくなったんだ。

 いいか、俺様はこれでもジラーチん中じゃ背が高い方だ。覚えとけ。」

「…はい」

鋼の腕で殴られると、かなり痛いんですけど。




そんなこんなでぼくらは今、ハン・イギスへの道を歩いている。

ぼくの歩幅が大きくなったので、ヂラーチは更にちょこちょこと歩いている。

そういう仕草だけを見れば確かに可愛らしいのに、全体の雰囲気はなぜか変な意味で(?)威圧的だ。

彼から雑談をしてくるなんてことは絶対にない。

気まずさに耐えられなくなって、ぼくの方から話し掛けた。

「あのさ、ヂラーチ。『ギン』って(スィラヴェル)のことでしょ?

 名前、ヂラーチが付けたんだって?」

「で?」

ヂラーチは素っ気無い。

「その、その時のこと、話して欲しいな、なんて…」

「何で。」

うう、つれない。

「だって他に話すことが無いじゃない。

 君と無言で歩くなんて堪えられないよ…アエラ」

「――いい根性してんじゃねェか。」

ヂラーチが壮絶な笑みを口に浮かべた。

やばい、怒らせた?

そう言えばまだ助けてくれたことにお礼言ってない。

ちょっと慌てたけれど、ヂラーチはあまり気に留めなかった様子で銀色だったキュウコンについて話してくれた。

「だから、千年前、俺様がここに来た時あいつに会ったのよ。

 で、旅について来て欲しいと言われてな、暇だからついてった。

 何の旅だったかは、さあ、忘れちまったな。」

「裏切った、って…」

ぼくがそう聞くと、ヂラーチは急に真面目な顔になった。

ぼくは息を呑んだ。

よく見ると薄く笑っている。

と言うか口の端が上がっている。

あの、何を考えているのか、何を考えることが出来るのかさっぱり分からない例の笑みだ。

彼の口から出てきた言葉は不思議に静かだった。

しかしまた、ぼくはなぜ不思議になんて思ったのだろう?

「いいか、リザード。俺様はいつかお前を裏切るぜ。

 裏切る、って分かるか?

 それはお前が俺様を信頼している時にこそ起こる。

 俺様は優柔不断じゃないしそれなりに熱血漢だ。

 けどな、自分で言うのもなんだが俺様は基本的にいわゆる腹黒だ。

 俺様を信用するな!覚えとけ。」

ぼくは小さく頷くしか出来なかった。

けれどもう一つ、どうしても気になることは、

「名前を付けた、ってのは?」

「そりゃ、あいつが銀色だったからだ。」

「ふうん…ね、ねえ、もしも、もしもだよ?

 もしも僕にも名前をつけるとしたらさ、どんなのになるかな?」

「てめェに?」

ヂラーチがちらりとこちらを見る。

何でぼくは緊張してるんだ?

「そうだな、お前は平々凡々のヒトカゲだったし、平々凡々のリザードだしな。

 目立つところっつったらその肩の傷くらいで――『キズ』とかどうだ。」

「…かなり嫌」

ヂラーチはにやにやしている。

くそう、からかわれてるな。

「創。」

「は?」

「ソウ。」

「そう?」

「傷って意味だ。」

それが、彼がぼくにくれた名前だと気付くのに数秒かかった。

気付いてからは――なんだろう、なぜか無性に嬉しい。

「あ、あの、ありがとう。

 じゃ、今から僕の名前はソウ、ソウだ」

「へえ、あんたの名前ソウって言うの」

え?

驚いて振り向くと――鏡?

「じゃ、ソウ。あたしの兄さん見なかった?」

違う、リザード、ぼくにそっくりなリザードだ。

それも女の子らしい。

「お兄さん?えっと、見てない、と思う。

 君こそ僕の母さん見なかった?」

「知らないわよ。

 ちえ、何だか妙にあたしに似てるから、何か知ってるかもって思ったのに」

女の子はそうしてブツブツ言っている。

見れば見るほどぼくにそっくりだ。

彼女はぼくより少し年上らしく、全体的にぼくより大きく体つきもがっしりしているけれど、

目や口や肩の感じなんか、ぼくに――いや、ぼくより母さんに似ているみたいだ。

彼女がリザードンだったら間違えていただろう。

「何じろじろ見てんのよ」

「いや、よく似てるなと思って…ねえ君、君はお兄さんを探しているの?」

「そうよ?」

「だったらさ、ハン・イギスって行ったことある?」

「ハン・イギスってカン=アイゲスのこと?

 そう言えば行ってないわね。

 そうか、あそこならあるいは…」

「ねえねえ、今、僕らはイギスに向かってるんだ。

 良かったら一緒に行かない?」

「ええ、いいわ。道連れがいるのは心強いしね。

 でもところで僕らって、誰?」

え?

見回してみて、いつの間にかヂラーチがいないことに気がついた。

まったく、一所(ひとところ)にじっとしてられないのか!

腹を立てながらもおたおたしていると、真上から彼が降りてくるのが見えた。

ジラーチを見て、リザードが目を丸くする。

何だか気分がいい――訳でもない。

ヂラーチは不機嫌そうな顔をしている。

「あの、ヂラーチ、何してたの?

 えっと、彼女もハン・イギスに行くって、その…一緒していいよね?」

ヂラーチがこんな顔をしていると、どうしても及び腰になってしまう。

彼女にいいところを見せたい訳ではないが、何か情けない。

何があったのかは知らないが、彼の不機嫌の元はぼくらでは無かったようだ。

彼は肩をすくめ、どうでも良さそうに言った。

「あァ、そう。けど今日中は無理そうだぜ。

 そこの山を抜ける洞穴が崩れてやがる。

 通れねェ訳じゃなさそうだがな。」

「そっか。じゃ、行けるとこまで行ってみる?」

彼女に話し掛けた。

すると彼女はやっと、あんぐり開けていた口を閉じて、もう一度開いて、「ええ」とか何とか曖昧に答えた。




実際、洞窟はリザードがやっと通れるほどの隙間を残して崩れていた。

別に故意に壊された様子は無く、長い年月をかけてだんだんと朽ちていったようだ。

ヂラーチにも確認し、急に崩れてくることが無いのを確かめると、ぼくらは中へ入ってみた。

トンネルはかなり長いわけではなさそうだが、通りにくさからして充分一晩かかるだろう。

中で一夜を明かすことになるからと、夜食を探すことにした。

ところが食べられそうな果物や小動物が見つからない。

諦めて帰ってくると、リザードの彼女は野ウサギを3匹も仕留めていた。

岩肌に住む野ウサギはすばしこい上に隠れるのが上手い。

ヂラーチは全くやる気が無いし、もしかすると心強い道連れを得たのはぼくらの方かもしれない。

素直に褒めると、彼女は照れたように笑った。

やはり、どこか母さんに似ている。

洞窟の中では、少し開けた所で数匹のズバットに出会った以外は特に何も無かった。

そして、お世辞にも心地良いとは言えない岩の窪みで眠った。


見上げて帰る