六日目

昨日遅くまで起きていたせいか、他の事が原因か(おそらくこちらだろう)

ぼくが起きたのは太陽が真上に来てからだった。

食欲は無かったけれど、お腹に何も入れていないのでふらふらした。

頭をめぐらせてヂラーチを探すと、彼はちょっとした丘の上で腕を広げて立っていた。

覚束(おぼつか)ない足取りで近づき、

「何してるのさ、ヂラーチ?」

と声をかけた。

「何ね、迎えを待ってんのサ。」

「迎え?」

「俺様はこの星に大体千年に一回くらい来てる。

 ってのは、自分で飛ぶのはメンドいから軌道の波みたいなのに乗ってあちこち行ってんだよ。

 ま、定期バスみたいなもんだな。」

「…ばす?」

「分かんねェならいい。

 だが、ま、まだみたいだな。」

ぼくはふらとして座り込んだ。

このまま餓死してしまうんだろうか。

このまま餓死してしまうんだろう。

ヂラーチにはぼくを助ける気など無いだろうし。

何か、何か



水の音が聞こえた。




 ド バ



「…!?」



ガバガバと言う間抜けな音が聞こえる。

ぼくが息を吸おうとしている音だ。



ぼくは丘の上にいたはずなのに、なのにぼくは今河の流れの中にいた。

リザードは水自体が苦手だ。

だがその河の水は、命の炎を消してしまう水ではなかった。

それは水というよりただの流れだった。

それに溺れることは無く、それはぼくを、取り込もうとしていた。

体のあちこちが――頭の中までも――じーんと痺れている。

だがそれは、例えば電撃を浴びた時のような不快な痺れではなかった。

まるで心地良くて、春の暖かなまどろみのようで、包まれるようで、



ぼくはゆっくりと目を閉じて、




 ザ バ




急激な覚醒にガクンとした。

河はまだ流れ続けているが、ぼくの周囲には無い。

どうやら何かが流れを(さえぎ)っているようだ。

それが何かはよく見えない。

それはまばゆいばかりに輝いていた。

だが当然と言えば当然、それはヂラーチだった。

彼の体は随分と小さいはずなのに、河は彼を押し倒すことも彼の背後に回り込むことも出来ずにいた。

そしてぼくは、彼の輝く背中を見ながら草が(まば)らに生えた土の上にうずくまっていた。

濡れそぼっていると思ったのに、ぼくはからからに乾いていた。

そして河は、現れたと同じように突然消えた。

流れはその形跡を全く残してはいなかった。

ヂラーチさえ、跳ねた飛沫(しぶき)を留めてはいなかった、が、彼はずっと立ったままでいた。

河が来る前から身じろぎ一つしていない。

ただ、今は白鋼の色をしているその肌が、河の流れに逆らうように光っていた、こと、を、除、――





パチパチという音に、僕はうっすらと目をあけた。

僕は、気絶したその場所にいた。

やっぱりヂラーチは僕を運んでなどくれなかったけれど、魚を一尾(僕の尻尾で)焼いていた。

片手だけ濡れているのは気にしないことにしよう、うん。



ふとヂラーチが僕を見て、

「起きたな、ソウ。」

と言った。

「普通そういう時は起きたのか、って尋ねるもんだよ…」

「だって起きてるじゃねえか。」

「そうだけどね…でも、声かけてくれたね」

自分でも分かるほど弱々しかったが、とにかく僕は笑いかけた。

彼は照れたように小さく舌打ちして、魚を放ってよこした。

「とっとと食え。」

僕は素直に感謝して魚を食べた。



さっきは自分が、いなくなってもかまわないなどと思ったけれど、

今こうして胃袋に物を入れていると、どうにも生きていたいと言う気持ちになってくる。

僕は生を噛み締めて、時間をかけて魚を食べた。

その間ヂラーチはずっと静かにしていた。

一所にちゃんといた。





「ヂラーチ、あの流れは一体何なの?」

「ありゃあ<世界運行>、スキームだ。」

「世界…?」

「母とか言われることもある。

 いわゆる物理法則とか、理屈とか、真理とか、そういうなんだかよく分からない物だな。

 概念とでも言った方が分かりやすいか。」

「…分かりません」

ヂラーチの周りの雰囲気がイライラしてくるのが分かった。

「宇宙をかっちり(まわ)してる力だ、分かったろ!」

彼は吐き捨てるように言った。

何とか取り繕わなくては。

「で、でもさ、丘の上にあんな河が流れるなんておかしくない?

 宇宙がかっちり廻ってるとは言えないんじゃないかな」

するとヂラーチは大きく目を見開いた。

そこまで驚いたわけではないだろうが、何しろ彼のリアクションは大仰だ。

「よく出来ました、ってとこか。

 彼女は――ってのは<世界運行(スキーム)>は母親だからな――

 そういう狂いの調整も得意だし好きだ。

 ほんの数十世紀の間に何回も例外を起こしてる。

 暇なんだろってのが、この俺様の自説だ。」

「あのさあ、それで、アレ、僕を殺そうとしてなかった?

 君じゃなくて僕を狙ってた気がするんだけど」

「いや、あれに呑まれたところで死にはしない。

 いなくなるだけだ。」

「いなくなる?」

「ああ、綺麗さっぱりな。

 彼女がその気になりゃ、お前が存在したことさえいなくなる。

 お前の家族、会った奴、恋人からだってお前の記憶は消え去る。

 それどころかお前が食ったもんや蹴った石さえ元に戻る。

 そういう調節は得意だし好きだからな。

 ま、お前程度じゃそこまでやらねェだろうが…お前を狙ってたってのは正しいな。」

「な、何で!?

 そんなのに狙われるようなこと、した?」

「したよ。」

ヂラーチはふと真剣な顔をして身を乗り出した。

「したよ。お前は俺様と慣れ合って旅までした。

 それは彼女に嫌われるに充分だ。

 俺様達は三種族とも彼女に嫌われてるからな。

 不死の者や不滅者だって他にも結構いるけど、<世界運行>の輪廻から外れてんのは俺様達だけだ。

 だからことあるごとに彼女は俺たちにちょっかい出してくるし、俺様達もよく嫌がらせをしたりする。

 …河も割ったろ。」

僕はジラーチの光を思い出した。

あの光を受けても水飛沫は輝きもしなかった。

「そうか、助けてくれたんだよね。ありがとう」

ヂラーチは目を細めた。

「別に助けた訳じゃねェ。

 言ったろ、彼女に反抗しただけだ。

 いつもそうするとは限らねェし、お前が助かるとも限らねェ。

 大体、アレに流されていかなかったのが助かったとも言えないしな。

 …それに、」

ヂラーチは空を見上げた。

既に大きな燃える球は山の向こうに隠れ、薄青い月が薄青い空にぽっかりと浮かんでいた。

「それに…?」

薄青い――栄養失調のため、病んだ――顔をしたリザードが続けた。

リザードも薄青い空の向こうを見上げていた。

「それに、帰る時が近い。」


小さく小さく大きく舞われ