26/07/29
遠方の大きな地震で揺れることがあるやぴぴの兄の自宅だけど、昨日の熊本地震は揺れなった
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テレ朝でドラマ「真田十勇士」をやる、忍者なら外国人が見るだろうという、企画側の安易な考えが透けて見える
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今年は9月19日から23日まで5連休
その間何があるのかというと、超かぐや姫!の復活上映とアジア競技大会
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イランが湾岸諸国のデータセンターなどを攻撃。これが産油国の脱石油戦略に大きなダメージを与えつつある。AIを中心とするデジタルインフラへの投資はサウジアラビアやUAEなど湾岸産油国にとって脱石油経済を進める柱だ。AIは産業育成や経済成長の中核。
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重要
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ネトウヨのへライザー総統が高市早苗を攻撃、これが第二次安倍政権のときは、チャンネル桜「安倍以外に誰がいるんだ!」と安倍をウルトラ擁護
その後チャンネル桜が安倍から官房機密費をもらっていたことが発覚
「つまりへライザー総統は高市早苗から官房機密費をもらっていないことがわかる」
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書評■ダニエル・イマヴァール「帝国の隠し方」
アメリカは建国以来、先住民を迫害し、黒人を奴隷とし、多くの戦争で人々を殺害し続けてきた。ただこのような罪はしばしば語られる一方で、アメリカが多くの植民地をもつ「帝国」であることへの注意はあまり向けられてこなかった。本書はアメリカがいかに多くの植民地を手に入れ、いかに支配していたか、そして本土の人々がそのことについていかに無知であったかを克明に描いている。
帝国としてのアメリカを語るうえで一番わかりやすい例はフィリピンである。いわゆる「米西戦争」でスペインを破って以来、アメリカは東南アジアのこの地を40年にわたって支配してきた。この戦争はスペインの支配からの独立を目指すキューバやフィリピン、プエルトリコの人々も闘っていたのだが、今日では「遅れて参戦し」「とどめの一撃を加えた」アメリカがその手柄を横取りしたために「スペイン・キューバ・プエルトリコ・フィリピン・アメリカ戦争」とは呼ばれていない。
スペインに代わってやってきたアメリカの支配に抵抗するためにフィリピン人はあらためて武器をとったが、潤沢な物量をもって攻め込む米軍には太刀打ちできなかった。1902年7月4日(独立記念日)に、当時の大統領セオドア・ルーズべルトは米比戦争の終結を宣言する。しかしその後もムスリムを主とするモロ族は南方の島々で抵抗を続けた。米軍は場合によっては島の住人ほぼ全員を虐殺するなどしてこれを鎮圧した。結局アメリカとフィリピンの戦争は1913年まで続いた。「アメリカ合衆国にとって、実にアフガニスタンでの戦争に次いで二番目に長く続いた戦争であった」。
このようにして手に入れられた植民地だったが、他の領土よりも人口の多いフィリピン人の法的地位は曖昧にされた。フィリピンは領土であったため、人々にもアメリカ国籍が与えられた。しかし「非編入領土」としたため、フィリピン人には市民権が与えられなかった。つまりフィリピンはアメリカの領土ではあるが編入はされていない。そしてフィリピン人はアメリカ国籍をもつが市民権を持たない。このようにしてアメリカはフィリピン人の政治的権利を剥奪しつつ、一方で同地を統治し続けていた。
アメリカによるフィリピンの軽視が最も露骨な形で現れたのは1941年12月8日以降だった。この日大日本帝国は真珠湾に奇襲を仕掛けた。この出来事は今日も日米両国民に強く記憶されている。しかし同日日本がフィリピンに空爆を仕掛け、現地を壊滅的な状況に追いやったことはほとんど記憶されていない。
奇襲を受けて、当時の大統領フランクリン・ルーズべルトは演説を行った。彼の原稿の草稿には日本が「ハワイとフィリピンに爆撃」を加えたと書かれた。だが実際の演説ではフィリピンへ爆撃についての言及は削除された。当時合衆国の国民の中に「遥かかなたの海外領土の軍事防衛を支持する者はほとんどいなかった」。つまりアメリカの市民権を持つ人々を相手にフィリピンの名前を出したとしても、市民権をもたない者たちの命を気にかける必要なんてあるのかという反応が予想されたため、ルーズべルトはこの東南アジアの地の名を挙げなかった可能性があるのだ。
その後米軍はフィリピンに強い思い入れを抱くダグラス・マッカーサーに率いられ、同地の奪還に動く。とはいえそこでの戦闘方法は明らかに現地の人々を蔑ろにするものだった。マニラでは市街戦が行われたが、米軍は建物にたてこもる日本兵にむけて容赦なく砲弾を撃ち込んだ。建物の中にはフィリピン人もいる、と知っていたにもかかわらずだ。結果この市街戦で10万人以上のフィリピン人が殺された(またこれと並行して日本軍も現地の人々を強姦したり、虐殺したりするなど暴虐の限りを尽くしていた)。
こうした砲撃を指揮していたロバート・S・ベイトラーは後にこう述べたという。「私には建物を守るために一人でもアメリカ人の命を失うなど考えられなかった」。先ほども述べたようにフィリピン人にはアメリカ国籍が与えられていた。しかしベイトラーをはじめとした人々は、フィリピン人をアメリカ人と見なしていなかったのだ。
マニラが「解放」されて間もない頃、あるフィリピン人少年がアメリカ兵に英語で話しかけたエピソードが本書では紹介されている。兵士は驚いて「どうやってアメリカ英語を学んだの?」と尋ねた。アメリカはフィリピンを植民地化している間、子供たちに英語の授業を受けさせていた。それを説明しても兵士は腑に落ちないようだった。ようするに「アメリカがここフィリピンを植民地としてきたことさえ彼は知らなかった!」。
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