26/08/03
15年ぶりの日米協調介入
背景はいろいろあるだろうけど「戦争をやっているのに、むやみやたらに為替介入のための米国債売却をやってもらっては困る」はあるかも
・
・
・
サッカー王国ブラジルで進むサッカー離れ、36%が「関心なし」
↑
これは「ヨーロッパの若者の4割がサッカーを見ない」と同じ
・
・
・
めいろま「自民党はひろゆき党の脅威を真剣に考えるべき。ひろゆき党は日本版の左翼系なリフォームやAFD、SD、イタリアの同胞になる可能性が高い。」
・
・
・
「泉房穂は東京都知事を狙っている」と鮫島浩
・
・
・
産業界の過去最高益は円安のおかげ、マンガ、アニメの過去最高益は純粋に市場の拡大
円安が続いている間は産業界とマンガ、アニメの差は感じない
ただ政治家やメディアの間でも「円安を問題視」する意見が増えているので
「今の状態が未来永劫続くとは思えない」
・
・
・
投資家はやぴぴの兄のような弱小トレーダーでも、実金を投じてリスクをとっている
ところがリスクもとらない金融庁が頭ごなしにパスキーを強要
「なぜ投資家より金融庁の方が偉そうなのか」
パスキーの問題は時間が経過すれば沈静化するだろうけど、禍根は今後も残り続ける
・
・
・
「徳川幕府の成立」と「強国スペインの衰退」との深い関係
徳川幕府の成立とスペインの衰退には、キリスト教禁教と「鎖国」による貿易遮断、そして銀の世界的な流通変化を通じて深い因果関係があります。16世紀から17世紀初頭、世界最強の帝国(太陽の沈まない国)であったスペインと、日本を統一した徳川幕府は密接に絡み合っていました。その関係性は以下の3つの構造から読み解くことができます。
①「キリスト教」への警戒とスペイン排除
徳川家康や秀忠、家光はスペイン(及びポルトガル)のキリスト教布教を「領土侵略の手段」として激しく警戒しました。
■家康の転換
当初は貿易利益を求めましたが、スペインがインカ帝国などを植民地化した手法(宣教師を送り、信者を増やして内乱を起こさせ、軍隊を送る)を察知します。
■禁教令と鎖国
1612年の直轄地禁教令を皮切りに、1624年にはスペイン船の来航を全面的に禁止しました。
■幕府権力の確立
スペインという巨大な外部脅威を排除し、西国大名がキリスト教や南蛮貿易を通じて豊臣方や海外勢力と結びつくのを防ぐことで、徳川幕府の国内支配体制は完全に揺るぎないものとなりました。
②「日本銀」の供給停止によるスペイン経済への打撃
当時日本(特に石見銀山など)は世界シェアの約3分の1を占める銀の超大国でした。
■中継貿易の遮断
スペインはマニラ(フィリピン)を拠点に、日本の銀を獲得して中国(明)の絹や陶磁器と取引する「マニラ・ガレオン貿易」を行っていました。
■戦費調達の足かせ
徳川幕府がスペインを追放したことで、スペインはアジアにおける重要な財源ルートを失いました。ヨーロッパで「三十年戦争」などの巨額な戦費に苦しんでいたスペイン宮廷にとって、このアジア貿易の縮小は財政破綻(デフォルト)を繰り返す一因となりました。
③オランダの台頭と「覇権の交代」
徳川幕府がスペインやポルトガル(カトリックの国)を排除する一方で、プロテスタントの国であるオランダを優遇したことが世界史の覇権を動かしました。
■オランダへの独占権
幕府は宗教布教をしないと誓ったオランダに長崎出島での貿易独占権(ヨーロッパ国の中で)を与えました。
■オランダの黄金時代
日本貿易で莫大な利益(銀や銅)を得たオランダ東インド会社は急成長を遂げます。これによりオランダは独立戦争(八十年戦争)で旧主君であるスペインを圧倒し、17世紀の世界の海商覇権をスペインから奪い取ることに成功しました。
※まとめ
徳川幕府は自らの政権安定(成立の総仕上げ)のためにスペインを排除し、これが結果としてスペインの財政悪化と国際的覇権の喪失(衰退)を加速させました。日本の一国史に見える「鎖国」は、実は世界最強国スペインを引きずり下ろす世界史的なターニングポイントだったのです。
【お知らせ】
やぴぴの兄のパソコンのOSはWindows10です。したがって2025年10月14日以降に突然ホームページの更新が止まれば、パソコンが故障した、ウイルスに感染したと思ってください。復旧には2~3週間かかると見込んでいます。
