26/04/11
■坂本龍馬はイギリス武器商人の代理店業者!「アヘン戦争からの明治維新 最凶国イギリスの暗躍」(荻野進介)
時代の波に乗り遅れた頑迷固陋な幕府に対し、薩長はじめ、英邁な反幕府勢力が一部公家の力も借りて成し遂げた、さして血も汚さぬ奇跡的革命。明治維新の一般認識といえばこんなところだろうか。それに対しまったく異なる明治維新像を提出するのが、鈴木荘一「アヘン戦争からの明治維新 最凶国イギリスの暗躍」である。
同書によれば幕府の俊英たちはきちんと時代のゆくえを読んでおり、その見識あっての開国(日米和親条約締結)であったが、西郷隆盛に代表される戦乱大好きのずる賢い薩長は当初は攘夷を唱え、それが不可能とわかると、三条実美ら急進派公家を抱き込み、討幕運動にしゃかりきになる。
明治維新は彼らが引き起こし、アヘン戦争勝利でアジア侵略の途についたイギリスが後ろから支援して成った内政干渉革命であり、それが成った後も、薩長勢力は配下の兵士たちに提供する賞典禄の財源確保のため、イギリス提供の武器を使いながら会津討滅を中核においた意味なき内戦、奥羽戊辰戦争を戦ってみせたのだと。
本書はその時代認識を通奏低音とし、1840年にはじまったアヘン戦争から1867年の明治維新を経て、1945年の敗戦まで227ページをかけて編年体で綴っていき説得力がある。興味深い内容はいくつもあるが、そのひとつが坂本龍馬のこと。成ろうはずがなかった薩長同盟を仲介して成立させ、志半ばで暗殺された商人兼革命家の偉人、という見方が強いが、それを鈴木は一掃する。
鈴木は戊辰戦争という内戦を引き起こした張本人のひとりとして、イギリスの武器商人グラバーを名指しする。グラバーといえば、今の三菱と密接な関係がある歴史的人物だ。長崎湾を見下ろす丘の上に彼が住んだグラバー邸が今もあって、僕も訪れたことがある。だがただでさえ目立つ白人の彼が各地を巡り武器売買の商談をしたり、藩同士の仲を取り持つことはできない。その代理役(日本人の気の利いた代理店業者!)が坂本龍馬だったというのだ。
龍馬は長州藩の攘夷行動に共鳴し幕府を憎んだ。龍馬は姉乙女への手紙に「姦吏(幕府役人のこと)と一戦して打ち殺し、日本を今一度洗濯いたし候べく」と書いている。龍馬の洗濯とは、密輸入した高性能小銃で会津将兵や幕府将兵を撃ち殺すことだった。亀山社中の商売はイギリス武器商人の手先となって薩摩長州両藩に高性能小銃を売り込む密貿易で高利潤を貪るものだったのである。武器商人グラバーにとって、幕府を憎み幕府役人を撃ち殺したいという戦闘意欲十分の龍馬は、幕末の日本に戊辰戦争という内戦を惹起させて密輸利益を稼ぐには絶好の代理店業者だったであろう。
そのグラバーが長州藩の井上馨と伊藤博文に対し、1865年7月「100万ドルくらいの金銭はいつでも用立てるから心配に及ばない」と語っている。100万ドルとは最新鋭の軍艦二隻を買えるほどの大金。幕府はその同じ7月、下関戦争でイギリスに負けた長州藩の不始末を引き受け、50万ドルの賠償金をイギリスに支払っていた。これを受けて鈴木は「イギリスは幕府から召し上げた50万ドルをグラバーを通じて長州藩に信用供与したのではないか」と邪推する。
さらに幕府が武器購入のために支払った手付金6万ドルを、グラバーの会社であるグラバー商会は薩摩藩に融資してしまったばかりか、幕府が注文した大砲が長崎に到着したものの、それを倉庫に保管し、口実を設けて幕府に引き渡さなかった。結局こうである。イギリスは薩長両藩を通じて日本を間接支配する目的で、薩長両藩に下駄を履かせ大量のハンディキャップをあたえて幕府を滅ぼした。これが明治維新の正体なのだ。
武器や金の供与だけではない。イギリス公使館には通訳として日本語堪能なアーネスト・サトウがいた。彼は通訳だけではなく、独自の情報も入手しており、イギリス公使パークスの重要な片腕でもあった。そのサトウが英字新聞「ジャパンタイムズ」に英国策論なる論文を発表している。それは現行の幕府政権を否認し、天皇を元首とする諸大名の連合体がふさわしいという連合政権樹立論であり、薩長の主張とどんぴしゃり。
そうした意味でアーネスト・サトウは「反幕府勢力である長州藩薩摩藩の代弁者として、反幕府の立場で内政干渉を行った」と言わねばならない。グラバー、パークス、アーネスト・サトウは一致団結して「駐日イギリス公使館は長州薩摩など西南雄藩を支援して倒幕に踏み切った」ことを内外に宣明し、旗幟を鮮明にした紛争当事者そのものになったのである。複雑極まる幕末維新の駆け引きの裏で暗躍していただろうイギリスの存在を明らかにすると物事がクリアにある。同書で書かれていることが真実なら、まさに最凶国の仕業といわなければならない。
以下、「アヘン戦争からの明治維新 最凶国イギリスの暗躍」(鈴木荘一)のアマゾンのレビュー
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■幕府の外交は聡明だった
お隣の清国がアヘン戦争に敗れてイギリスの侵略に屈したことは、日本にとっても脅威だった。幕府は長崎のオランダ商館からの「オランダ風説書」により、アヘン戦争が始まる一年前から、アヘン戦争が終わって、イギリスが香港島を領有するまでの顛末をすべて知っていた。
そこで首席老中水野忠邦が砲術家高島秋帆に西洋砲術の演習をさせる一方、従来からの「異国船打払令」を廃止して、「薪水給与令」を出すなど、硬軟織り交ぜた対策を講じた。
幕府はペリー来航についてもオランダ風説書により事前に知っていたから、首席老中阿部正弘はあわてることなく「薪水給与令」の延長として日米和親条約を締結した。こののち清国はアヘン戦争の講和条約を履行しなかったので、イギリスはアロー戦争という第二のアヘン戦争を仕掛けて、清国を再び屈服させた。
こうした最凶国イギリスから独立した頃のアメリカは、タバコくらいしか産業がなく財政基盤もなかったので、初代財務長官アレキサンダー・ハミルトンが40%の高率関税を課して国内産業を保護するとともに、膨大な関税収入を国家財政の基礎に据えた。このように最凶国イギリスの圧迫に苦労したアメリカは日本と二三位連合を組むため、総領事ハリスを日本へ送った。
当時世界の関税はイギリス、フランスなど先進国は20%の関税率で、インド、清国は後進国待遇の5%以下だった。すなわちイギリス、フランスなど先進国グループは20%の高率関税で自国を守りながら、後進国待遇の関税率5%以下のインドや清国などを収奪していた。
こうしたなかアメリカ総領事ハリスは日本に先進国待遇の関税率20%を認め、日米通商条約が調印された。これは幕府外交の成果である。しかるに京都朝廷は日米通商条約に反発して井伊大老を糾弾し井伊大老は暗殺され、尊皇攘夷運動が盛んになった。そして長州藩の攘夷派が下関海峡を航行中の外国船を砲撃すると、その報復としてイギリス、フランス、オランダ、アメリカの四国艦隊から砲撃を受ける下関戦争となり、長州藩の完敗で終わる。
これにより日本の関税率も先進国待遇の20%から後進国待遇の5%へ下げさせられてしまった。そして国内産業が打撃を受けるとともに、幕府は莫大な関税収入を失ってしまった。こののち関税自主権の回復は、日露戦争の勝利のときまで40年もかかる。本書によって、一滴の血も流さずに先進国待遇の関税率20%を勝ち取った幕府外交の聡明さに気付かされた。
それと共にトランプ大統領が関税に強い愛着をもっているのは、トランプ大統領が建国当時のアメリカの原点に立ち返ろうとしているのだろうかと思った。もしそうだとするとトランプ大統領が目指しているものは「予測不能」というより、建国当時のアメリカの原点に戻るという極めて分かりやすい「予測可能」であると思った。
■松陰の狂気に感化された山県有朋は「天皇軍国主義」を推進
ボンヤリと歴史の定説と思っていたこと二つを根底から見直しました。
①鎖国をしていた徳川幕府はオランダを通じて外国事情を収集し、適切に対応し備えていた。それにより幕末の顕学たちは儒学から離れて蘭学など新しい学問を積極的に吸収していた。
②吉田松陰は長州藩内では藩主の毛利敬親に認められたほどの大秀才だったが、江戸に出て新しい学問に触れても蘭学や数学を基礎とする兵学などには全くついていけず、脱落して彷徨した。結局は長州に戻って儒学古学などの精神論を青年たちに吹き込んだ。
この結果松下村塾で松陰の狂気に感化された山県有朋は、明治政府で元老陸軍元帥となり天皇制軍国主義をつくり、さらに「軍人勅諭」につながった。
以下は抜粋
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「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ。上官の命令を承ること、朕が命令を承ることと心得よ。(戦いに於いては)義は山嶽より重く、死は鴻毛より軽しと覚悟せよ」
怖い「宗教」ですね。
■明治維新の始まりはペリー来航からではない!
この本を読むまでは明治維新はペリー来航から始まると思っていた。しかし本当は1840年のアヘン戦争から28年かけて1868年の明治維新になったことが分かった。
アヘンの流入に苦しんだ清国がアヘン貿易を阻止しようとし、アヘン貿易で厖大な利益を上げる最凶国イギリスと戦って敗れたことは、長崎オランダ商館長から幕府へのオランダ風説書によって逐一伝えられ、幕府にとっても衝撃的な出来事だった。
そこで首席老中水野忠邦は砲術家高島秋帆に江戸郊外の徳丸ケ原で西洋砲術の訓練をさせた。徳丸ケ原は高島秋帆を記念して東京都板橋区の高島平になった。また水戸藩の徳川斉昭は寺院の梵鐘を鋳つぶして大砲75門をつくった。首席老中水野忠邦は西欧列強の侵略を防ぐため江戸湾や大阪湾に海防施設をつくるため大名旗本から領地を召し上げる「上知令」を発したが、大名旗本の反発を浴びて失脚してしまった。
このため江戸湾の海防施設は明治維新により成立した明治政府が老中松平長門守、老中越中守など大名や旗本の屋敷を接収して海軍操練所(のちの海軍兵学校)、海軍病院などをつくり、こののち聖路加病院、国立がんセンターなどが建てられた。
新興国アメリカも最強にして最凶のイギリスに圧迫されていたから、日本との二三位連合を目指して、日米通商条約で日本に先進国扱いの関税率20%を認めた。しかしこれを不快とした最凶国イギリスは長州藩の攘夷活動を咎めて下関戦争を仕掛けて撃破し、日本に後進国扱いの関税率5%を強要した。これが不平等条約であり日本を苦しめた。さらに最凶国イギリスは幕府の全方位外交を嫌い、薩摩長州を通じて日本を間接支配するため幕府を完膚なきまで追い詰めて戊辰戦争を起こし幕府を倒した。
そもそも日本教とは弘法大師が作った神仏習合であったのに、明治政府は廃仏毀釈、神道への一元化を通じて日本教を廃し、日本人を官軍と賊軍に分別し、会津討伐に見られるように権力が賊軍と認定した者を完膚なきまでに殲滅した。日本の近代というものについて深く考えさせられた。
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