ばりあふりーってが?
駅のトイレでのお話
トイレから出て、手を洗ってたんですよ。
そしたら、「須藤さん!須藤さん!!!」
って、何度も呼ぶ声。
私ゃ須藤さんではないけれど、何気に声のする方に目をやると、
目の不自由な方が手探りで壁に向かって叫んでる。
周りには5,6人、女性がいました。
「オイオイ、そっちっは壁だぞ。」と、思った私は、おもむろにその
盲の方のほうへ行って、つんつんと手を触れたのでした。
そういえば、盲人の団体旅行の集団みたいな方々がさっきいたなぁ。。。
「何?誰?須藤さんって人、探してんの???」
と言うと、「あ、すみません。」とのこと。
とりあえず、ぜんぜん見当違いの方向へ向かっていたので、
「手、洗う?」
って言って水道の方へ誘導したのでした。
「須藤さんって人、いない、みたいですけど、どんな方?」
って聞くと、白い杖を持った男性だとのこと。
ここは女子トイレ、、、、
男性がいたらちょっとまずいです。
トイレを出て、隅で待っててもらって男子トイレで聞いていみても須藤さんって方は
いらっしゃらないよう。
先ほどトイレで、知らんふりしていたように見えた中年の女性も
気になるようで「いないの?」と来てくれた。
あぁ。
無視しているように見えがちな5,6人の女性の中にも
盲の方とどう接して良いかわからない方が結構いたんだろうな。
と、思った。
結局、須藤さんは、男子トイレでうんこ(?!)をしていたのか、
ずっこけた頃に出てきた。
いたなら返事してよぉー。
二人で、団体行動から離れて、トイレに来たそう。
これから郡山へ行くとかで、ホームのみんなの所へ合流するとのこと。
ここのトイレは、ちょっと奥まったところにあるので、ここまで来れたって
ことは帰れるんだろうと私も思ったので、
「じゃあねぇ〜ん。気をつけて!」
と、別れると、集団がいた方とはまったく逆の方向へ行こうとしたふたり。
逆だよ。
と言うと、テレ笑いして、また違う方向へ向かった。
そっちも違うよ〜ん。。。。
結局、途中までお供することに。
福島の駅は詳しいと自信満々だった須藤さんとやら。。。。
後でふと思った。
そっか、ここ何年かでこの駅ってすごく変わったもんなぁ。
その須藤さんが詳しかったころの福島駅とは違うんだろうな。。。って。
「ここ何年かで変わっちゃったんですよ。」って言ってあげれば良かったかな?
間違いようのないところまで、お供して、
「気をつけてね。」
と別れた。
私は朗読奉仕のボランティアをしているけれど、普通にその辺で
こういう風に手を貸すことができる場に遭遇したのは始めてだ。
ボランティアって以前はずっと偽善だと思ってた。
いい人に見られたい人がすることだろう。。。って。
何も、わざわざボランティア活動なんてしなくても、普通に暮らしていて
困った人がいたら、自然に手を貸すことが優しさだって。
でも、
自分が長く入院してみて思ったこと、
本当に困っている人は、「困っているんです。すみません手を貸してください。」
って気軽に言える場所にいないことの方が多いんじゃないかなって。
日本の社会って、困っている人は見えないところにいるしくみになっている
んじゃないかなって。
だから、まぁ、もちろん、気軽にその辺で手を貸すことが理想ではあるけれど、
社会自体がこういう状況の今は、仕方ないからボランティアという名前でこちらから
行かないといけないんじゃないかなって。
私もいろんな人に助けてもらったしね。
偽善だとか、いい人ぶってるとか言う人もいると思うけど、
何もしないで、そういう部分を非難している人よりは、
手助けする目的が、偽善やいい人ぶることだとしても、
やらない人よりマシなんじゃないかなって。
今はそう、思う。
で、また思う。
障害者の方々にも頑張ってほしいことがあるの。
どんどん街に出てほしいのよ。
そして、「すみませんちょっと手を貸してもらえませんか?」
って気軽に言ってほしいのだよ。
もちろん、「助けてくれる人ばっかりだよ。」
なんて、甘い考えはもってないです。
一般の人の、「差別の視線」の強烈さは知っているつもり。
私はムーンフェイスの時に味わいました。
ただ、手助けの仕方がわからない人も案外多いと思うのですよ。
障害者の人に
「何かお手伝いありますか?」
なんて聞いて、返って失礼だったりするじゃないですか?
だから、本当に手助けが必要なときは、必要な人の方から声をかけて
ほしいと思うのです。
でも、そういうのって勇気いるし、
「人に頼らないとできないんじゃ、外に出てくんなよ!!」
なんて言う人もいると思います。
だけど、、、
頑張って出てほしい。
手助けが必要なときに、どこかの誰かに手助けをお願いすることは
絶対悪いことじゃないし、間違ってないと思います。
障害者にできる、社会の意識革命だと思う。
なんか、、、酷だけど。